佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

沈黙を破る

2009-05-25 | 平和

「SIGLO NEWS 第140号」が届きました。

『沈黙を破る』の上映と、その映画に出てくる元イスラエル軍将校、ノアム・ハユット氏の来日決定を知らせる内容でした。

もちろん、ここ佐世保では彼の話を聴くことはできないし、上映の予定も今のところないようです。
そのうち福岡あたりにはやってくるでしょうから、その時には観たいと思いました。

その内容は・・・

2002年春、イスラエル軍のヨルダン川西岸への侵攻作戦のなかで起こったバラータ難民キャンプ包囲とジェニン難民キャンプ侵攻。
カメラは、2週間にも及ぶイスラエル軍の包囲、破壊と殺戮にさらされるパレスチナの人びとの生活を記録する。

同じ頃、イスラエルの元将兵だった青年たちがテルアビブで写真展を開く「沈黙を破る」と名づけられた写真展は、“世界一道徳的”な軍隊として占領地に送られた元兵士たちが、自らの加害行為を告白するものだった。
占領地で絶対的な権力を手にし、次第に人間性や倫理、道徳心を失い、“怪物”となっていった若者たち。
彼らは、自らの人間性の回復を求めつつ、占領によって病んでいく祖国イスラエルの蘇生へと考えを深め、声を上げたのだ。

監督は、ジャーナリストとして20数年にわたりパレスチナ・イスラエルを取材してきた土井敏邦。
数百時間にも及ぶ映像を、長編ドキュメンタリー映画として完成させた本作では、イスラエル軍がパレスチナ人住民にもたらした被害の実態と共に、“占領という構造的な暴力”の構図を、人びとの生活を通して描き出している。

時に絶望的に見える抑圧をしたたかに生き抜くパレスチナの人びと、そして、「祖国への裏切り」という非難に耐えながらも発言を続けるユダヤ人の若者たちの肉声は、「パレスチナ・イスラエル問題」という枠を越え、人間の普遍的なテーマに重層的に迫る。


「沈黙を破る」とは、映画の題名であると同時に、占領地に赴いた経験をもつ元イスラエル将兵たちによって作られたNGOの名前そのものであり、また彼らが2004年に開いた写真展「沈黙を破る−−戦闘兵士がヘブロンを語る」のタイトルでもあったわけです。

自らの加害行為を告白することの辛さ、しかもイスラエル国内で声を上げることの苦悩、
それを想像するとき、まさに「沈黙を破る」ことの深さが伝わってきます。

NGOのメンバーは20代の青年たちが中心となっていて、大きな反響を呼んだ写真展の後も、数百人の証言ビデオを収集し、メディアや講演、ウェブサイトを通じて国内外に占領の実態を訴え続けているといいます。

同じような話を、アメリカの元兵士、ベトナム帰還兵のアレン・ネルソンさんやイラク帰還兵のエイダン・デルガドさんの講演で聴きました。
また、イラク米軍脱走兵のジョシュア・キーさんの本にも同じようなことが書かれていました。

戦場や占領地では、人としての資質が失われ獣のようになっていくのでしょう。
『沈黙を破る』では、「考えるのをやめたとき、僕は怪物になった」という言葉が出てきますが、
戦場や占領地では、いえ、軍隊そのものが「考える」ことを認めない場なのではないでしょうか。

「人間は考える葦である」とパスカルは評したけれど、その人間が考えることを止めたとき、弱い一本の葦にさえもどれない・・・強力な武器を手にしてしまったから。
弱いがゆえに攻撃的になり武器に頼る、そして、破壊を繰り返し自らも破滅するのか。。


来日するというノアム・ハユット氏の言葉は、占領の意味をとてもわかりやすく教えてくれました。

「私は、その朝の光景を今でも思い出します。軍のブルドーザーがオリーブの木々を全部破壊した後に、80歳ほどの老人が50代の息子そして孫たちと破壊された畑にやってきました。その前夜にすべてのオリーブの木々が破壊されてしまったことを、この家族はまったく知りませんでした。畑の木々が切り倒されるということが農民にとってどれだけ辛いことか、農村出身の私にはそれがわかっていました。そのオリーブの木々はその老人の父親か祖父が植えたものなのでしょう。それは単に日々の糧を得るためのものではなく、彼らの“人生”そのものを失うことだったのです。イスラエル国民はラジオで『イスラエル軍が入植者の通行する道路の安全を確保した』というニュースを聞くことでしょう。それは理屈にかない、道徳的にも何の問題もないように聞こえます。しかし、それはパレスチナ人の生活を破壊することだったのです。これが、“占領”とは何かを私が実感する最初の体験でした」


また、「沈黙を破る」顧問のラミ・エルハナンさんはこう語っています。

「イスラエル国民が理解できないでいることは、占領地の350万人のパレスチナ人を制圧し、片隅に追いやり、どんどん押し込んでいけば、彼らは噛み返すということです。それは世界中のどの歴史にも共通する普遍的な事実です。そんな彼らを『テロリスト』と呼ぶ人もいれば、『自由の戦士』と呼ぶ人もいる。どんな名前で呼んでもいいのです。しかし、それが現実なのです。
彼らは『テロリスト』かもしれない。同感です、テロリストが私の娘を殺したのですから。ではそのテロリストにどう対応するのか。テロリストを完全に消滅できたという実例があるのなら、一つでも見せてほしい。彼らの自由への願いを消滅できたというような、喜んで占領を受け入れているというような実例をです。ではそのテロリストとどう闘うのですか。どうすることが“賢い”闘い方なのでしょうか。すべての争いの解決には、結局、話し合うしかないのです。ハマスであろうと、PLOであろうと、敵と話し合いをするしかないのです」


賢い戦い方とは、敵と話し合うしかない・・・すべての国の指導者たちに伝えたい言葉です。


 


 



 

コメント (7)
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