昨日10月1日「ずいき祭」と「出水七不思議」を訪ねてと言う、「京文化・行事体験講座」にあきちゃんと行ってきました。
午後1時「北野天満宮」を出発する行列を見てきた。
北野天満宮でおこなわれる五穀豊穣を感謝する秋祭りの先陣を切る祭りです。
祭の名の由来ともなっている「ずいき神輿」は、新興の屋根をずいき・芋の幹で葺き、鬼瓦にかしら芋、桂を米・麦・豆・野菜・花・湯葉などで飾ったものです。
10月1日の神幸祭で、西の京御興岡の御旅所へ神興を渡御し、4日の還幸祭では氏子地域を練り歩るいた後に本社に戻ります。
行列の出発前と出発した写真です。
出発時点では、ずいき神輿は有りませんが、町内(氏子)の人達がお供えに今年採れた野菜を奉納されます。その後ずいき神輿が出来上がります。
ずいき祭は村上天皇の時代(946~967)に始まったとされ、応仁の乱で一時途絶えますが戦国時代になって再興され、明治に入って一時中絶しましたが、明治23年に復活した後は現在まで続いています。北の天満宮は現在、菅原道真公が祭神となり、学問の神様として知られていますが、本来の五穀豊穣を願った天神信仰の原型を確認できる貴重な祭りといえます。
ずいき神輿はなまの材料が多いので、毎年新しく造られます。
赤ずいき・白ずいき=屋根葺き
稲の穂=神紋の房
稲穂の軸=縄
等に使われています。
ずいき神輿とずいきの写真は昨年のを使いました。
長くなりますから、「出水七不思議」の日記は明日に致します。
午後1時「北野天満宮」を出発する行列を見てきた。
北野天満宮でおこなわれる五穀豊穣を感謝する秋祭りの先陣を切る祭りです。
祭の名の由来ともなっている「ずいき神輿」は、新興の屋根をずいき・芋の幹で葺き、鬼瓦にかしら芋、桂を米・麦・豆・野菜・花・湯葉などで飾ったものです。
10月1日の神幸祭で、西の京御興岡の御旅所へ神興を渡御し、4日の還幸祭では氏子地域を練り歩るいた後に本社に戻ります。
行列の出発前と出発した写真です。
出発時点では、ずいき神輿は有りませんが、町内(氏子)の人達がお供えに今年採れた野菜を奉納されます。その後ずいき神輿が出来上がります。
ずいき祭は村上天皇の時代(946~967)に始まったとされ、応仁の乱で一時途絶えますが戦国時代になって再興され、明治に入って一時中絶しましたが、明治23年に復活した後は現在まで続いています。北の天満宮は現在、菅原道真公が祭神となり、学問の神様として知られていますが、本来の五穀豊穣を願った天神信仰の原型を確認できる貴重な祭りといえます。
ずいき神輿はなまの材料が多いので、毎年新しく造られます。
赤ずいき・白ずいき=屋根葺き
稲の穂=神紋の房
稲穂の軸=縄
等に使われています。
ずいき神輿とずいきの写真は昨年のを使いました。
長くなりますから、「出水七不思議」の日記は明日に致します。