貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

深川小学校跡地と時雨塚

2020-10-20 12:45:07 | 日記

深川小学校跡地と時雨塚

令和2年10月20日(火)

 今日は久しぶりに全国的に晴れて

いるよう。

 午後、青梅も青空が広がった。

 今日は、江東区の長慶寺へ。

 深川孫右衛門夫妻より、越後村上の

霊樹山耕雲寺二三世一空全鎖大和尚を

開闢開山に勧請。

 当山二世大事不安大和尚布延する。

 古来、楠の老木が林立していたので

楠寺とも呼ばれる。

 また、開創より31年後、

万治3年(1660)、時の本所奉行

徳山五兵衛の差配により寺地が除地

となり、徳山家を中興開基とする。

 この寺には亀戸天神の宮司大鳥居家

の墓がある。

 言い伝えによると、亀戸天神の初代と

長慶寺の初代が共に同じ時期に江戸で

布教、互いに励まし合い、交流して

いる。

 風も心地よい。

 その縁で、この寺に亀戸天神の

宮司の墓がある。納得!!!

 近代小学校発祥地

深川小学校の跡地でもある。

  元禄7年(1694)に芭蕉が難波で

亡くなったのを聞き、江戸の門人

杉風・其角等が翁を江戸で弔うため、

この寺に落歯・発句を埋め、

時雨塚を造る。