今日午前、グリーンコープ生協主催の脱原発学習会「プルサーマルを知っていますか?」に参加した。
講師は藤田祐幸氏。
今年になって藤田氏のお話を聞くのは3回目。
今まで聴いた内容と重複する部分もかなりあった。
日本の原子力政策の歴史や、
「核兵器はいけないが、平和利用はいい」という核に対する二重認識の所以や、
核兵器を保有していないのにプルサーマルを推進しているのは日本だけという現実。
そして、そのプルサーマルとは…
原発で使用済みの核燃料を再処理し取り出したプルトニウム(わずか1%)とウランを混ぜて作ったMOX燃料を、軽水炉原発で燃やして発電する仕組みである。
莫大なお金をつぎ込んで他国(英・仏)に再処理を依頼してまで作ったMOX燃料も
1回燃やせば、核廃棄物になるだけ。その再利用はない。
つまりこれ以上サイクルしないのだ。とてもリサイクルとは言えない。
しかも危険性だけはより大きく、より長く残るだけ。
そんなお話の中で、今回初めて理解できたことがあった。
ずっと思ってた疑問(高いリスクと費用に反して得るものはほとんどないプルサーマル計画が
なぜ止められないのか)が少し解けた。
それは2つの理由があるらしい。
1つは、返還プルトニウムのこと。
長年英・仏に依頼して、再処理してもらった結果抽出されたプルトニウムが返還され、
それは使わないかぎり溜まる一方である。
(余談だが、初めて返還プルトニウムが日本に陸揚げされたのは、
昭和天皇が亡くなった日だったそうで、21年前のこと…覚えやすい!)
当初は高速増殖炉「もんじゅ」でじゃんじゃん使う予定だったのだろうが、
1995年の事故以来、その計画は頓挫。
そのまま溜まり続ければ、国際社会のルールに背くことになり、疑念と不安を招くばかり。
なんとしてもプルトニウムを消費しなければならない。
もう1つの理由は、
日本各地にすでにある原発、これを建設するとき地元に対し、
使用済み燃料は速やかに運び出しますという約束をしていた(安全協定)らしい。
その約束を履行するためにも、六ヶ所再処理工場が必要だったわけだけれど、
その六ヶ所工場もただいま故障中。
もう、はちゃめちゃだ。
にっちもさっちもいかない。
前にも後ろにも進めない、先の見通しが全く立たない状況。
それを示す出来事が、7月3日の「原子力大綱改定の先送り」だった。
(この記事を読んだときはよく理解できてなかったが、それは、
原子力委員会が日本の原子力の先行きについての指導力を失ったことらしい)
藤田氏はこの状況を「断末魔」と表現し、かつて戦争に突き進み破局に至ってもなお認めようとしなかった戦時中とそっくりだと評された。
そして、この政策はみんなでちょっと押せば倒れる寸前まできている。
でも、その「ちょっと押す力」が、残念なことに今の我々にはない。
本当にそのとおりだ。
こんなにコストがかかり、危険がいっぱいで、設計図もないでたらめな計画を
どうして私たちは止められないのだろう?
やはり、メディアの責任は大きいと思う。
年金問題や、食品偽装のように、新聞もテレビも一斉に毎日報道すれば、
あっという間に情報は日本列島を駆け巡り、すべての国民が知る。
知れば怒りがわいてきて、抗議の波が押し寄せる。
原発問題に関しては、マスメディアは決してそういうやりかたはとってこなかった。
その理由は想像できる。
が、一部、心あるジャーナリスト、カメラマン、映画監督などによる作品さえも
大きなうねりにならないのはなぜだろう。
やはりこれは、私たち市民の問題のように思われた。
さて、質疑の最後に私はある質問をして、藤田氏に叱られてしまった。
「MOX燃料を軽水炉で燃やすのは危険だと言われていますが、
それは具体的にどのような事故が起こり得るのでしょうか?
また、その危険性の割合などわかりましたら教えて下さい」
「ぼくはそういう議論は好きじゃない。
軽水炉の存在そのものを認めたくないし、危険性が増すのは当然で
それが何%増すかなんて問題じゃない、危険なものは危険なんだ。
そこで働く人々の命の危険性が増すわけです。
また、いま我々が生きている意味は、過去の人々が守り継いできた地球を
次の世代に渡すこと。なのに我々の世代だけが1万年たっても消えない毒を
残していくことにぼくは加担したくない。
ぼくは科学者ですけど、科学的な議論が大嫌いです」
私も全く同じ気持ち。
なのに、なぜこのような質問をしたのか、その意図をわかって頂きたかったので付け加えた。
「お気持ちはよくわかります。私も同じです。
ただ、いまプルサーマルがまもなく現実のものとなろうとしているときに、
それを止めるには、佐賀の人もそうだし、わたしたち佐世保市民にも
プルサーマルの危険性を多くの人に伝えることが大切だろうと思うわけです。
玄海原発自体はすでにあるのですから、その存在を認めている人々に訴えるには
プルサーマルがこれまでよりどれだけ危険なものであるかを具体的に伝えることが
一つの手法ではないかと思ったので、お訊きしました」
すると、藤田氏は再度マイクを握って、こうおっしゃった。
「確かに電力会社や役人たちと議論するためにぼくたちはものすごく勉強してきました。
そしてどのような偉い推進派の学者たちをも論破し凌駕してきたと自負している。
しかし、それを市民に伝えようとするのは間違い。
それをすると、推進派の学者と同じことになる。俺たちの言うことを信じろとなる。
そうじゃない。自分たちを信じて下さい。直感を信じて下さい。
イヤなものは嫌だと言ってください。
とにかくぼくは科学者は大嫌いです。科学的な議論も大嫌いです」
と、締めくくられてしまった。
私は今すごく戸惑っている。。
講師は藤田祐幸氏。
今年になって藤田氏のお話を聞くのは3回目。
今まで聴いた内容と重複する部分もかなりあった。
日本の原子力政策の歴史や、
「核兵器はいけないが、平和利用はいい」という核に対する二重認識の所以や、
核兵器を保有していないのにプルサーマルを推進しているのは日本だけという現実。
そして、そのプルサーマルとは…
原発で使用済みの核燃料を再処理し取り出したプルトニウム(わずか1%)とウランを混ぜて作ったMOX燃料を、軽水炉原発で燃やして発電する仕組みである。
莫大なお金をつぎ込んで他国(英・仏)に再処理を依頼してまで作ったMOX燃料も
1回燃やせば、核廃棄物になるだけ。その再利用はない。
つまりこれ以上サイクルしないのだ。とてもリサイクルとは言えない。
しかも危険性だけはより大きく、より長く残るだけ。
そんなお話の中で、今回初めて理解できたことがあった。
ずっと思ってた疑問(高いリスクと費用に反して得るものはほとんどないプルサーマル計画が
なぜ止められないのか)が少し解けた。
それは2つの理由があるらしい。
1つは、返還プルトニウムのこと。
長年英・仏に依頼して、再処理してもらった結果抽出されたプルトニウムが返還され、
それは使わないかぎり溜まる一方である。
(余談だが、初めて返還プルトニウムが日本に陸揚げされたのは、
昭和天皇が亡くなった日だったそうで、21年前のこと…覚えやすい!)
