貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

尊徳遺訓に出くわす・・・口挟む余地は?

2022-06-25 09:46:53 | 日記
令和4年6月25日(土)
日光市: 日光二宮神社          
 道の駅日光に4時過ぎ到着。
「日光街道ニコニコ本陣」と
威勢がよい。

 過日亡くなられた作曲家の船村徹
さんの記念館や歌碑など眺めながら、
街を散策する。

 すぐに、「二宮尊徳翁の墓あり」
の表示が目に入る。

 以前二宮金次郎の生涯を小説で
楽しんだ記憶なども蘇り、
二宮神社へ。

 
 今はなき母校中郷小学校に
も金次郎の像があったことを思い
出す。   
 神社の二宮金次郎の学びの像は、
ちょっとすらっとした感じ。

 金次郎こと、後の尊徳翁の遺訓
がある。
「人生れて学ばざれば生れざると同じ。
学んで道を知らざれば学ばざると同じ。
知って行うこと能わざれば知らざると
同じ。
 故に人たるもの必ず学ばざるべからず。
 学をなすもの必ず道を知らざるべからず。
道を知るもの必ず行わざるべからず。」

  口はさむ余地なし。


愛欲貧衆・・・縁結門と縁切門

2022-06-24 09:31:23 | 日記
令和4年6月24日(金)
7番 阿波市: 十 楽 寺     

  大同年間(806~810)、
弘法大師が当地で修法中に、
阿弥陀如来が現れ、
霊地であると悟られる。

 人間の持つ八つの苦難
(生・老・病・死・愛別離・
怨憎会・求不得・五陰盛)を
阿弥陀如来の慈悲により克服し、
十の光明に輝く楽しみが得られる
ように、光明山十楽寺と号する。

                                                                                         縁結門と縁切門とがあり、                           中に愛染明王様が祀られていた。



 仁愛・博愛・親愛・信愛・敬愛・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いろいろあるなあ!



苔むす

2022-06-23 10:13:38 | 日記
令和4年6月23日(木)
矢板市: 剣 神 社  
 平安時代末期、源頼義と義家が、
前九年の役で勝利し、
ここに太刀を奉納したことから、
「剱大明神」と号したそうだ。
 その後、神社として当地に移される。

 この山から算出されるつるぎ石は、
石灯籠を初めいろいろ物に活用されたが、
現在は産出していないという。
         
 石段を上ると、小さな社殿がある。

 芭蕉の句碑は見当たらず。                 
 苔むして風情は残っている。



二つの寺名

2022-06-22 13:52:05 | 日記
令和4年6月22日(水)
6番 板野郡: 安 楽 寺 

 弘仁二年(811)、弘法大師が四国巡錫中、                     引野が薬師如来と深い因縁で結ばれている                     と直観。
 難病で苦しんでいる人のために、                     温泉のくどくを説かれる。
 大師は一刀三礼の薬師如来像を刻み、
堂宇を建立。

 八十八ヶ所の霊場に定められる。
  安土桃山時代、阿波藩祖・蜂須賀家政公                     の命で、瑞雲寺に改名。
 難儀している遍路や旅人のために
宿と食事を提供する駅路 寺と定める。

 しかし、壇信徒に対しては安楽寺とし、 
二つの名前を使い分けていた。



「そのままに」と「そのままよ」との違い!

2022-06-21 10:26:36 | 日記
令和4年6月21日(火)
 今日は夏至!
 梅雨真っ盛り!!
矢板市: 御申塚(おさるづか)       
 御申塚のお寺かなと伺うと
住職さんが住んでおられそうだが…?
 そうでもないかなと迷いつつ、
久しぶりの蛙にみとれてしまう。
 やっぱり一般のご家庭かな・・?
 田んぼの真ん中辺に、
塚らしきものが見え、
取りあえずそこへ。

 直感大当たり!

 説明によると、
「戸を開けば にしに山あり 
伊吹といふ 花にもよらず 
霞にもよらず 只これ孤山の徳あり
『そのままに 
  月もたのまじ 
      伊吹山』 」。
 当地の塩谷院秀賢さんが、
ここからの眺めが滋賀の伊吹山のように
秀麗であったことから、
芭蕉句碑を建てたという。

 この御申塚は貴重なもの。
 大事に残して欲しい。

 芭蕉句は、元禄二年の作。
 伊吹山はそのままでよいのだ。
月の風情を頼む必要もあるまい、
の意。
 『笈日記』等では上五は上の句のとおり。
『後の旅集』では、
そのまゝよ
  月もたのまじ
      息吹やま