佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

憲法記念日

2009-05-04 | 平和

去年の今日、5月4日は、千葉の幕張メッセで開催された「9条世界会議」に参加して、感動に胸を熱くしていたっけ・・・

ノーベル平和賞受賞者をはじめ国内外からたくさんの9条支持者が集い、その意義を再認識することができました。
そして、憲法に謳っていることと現実は大きくかけ離れているけれど、決してあきらめることなく、現実を憲法に近づける努力を続けたい、同じ思いの人々がこんなにいっぱいいるんだもの、大丈夫!
と、希望や勇気がいっぱいあふれてきました。

けれど、この一年の国の動きは、私たちの希望をどんどん小さくしていきました。
テロ対策だとか海賊対策だとか大義を掲げ、自衛隊の海外派遣を増やし続け、国民は馴らされてゆき、このままではいつか近いうちに「ふつうのこと」になりそう…

隣国が「人工衛星」を打ち上げると発表すると、弾道ミサイルだとして大騒ぎ、止めなければ経済制裁だ、万一の場合は撃ち落とすと迎撃ミサイル発射準備・・・

「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という9条の条文は全く無視ですね。。


その大騒ぎも私たちはすぐに忘れてゆき・・・今は新型インフルエンザの情報に戦々恐々としている毎日です。

そんな中の今年の憲法記念日。ここ佐世保では、大きなイベントもなく静かに過ぎていきました。

私は、「九十九島スリーナイン」(九十九島9条&99条の会)が主催した講演会に出かけました。

その中で特に心に残ったのは、元特攻隊員だったTさんのお話です。

16歳の時志願して予科練、三重海軍航空・奈良分遣隊へ入隊。
そこには13,000人もの若者が日々基礎訓練に励み(中には「訓練」と称する暴力に耐えかねて自殺する者もいたという)、その後、特殊潜航艇「蛟竜」に配属されたそうです。
空からにしろ海からにしろ、「特攻隊とは生きる権利を否定された軍隊だった」と言われるが、
それは特攻隊だけではない。戦没者に対する餓死者の割合を知れば、それは明らか・・・と示された数字を見て驚きました。

戦没者2,121,000人中、餓死者1,276,240人。 60.1%も!
フィリピンでは80%、東部ニューギニアでは実に89.9%もの兵士が餓死しているのです。

今の日本でも、昨年から急激な経済悪化の中で犠牲を強いられている非正規労働者の中には、
職・住を奪われ食事にも事欠く人々がいますが、それに対する政府の無策を思うとき、
今も昔も同じなんだなぁと感じてしまいます。(憲法9条だけでなく、25条も現実と乖離した条文になってしまいました)

Tさんが軍隊に志願した頃の時代背景として、軍国教育についても語ってくださいました。

教育勅語や御真影、教練などの様々な教えの中で、国に尽くすことが当たり前の時代。
旧制中学時代、各クラスから数人は軍隊に志願する生徒がいたそうです。
ところが、Tさんのクラスではそれまで誰も志願していない。ゼロだった。
すると、配属将校が職員朝礼の時にその担任を非難し、非国民の汚名を着せられたくなかった先生は生徒に志願を勧めていった・・・戦後、先生はTさんにそう語ったそうです。

教師として、人として、どんなにつらい記憶だろう…と思います。
教え子を戦場に送るな」というスローガンはいろんな本や資料で目にしてきましたが、
その言葉の重みを初めて実感しました。

Tさんが予科練に志願したとき、校長からおくられた訣別の辞は次のようなものでした。

     諸君は選ばれたる日本の勇敢なる戦士である。
     一切の私事を忘れ去り、かしこくも天皇陛下のため尽忠報国の誠を尽くすことこそ、
     諸君たちの大いなる使命である。
     それ故にこそ、君たちの体は君たちの体であって、君たちの体ではない。
     入隊するまでのあと三日間は、君たちの体に蚤一匹からも嚙まれてはならない。


命長らえるという生きる権利も、自分が自分として生きる権利も認められないような時代には決して後戻りしたくない・・・

 

 

コメント (7)
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