令和5年1月21日(土)
にかほ市: 象潟:坩満寺
かつて、私の別称は「晴れ男」。
かつて、私の別称は「晴れ男」。
午前10時頃、
今朝も青々と空は晴れ渡る。
「江山水陸の風光数を尽して、
「江山水陸の風光数を尽して、
今象潟に方寸を責」。
(ここまで、海・山・川・陸など、
(ここまで、海・山・川・陸など、
風光明媚な所をいろいろまわってきて、
古くからの名勝
として名高い象潟を
一刻も早く見たい。)
とせき立てられた芭蕉は、
とせき立てられた芭蕉は、
日射しが傾きかけた頃、
象潟に到着。
<坩満寺山門>
しかし、その日は、
海からの風が砂を吹き上げ、
あたりは一面雨に煙って、
鳥海山も姿を消してしまっていた
という。
好対照!
<坩満寺本殿>
翌日は快晴。
芭蕉達は、象潟へ舟を漕ぎ出す。
能因法師が
能因法師が
3年間住んだという能因島を、
先ず訪ねる。
次に、
対岸に舟を寄せ、陸に上がる。
「象潟の
「象潟の
桜はなみに
埋もれて
花の上漕ぐ
海人のつり舟」
と、
と、
西行法師が詠んだ桜の老木に
西行を偲ぶ。
<おくの細道と九十九島>
その後、神功皇后の墓だと
言い伝えられる墓のある
坩満珠寺の座敷に座って、
象潟の全景を見たという。
天変地異。
私たちには、もう
その絶景は見えない。