ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

お散歩に~(*^_^*)

2015-06-16 13:35:50 | 家族旅行、食事など・・・

13日の夜、「真如堂」の菩提樹の花が満開になっていると言うニュースを見て、明日見にいこうと言う事で、14日の朝食後見にいきました。

自転車で「いずみや」に行き、そこからタクシーに乗り、「真如堂」に行く。

「真如堂」 

真如堂は、石畳の参道の両側にカエデが大きく枝をはり、奥に三重塔が見え、まるでカエデの林の中に寺があるよう。本堂の前から西に降りる石畳は、紅葉のトンネルになる。赤や黄色に紅葉する桜やカエデ・モミジなどが、常緑樹の緑と重なり合う光景は圧巻。特に紅葉が夕日を浴びる時がもっとも美しい瞬間と言われている。年によって様々だが、境内の紅葉のピークは11月下旬を過ぎた頃、本堂の裏などは12月上旬頃まで楽しめる。

984(永観2)年創建。正しくは「真正極楽寺」といい、「真如堂」は本堂の名前。その本堂は本瓦葺きの立派な建物で、京都六阿弥陀の一つである阿弥陀如来立像を安置。 本堂、三重塔とも江戸時代のもので、歴史的に新しいせいか、紅葉の季節以外はあまり観光ルートにはならない。が、人気のない境内や、横の墓地のたたずまいは昔の京都を彷彿とさせる。紅葉のシーズンは非常に美しい。net引用

 

               

 中に入ると、大きな「菩提樹の樹が有りました。

近くに行くと、菩提樹の実が、匂いをはなってた。 私は余り好きくない匂いですが・・・

近くには「沙羅の樹が・・花はまだ蕾でしたが・・・

             

今日は本堂には、入れない・・・法事が有るみたいです。

本堂の横を通り紫陽花園に行く。色とりどりの紫陽花が植て有りました。

まだまだ色とりどりの紫陽花が植てあった。

              

真如堂を抜けて、会津武士の墓の前を通る。

金戒光明寺に行く。   

紫雲山・くろ谷 金戒光明寺

浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。
西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。
また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。

文殊菩薩(渡海文殊形式)


金戒光明寺の文殊菩薩と脇侍の尊像は、運慶作と伝えられています。
往古、当山北西の中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊でしたが、応仁の乱の兵火により廃寺となり近くに小堂を造って祀られていました。
その後、当山の方丈に遷座され寛永十年(一六三三)豊永堅齋が二代将軍徳川秀忠公菩提のために三重塔を建立した時に本尊として奉遷されました。
貞享三年(一六八六)刊の『雍州府誌』には「本朝三文殊の一つなり」とあり、古来より奈良の「安倍の文殊」天橋立の「切戸の文殊」と共に信仰を集めていました。
獅子に騎乗する文殊菩薩を中心に手綱を執る優填王(うてんおう)・仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)・最勝老人(さいしょうろうじん)の四躯が京都市の文化財に指定されたのを期に、経年の傷みや剥落が激しく五年をかけて修復されました。
欠失していた善財童子は古式に準じて新調し、ここに渡海文殊形式が整いました。
当山では、法然上人八百年遠忌を記念して一般の方々にも広く文殊様の御利益を頂けますよう、総檜造り本漆塗り蝋色仕様の壇に「白檀かけ」という金箔押しに生漆塗りを施した背板を取り付けた須彌壇を作り、総高二・八メートルの文殊騎獅像と等身大の眷属四躯を御影堂左脇に荘厳し、平成二十年四月二十二日御遷座開眼法要をいたしました。

まことある かなわぬみちも かなふなり
ましてほとけの ちかひあるをや net引用

 

             

               上人さんの幼名(せいしまる)

上り、下りのアップダウンが有り、随分と歩きました。 丸太町通りに出て、204のバスで、「いずみや」まで戻り、昼食の買い物をして自転車で帰りました。 約3時間の散歩でした。