158回「東大寺周辺Ⅱ」ハイキングの解説をします。(団体写真は猿沢の池の前で写す。)
奈良駅を降り、登大路とは別のコースで、商店街から~猿沢の池に向かう。
猿沢の池の入り口で、采女神社の由来を祠の前で解説。
その後、堤を通り、率川(いざ川)を見る。
春日二水の一つの水源、率川伝承の解説。
「葉根家蘰 今為る妹を うら若み いざ率川 音の清けさ 神乃聖婚」
(はねかづら・いまするいもを・うらわかみ・いざいざかわの・おとのさやけさ)
猿沢の池
次は興福寺(世界遺産)に向かう
工事中に着き通り抜ける。
登大路に出て、「国立博物館」の横を通り、東大寺、南大門に向かう途中に吉城川で説明
「我妹子に 衣春日の 宜寸川 縁もあらぬか 妹が目を見む」
(わぎもこに・ころもかすがの・よしきがわ・よしもあらぬか・いもがめをみむ)
南大門(国宝)高さ約25mの大二重門、山門では我が国最大である。(南大門の説明)
鏡池の手前を通り、東大寺の中心部(昔の)を通り、鐘楼の前に出る。
鐘楼・梵鐘・「国宝」
(奈良時代)大仏開眼の時使われたもので、高さ3,90m口径2,7m、重さ26トン強、我が国最大の梵鐘。「除夜の鐘」は、一般の人々も撞く事ができ、天平の壮大な響きを聴く事もできます。
次に二月堂に向かう
二月堂の本尊は「絶対秘仏」で、寺僧さえ見た事の無い仏像(十一面観音)だと言われている。
二月堂の回路から見た風景 大仏殿が見える。見晴らしは絶景
東大寺二月堂 お水取り、正式には「東大寺修二会」
良弁僧正の高弟・実中和尚の創始といわれ、仏教の起こったインドの年初めである旧暦2月に行われてきた。二月堂登り口の屋根に鵜の瓦をのせる小堂は、閼迦井屋(若狭井屋)若狭の国から通じていると言う若狭井から香水を汲みあげ本尊に供える行法(お水取り行事)
① 六時の行法・一日六回{日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝}
② 御松明
③ お水取り
④ 過去帳
⑤ 走りの行法
⑥ 達陀(ダッタン)
⑦ 達陀帽
12日~14日が見ものです。
二月堂の前に有る良弁杉
(良弁さんが、幼少の頃、鷲にさらわれ、杉の上に持っていかれた。)
次に三月堂(法華堂)「国宝」に向かう
『東大寺要録』という書物に「天平五年癸酉、公家、良弁のために羂策院を創る。古、金鐘寺と号ふ」とあり、東大寺の初代の別当(長官)となった。良弁のために金鐘寺を拡大、この金鐘寺のそもそものおこりは、神亀五年(728)に満一歳で、夭折基皇太子「聖武帝と光明子との間の子」の冥福を祈る山房に由来する。
ここに僧九人が居り、良弁もそのうちの一人だった。
それを朝廷がのちに整備・拡大、金鐘寺は今の三月堂です。
したがって東大寺の前身は金鐘寺です。
三月堂は法華堂とも言われ、本堂は(奈良時代)礼堂(鎌倉時代)本堂は和様寄棟造り。
礼堂は大仏様入母屋造りながら、見事な調和を見せて接続されている。
本尊は『乾漆不空羂索観音像』「国宝」(奈良時代)一段高い内陣中央の八角二重とさらに高い須弥壇の中央後ろに、高さ3,60mの雄大な本尊は、三眼・ハ臂(腕)の姿は堂々たる表現で、威厳に満ちた天平彫刻の傑作。
2万5000の宝石をちりばめた精巧な銀製宝冠、光背も見事です。
向かって右には「日光菩薩」更紗の衣を着ている。
左は「月光菩薩」透けた衣装で、ネックレスをしている。
脇侍には梵天・帝釈天、前には吽形・阿形
本尊と背中合わせ、厨子の中に安置されている秘仏「執金剛神立像」色も鮮やかで、保存状態が良い。
その他に持国天像・増長天像・広目天像・多門天像・等 国宝の山
次に手向山八幡宮に行く
手向山八幡宮は、東大寺開創のとき、守護神として、平城京南部の梨原宮に祭られ、間もなく鏡池の東に創建、鎌倉時代にここに移された。現在の社殿は、華厳宗の僧公慶による江戸時代の再建で有る。祭神は「国宝」『僧形八幡神像』は秘仏。
此処で昼食。
昼食後紺屋さんの指導により「椰子の実」「朝」「夏は来ぬ」等歌う
若草山の麓を歩く(入山出来ない日)水谷神社で小休止。
一言主神社 良き事も、悪き事も、一言だけ願いを聞いてくれる。
此処で、「1日の終わり」を歌い解散
参加者は42名 心配していたお天気も、午前中は曇り時々涼しい風が吹き午後からは、暑くなったが、雨は降らなかった。
春日大社神苑に入り、私達11名は、万葉植物園に入る。
植物園の中は、色々な紫陽花が咲き、万葉歌が植物毎に書かれていて、熱心に読まれていた人も居た。
浮舞台 (神楽を奉納する) 池の中の鯉(餌をやるとパクパクと~)
植物園を出た所に喫茶店が有り入る。「春日荷茶屋」
喉が渇いていたので、冷たいのが欲しく、「冷やし善哉」を食べる。
冷たくて美味しかった。
店を出て、近鉄の駅に向かう
大通りに出て来た所、丁度バスが来て、近鉄奈良駅まで乗る。
私の足が限界に来ていた。(ぎこちない歩行でしたが、最後まで・・・頑張った。)
約7キロのハイキングでした。