ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

高松・栗林公園

2010-10-21 20:55:27 | 家族旅行、食事など・・・
朝6時前になると皆が目覚め、カーテンを開けると、うっすらと海のかなたが明るくなっている。
今日の日の出は、6時7分と書いてある。

早速デジカメを持ってきてチャンスを伺う~雲がかかって、朝日が見えるか心配・・・時間がたつにつれ雲が晴れて、何枚か撮れました。


部屋から見た朝日。 朝日を見て3度目のお風呂に行く


レストランで朝食を食べ、ラウンジでコーヒを飲み、部屋に帰り、帰り支度をして、ホテルの車で高速のバス乗り場まで送っていただき、高松行きの高速バスで「栗林公園」まで行く。


東門から入る。                    団体さんが写真を撮られる場所です。


S君と旦那はチョットひと休み


民芸館では、瓦が展示されていた。


根上り五葉松

お腹がすいたので、小松亭で「讃岐うどん」を食べる。


卵うどん こしが有って美味しいかったわ~

お腹も膨れて又見学に歩きだす。

池が沢山あり、此処の池は皆繋がっており、お腹がすくと、人の多い処に来て餌を貰う。園では餌は与えていないのに、太っている鯉が多いです。


私達も、鯉の餌(麩)を2本買いちぎってやると、沢山寄ってきて食べてる



飛来峰(ひらいほう)
国の特別名勝に指定されている公園の中で最大の面積を持つ栗林公園は、紫雲山を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し、江戸時代初期の回遊式大名庭園として、
優れた地割り、石組みを有し、木石の画趣に富んでいる。
沿革
元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、西南地区(小普陀付近)に築庭されたのに始まるといわれ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公
によって、南湖一帯が造園され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれた。
以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ねて延享2年(1745)に完成させたもので、明治維新に至るまで松平家11代228年にわたり、下屋敷として
使用された。
明治4年(1871年)高松藩が廃され、新政府の所有となったが、明治8年(1875年)3月16日、県立公園として一般公開され、現在に至っている。
公園面積:総面積 約75ヘクタール(約23万坪  net引用


芙蓉峰

帰りの高速バスの時間が、15時48分しかなく、それまで時間つぶしに、園を一回りしようと話していると、ボランテァの人が、声をかけて下さり、未だ観ていない北周りを案内して下さり、時間が近づいてきましたのでお礼を言って、「栗林公園」を後にして高速バスに乗り込み、京都駅19時20分チョット遅れて到着
夕食を「がんこ」で食べて、Yちゃんと別れ、家に着いたのが21時半疲れましたが、楽しい充実した2日間でした。(^0_0^)