「SIGLO NEWS 第140号」が届きました。
『沈黙を破る』の上映と、その映画に出てくる元イスラエル軍将校、ノアム・ハユット氏の来日決定を知らせる内容でした。
もちろん、ここ佐世保では彼の話を聴くことはできないし、上映の予定も今のところないようです。
そのうち福岡あたりにはやってくるでしょうから、その時には観たいと思いました。
その内容は・・・
2002年春、イスラエル軍のヨルダン川西岸への侵攻作戦のなかで起こったバラータ難民キャンプ包囲とジェニン難民キャンプ侵攻。
カメラは、2週間にも及ぶイスラエル軍の包囲、破壊と殺戮にさらされるパレスチナの人びとの生活を記録する。
同じ頃、イスラエルの元将兵だった青年たちがテルアビブで写真展を開く「沈黙を破る」と名づけられた写真展は、“世界一道徳的”な軍隊として占領地に送られた元兵士たちが、自らの加害行為を告白するものだった。
占領地で絶対的な権力を手にし、次第に人間性や倫理、道徳心を失い、“怪物”となっていった若者たち。
彼らは、自らの人間性の回復を求めつつ、占領によって病んでいく祖国イスラエルの蘇生へと考えを深め、声を上げたのだ。
監督は、ジャーナリストとして20数年にわたりパレスチナ・イスラエルを取材してきた土井敏邦。
数百時間にも及ぶ映像を、長編ドキュメンタリー映画として完成させた本作では、イスラエル軍がパレスチナ人住民にもたらした被害の実態と共に、“占領という構造的な暴力”の構図を、人びとの生活を通して描き出している。
時に絶望的に見える抑圧をしたたかに生き抜くパレスチナの人びと、そして、「祖国への裏切り」という非難に耐えながらも発言を続けるユダヤ人の若者たちの肉声は、「パレスチナ・イスラエル問題」という枠を越え、人間の普遍的なテーマに重層的に迫る。
「沈黙を破る」とは、映画の題名であると同時に、占領地に赴いた経験をもつ元イスラエル将兵たちによって作られたNGOの名前そのものであり、また彼らが2004年に開いた写真展「沈黙を破る−−戦闘兵士がヘブロンを語る」のタイトルでもあったわけです。
自らの加害行為を告白することの辛さ、しかもイスラエル国内で声を上げることの苦悩、
それを想像するとき、まさに「沈黙を破る」ことの深さが伝わってきます。
NGOのメンバーは20代の青年たちが中心となっていて、大きな反響を呼んだ写真展の後も、数百人の証言ビデオを収集し、メディアや講演、ウェブサイトを通じて国内外に占領の実態を訴え続けているといいます。
同じような話を、アメリカの元兵士、ベトナム帰還兵のアレン・ネルソンさんやイラク帰還兵のエイダン・デルガドさんの講演で聴きました。
また、イラク米軍脱走兵のジョシュア・キーさんの本にも同じようなことが書かれていました。
戦場や占領地では、人としての資質が失われ獣のようになっていくのでしょう。
『沈黙を破る』では、「考えるのをやめたとき、僕は怪物になった」という言葉が出てきますが、
戦場や占領地では、いえ、軍隊そのものが「考える」ことを認めない場なのではないでしょうか。
「人間は考える葦である」とパスカルは評したけれど、その人間が考えることを止めたとき、弱い一本の葦にさえもどれない・・・強力な武器を手にしてしまったから。
弱いがゆえに攻撃的になり武器に頼る、そして、破壊を繰り返し自らも破滅するのか。。
来日するというノアム・ハユット氏の言葉は、占領の意味をとてもわかりやすく教えてくれました。
「私は、その朝の光景を今でも思い出します。軍のブルドーザーがオリーブの木々を全部破壊した後に、80歳ほどの老人が50代の息子そして孫たちと破壊された畑にやってきました。その前夜にすべてのオリーブの木々が破壊されてしまったことを、この家族はまったく知りませんでした。畑の木々が切り倒されるということが農民にとってどれだけ辛いことか、農村出身の私にはそれがわかっていました。そのオリーブの木々はその老人の父親か祖父が植えたものなのでしょう。それは単に日々の糧を得るためのものではなく、彼らの“人生”そのものを失うことだったのです。イスラエル国民はラジオで『イスラエル軍が入植者の通行する道路の安全を確保した』というニュースを聞くことでしょう。それは理屈にかない、道徳的にも何の問題もないように聞こえます。しかし、それはパレスチナ人の生活を破壊することだったのです。これが、“占領”とは何かを私が実感する最初の体験でした」
また、「沈黙を破る」顧問のラミ・エルハナンさんはこう語っています。