当初は高速増殖炉「もんじゅ」でじゃんじゃん使う予定だったのだろうが、
1995年の事故以来、その計画は頓挫。
そのまま溜まり続ければ、国際社会のルールに背くことになり、疑念と不安を招くばかり。
なんとしてもプルトニウムを消費しなければならない。
もう1つの理由は、
日本各地にすでにある原発、これを建設するとき地元に対し、
使用済み燃料は速やかに運び出しますという約束をしていた(安全協定)らしい。
その約束を履行するためにも、六ヶ所再処理工場が必要だったわけだけれど、
その六ヶ所工場もただいま故障中。
もう、はちゃめちゃだ。
にっちもさっちもいかない。
前にも後ろにも進めない、先の見通しが全く立たない状況。
それを示す出来事が、7月3日の「原子力大綱改定の先送り」だった。
(この記事を読んだときはよく理解できてなかったが、それは、
原子力委員会が日本の原子力の先行きについての指導力を失ったことらしい)
藤田氏はこの状況を「断末魔」と表現し、かつて戦争に突き進み破局に至ってもなお認めようとしなかった戦時中とそっくりだと評された。
そして、この政策はみんなでちょっと押せば倒れる寸前まできている。
でも、その「ちょっと押す力」が、残念なことに今の我々にはない。
本当にそのとおりだ。
こんなにコストがかかり、危険がいっぱいで、設計図もないでたらめな計画を
どうして私たちは止められないのだろう?
やはり、メディアの責任は大きいと思う。
年金問題や、食品偽装のように、新聞もテレビも一斉に毎日報道すれば、
あっという間に情報は日本列島を駆け巡り、すべての国民が知る。
知れば怒りがわいてきて、抗議の波が押し寄せる。
原発問題に関しては、マスメディアは決してそういうやりかたはとってこなかった。
その理由は想像できる。
が、一部、心あるジャーナリスト、カメラマン、映画監督などによる作品さえも
大きなうねりにならないのはなぜだろう。
やはりこれは、私たち市民の問題のように思われた。
さて、質疑の最後に私はある質問をして、藤田氏に叱られてしまった。
「MOX燃料を軽水炉で燃やすのは危険だと言われていますが、
それは具体的にどのような事故が起こり得るのでしょうか?
また、その危険性の割合などわかりましたら教えて下さい」
「ぼくはそういう議論は好きじゃない。
軽水炉の存在そのものを認めたくないし、危険性が増すのは当然で
それが何%増すかなんて問題じゃない、危険なものは危険なんだ。
そこで働く人々の命の危険性が増すわけです。
また、いま我々が生きている意味は、過去の人々が守り継いできた地球を
次の世代に渡すこと。なのに我々の世代だけが1万年たっても消えない毒を
残していくことにぼくは加担したくない。
ぼくは科学者ですけど、科学的な議論が大嫌いです」
私も全く同じ気持ち。
なのに、なぜこのような質問をしたのか、その意図をわかって頂きたかったので付け加えた。
「お気持ちはよくわかります。私も同じです。
ただ、いまプルサーマルがまもなく現実のものとなろうとしているときに、
それを止めるには、佐賀の人もそうだし、わたしたち佐世保市民にも
プルサーマルの危険性を多くの人に伝えることが大切だろうと思うわけです。
玄海原発自体はすでにあるのですから、その存在を認めている人々に訴えるには
プルサーマルがこれまでよりどれだけ危険なものであるかを具体的に伝えることが
一つの手法ではないかと思ったので、お訊きしました」
すると、藤田氏は再度マイクを握って、こうおっしゃった。
「確かに電力会社や役人たちと議論するためにぼくたちはものすごく勉強してきました。
そしてどのような偉い推進派の学者たちをも論破し凌駕してきたと自負している。
しかし、それを市民に伝えようとするのは間違い。
それをすると、推進派の学者と同じことになる。俺たちの言うことを信じろとなる。
そうじゃない。自分たちを信じて下さい。直感を信じて下さい。
イヤなものは嫌だと言ってください。
とにかくぼくは科学者は大嫌いです。科学的な議論も大嫌いです」
と、締めくくられてしまった。
私は今すごく戸惑っている。。