ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

昨日は、「磐余の旅」ハイキングでした。(*^_^*)

2007-09-24 16:34:59 | 万葉関係

朝5時過ぎに起き~お弁当を作って~7時過ぎにに乗り~集合場所に行きました。

8時前に着いて~待って居ると、会員さんがボチボチと集まって来られまして~ に乗り込むようになると、25人ほどの人になり~集合場所に行くまでに、各駅から~乗り込んで来られて~最終の集合場所では、男性が36人、女性が10人で、合計46人になりました。

最初に行きましたのが~R169号「磐余橋」(別にR165号と寺川にかかる、いわれ橋が有るそうです。)

R169号とR165号の交差点を南下、[土舞台]に着き草原の広場に出ました。

此処は、聖徳太子(推古朝)の提唱されたと言う日本最古の国立劇場で、新羅の味麻之に伎楽舞を少年達に習わせ演戯を披露したのが始まりです。

現在も篝舞が受け継がれているようです。

万葉歌 「つのさはふ 磐余も過ぎず 泊瀬山 何時かも越えむ 夜は更けにつつ」

(まだ盤余さえも、まだ通り過ぎていないのに、泊瀬山は、何時越えることが 出来るであろうか 夜は次第に更けていくがー。) 春日蔵首老。

次に、「安倍文殊院」に行き~希望者は、抹茶を頂きながら~ご住職の説明を聞き~文殊菩薩(本尊)を拝観してご利益が有る様にとお札をお受けしました。

境内の木陰で昼食をして~浮き御堂を背景に記念撮影をした。

浮き御堂には、「安倍倉梯麻呂」・「安倍仲麻呂」・「安倍清明」等が祭られています。

次に行ったのが~西南に接する「安倍寺史跡公園」で、基壇(址)等を見て創始された当時は、法隆寺式伽藍配置の壮大なお寺だったようです。

安倍仲麻呂 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」

               古今和歌集巻第九ー406

此処が、「安倍文殊院」の前身と言われています。

次に、「磐余」を探りながら~ハイキングを続ける。

「磐余諸宮」・磐余・若桜宮、磐余・稚桜宮、磐余・ミカ栗宮、磐余・玉穂宮、訳語田(オサダ)幸玉宮、磐余・池辺叟槻宮、磐余・神前宮、橿原畝傍(神日本磐余彦)等等の諸宮の名称が見られ、「磐余」を実感され~「磐余の池(址)」にたどり着く

    大津皇子の悲劇  

万葉歌 「わが背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に わが立ち濡れし

      「二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ

                                       大伯皇女 

      「ももづたふ 盤余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

                                       大津皇子

臨終詠  「金烏西舎に臨らひ 鼓声短命を促す 泉路賓主無し 此の夕家を離りて

       向かふ                           大津皇子詩賦   

      「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む

                                       大伯皇女 

「考察」 「盤余」の旅は、大学院コースとも言われ~道(線)ではなく、一般的に言われる由来・来歴・でもなく面で捉える地名と理解し、寺川より西香具山北麓辺りまでの地域と理解すべきであろうとの説明でした。

写真は、安倍文殊院の浮き御堂を背景した所で写した写真です。