「イスラエル国民が理解できないでいることは、占領地の350万人のパレスチナ人を制圧し、片隅に追いやり、どんどん押し込んでいけば、彼らは噛み返すということです。それは世界中のどの歴史にも共通する普遍的な事実です。そんな彼らを『テロリスト』と呼ぶ人もいれば、『自由の戦士』と呼ぶ人もいる。どんな名前で呼んでもいいのです。しかし、それが現実なのです。
彼らは『テロリスト』かもしれない。同感です、テロリストが私の娘を殺したのですから。ではそのテロリストにどう対応するのか。テロリストを完全に消滅できたという実例があるのなら、一つでも見せてほしい。彼らの自由への願いを消滅できたというような、喜んで占領を受け入れているというような実例をです。ではそのテロリストとどう闘うのですか。どうすることが“賢い”闘い方なのでしょうか。すべての争いの解決には、結局、話し合うしかないのです。ハマスであろうと、PLOであろうと、敵と話し合いをするしかないのです」
賢い戦い方とは、敵と話し合うしかない・・・すべての国の指導者たちに伝えたい言葉です。
戦争の真実を知ることはとても大事だと思います。
http://blog.livedoor.jp/woo111/archives/50851414.html
長崎には「岡まさはる記念長崎平和資料館」というものがあります。戦争加害者としての日本に関する資料館です。
きついけれど、こういうものから目をそらしては戦争の真実を知ることはできませんものね。
知ることがまず大事。何より大事。そう思います。
久し振りにコメントを書かせて貰っています。
「女たちの戦争と平和資料館」はジャーナリストの松井やよりさんが構想され、建設される事になっていましたが、志半ばで亡くなられたために、その意志を継いだ西野留美子さんたちによって設立された資料館です。私もまだ行った事はありませんが、私もこの資料館の会員として末席を汚しています。(大したこともやってなくて、お恥ずかしい限りです。)
cosumosさんが「岡記念館」のことを書かれていましたが、「女たちの資料館」と「岡記念館」は姉妹館(?)のような間柄で、交流があります。
「岡記念館」は95年に開館しましたが、その記念講演は「女たちの資料館」現館長の西野留美子さんでした。(この時、長崎まで見えるのだったら是非佐世保まで足を延ばして欲しいとお願いし、佐世保でも講演会をもちました。)3年前、開館10周年記念の講演者も西野留美子さんでした。
私も、戦争を知らない世代の一人ですが、ひさごんさんのおっしゃるように、戦争の実態を知る事は大事な事だと思います。
佐世保にも、強制連行で日本に連れて来られ炭鉱で働かされていた朝鮮人の方がいらっしゃって、その方のお話を聞き書きしてまとめたことがあります。そのうち、cosmosさんに読んで頂こうかな、、、。
「沈黙を破る」は私も見たい作品です。
確か、3部作か4部作かの1本ですよね。全部見てみたいと思っています。
私が初めて慰安婦問題に関心を持ったのも、松井やよりさんと西野留美子さんのお話を聴いたことがきっかけでした。
それにしても、そぷんさんの行動力の凄さ!いつも何気ない雰囲気で、すごいことやってるんだもの…
朝鮮人の方の聞き取りも…金さんでしたよね?頂きました。しっかり読ませていただきました。とても貴重な記録だと思います。
ひさごん、そのうち、コピーして送りますね。ぜひ読んでみて下さい。そして、善方先生にもお見せしてね。
2002年に、イスラエルに「ゾッホロート」というNGOが設立され、さまざまな方法で、イスラエルのユダヤ人が「ナクバに気づき、認め、責任をとり」和解のプロセスを始めるために活動しているそうです。
またハアレツ紙という新聞は、イスラエルの中でも中道左派と言われ、ガザ攻撃の様子などをちゃんと伝えているようです。
ところが「ナクバ」を追悼すると法によって処罰されるという法案が5月14日に出されたそうで、イスラエルの中で声を上げることの難しさもまた伝えられています。
そんな中で勇気を持って真実を伝える声を上げている人たちがいることに、励まされる思いがします。
「ナクバ」を追悼すると罰せられるというとんでもない法案は、その後どうなっているんでしょうか?
可決される可能性はあるのでしょうか?
イスラエルの指導者たちは「ナクバ」を思い出させたくない、記憶から末梢させたいのでしょうね。そのうち、なかったことになるように・・・?
そういった体制の中で、「ゾッホロート」といい「沈黙を破る」といい、彼らの勇気には本当に感動しますね。
そぷんさんも会員さんなんですね!
戦争の真実を語ってくださる方たちの行為こそ、本当の勇気ですよね、