佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

小佐古教授の辞任と、水俣からのメッセージ

2011-05-02 | さよなら原発

今日の佐世保は山も海も街も、すべて灰色です。

黄砂のベールに覆われています。

 

私たちの社会も灰色のベールで覆われていることを、いま痛感しています。

 

 

3日前のこのニュース、すでに多くの人が目にし、そして注目したことでしょう。

東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏は、なぜ内閣官房参与を辞任したのでしょう?

小佐古教授は、チェルノブイリ原発事故の研究家としても国際的に認知されている方で、
原子力分野で日本を代表する一級の学者なのだそうです。

その小佐古先生が、涙ながらに抗議の辞任を表明した、その時の資料の全文が
山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記」に公表されていました。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110430/1304113493

 

その中で先生は、次の2点を強調なさっています。

1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい

2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

 

ということは、現在は「法と正義」にも「国際常識とヒューマニズム」にも則っていないということになります。

先生の言葉を一部転載させて頂きます。

 

 この1ケ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、 「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。

 とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるよう見受けました。

 今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。
これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2, 3 日あるいはせいぜい1, 2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。
警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。

 年間20 mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです.
 年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mjvです) 、この数値の使用は慎重であるべきであります。

小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。


その翌日の30日、水俣では、「原発事故と水俣病事件を考える集い」が開催され、
以下のようなアピール文が採択されたとのメールが届きましたので、紹介させて頂きます。

1956年5月、水俣病が公式に確認されてから、55年の歳月が経過する。当初70名
ほどの急性劇症の患者が「直ちに健康被害がある」水俣「奇病」患者として、認定
された。そして、加害企業チッソと国、熊本県等によるくり返しの幕引きと終息策動
に抗する被害者達の闘いによって、今や健康被害を起こした水俣病被害者の総
数は55000人を超えた。当初、被害を過小評価し、加害企業を擁護したことに
より、初期対応を失敗し、被害を拡大せしめた失敗の歴史が水俣にある。

1957年9月、厚生省は食品衛生法の適用を「水俣湾のすべての魚介類が汚染され
ているとは認められない」として地域住民を見殺しにした。1958年8月、チッソは排
水路を水俣湾から北側の水俣川河口に変更し、不知火海全域へと被害を拡大し、
通産省、熊本県はそれを見過ごしてきた。そして、1960年頃おこなわれた沿岸漁民
らの水銀汚染のデータが公表されたのは、10年後のことであったし、国が加害責任
を認めたのは2004年10月の関西訴訟最高裁判決による。被害の全容は未だ解明
されていないし、その加害責任の検証もおこなわれていない。

福島においても、原発事故発生以来、その対応に私たちは大きな憂慮を抱いている。
今、福島で起きていることは、水俣病事件における1950年代の事態ではないかと私
たちは考えている。放射能による汚染が起きているこの事態に、発せられる言葉は
「直ちに健康に影響はない」「CTスキャン一回分より少ない」「海洋に流せば希釈さ
れるから安全」「魚は回遊しているから汚染はたいしたことはない」。私たちは愕然と
する。水俣病の教訓などどこにも生かされていないのだと!

1号機、3号機の水素爆発、3月15日、2号機の格納容器等の損傷によって、放射能
拡散が最大になったことが国民に知らされたのは、IAEA(国際原子力機関)の3月
30日の発表後のことであった。「風評被害」などを恐れる対応によって、最も優先さ
れなければならない「住民の健康を守る」対応が遅れている。私たちは以下のこと
を東京電力、政府及び関係機関に要望する。

1、あらゆる生命を放射能被害から守ることを優先する施策を行わなくてはならない

今必要なことは、汚染の現状を徹底的に把握し、そのすべてのデータを速やかに
公表し、保全する。その事実の上に速やかな避難誘導が不可欠である。特に子供
たちや妊産婦に対する予防的避難は極めて重要である。緊急時ゆえにこそ、安全
基準は守らなくてはならないと私たちは考える。

2、賠償は、加害責任の検証と被害者の参加によって行わなくてはならない

賠償の枠組みが議論され、一部の枠組みなどが決まったとの報道がある。被害者、
当事者の参加なき賠償の仕組みの議論は本質的解決とはならない。また、この
事故を生み出した責任を明確にし、その検証が必要であり、その責任者は賠償の
責任を負うことを明確にすべきである。

3、原子力政策の転換を

スリーマイル、チェルノブイリ、東海村JCO、柏崎そして福島原発事故によって原発
の危険性は明白である。地震国日本の中で、原発の継続は国民を新たな放射能
汚染の大きなリスクに曝すことである。だたちに原子力政策を見直し、原発に頼ら
ない社会づくりを目指すべきである。

       水俣から福島へ 原発事故と水俣病事件を考える集い参加者一同


水俣病が認定された頃、九州から遠く離れた福島では他人事だったかもしれません。

でも、原発事故は福島から遠く離れた九州でも他人事ではないのです。

福島の倍以上離れたモンゴル自治区からの黄砂が、こうして届くのですから。

黄砂は目に見えるけど、放射能は見えないから気付かないだけ。

   いつか風に乗って…

   雨の中に…

   海の魚に…

   程度のほどは私にはわかりませんが、運ばれてくるでしょう。

 

   見えないからって隠さないで下さい。騙さないで下さい。本当のことを教えて下さい。

   私たちでさえ不安なのですから、

福島の皆さんは、

東北や関東の子育て中の母親は、

どんなに心配なさっているでしょう。

 

国も企業も学者も、真実を明らかにして、国民の英知を集めて、有効な対策を講じて下さい。

一刻も早く…

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