ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

チェリー

2012年04月01日 | 名曲

  
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 平成24年(2012年)3月30日をもって、異動により21年間勤務した今の職場を卒業することになりました。
 そう、転勤ではあるけれど、自分の中ではまさに「卒業」なのです。


 この何年かはいつ転勤になっても不思議はなかったので、心の準備はできていたつもりでしたが、いざ転勤が決まり、年度末が近づいてくると、いろんな思い出が蘇ってきました。
 同い年の大親友が、部署は違うけれど入れ替わりにこの職場に戻ってくることも、嬉しいニュースではあったけれど、寂しさをつのらせる一因でもあったような気がします。


 まだまだ精神的に幼かった21年前に今の職場に配属され、悩み、怒り、傷つきながら過ごしてきました。本当に生意気で鼻持ちならない若造でしたが(今でもかなり子供じみてます…汗)、自問自答を繰り返す日々でもありました。そのうち徐々に本当の「感謝」の意味が肌で分かるようになり、縁の大切さを知り、周囲に支えられていることが実感できるようになりました。
 音楽の世界で学んだこともどしどし応用しました。「声をかけてもらってナンボ」「人をどれだけ感動させられたかが仕事の結果の物差し」「100%ではダメ、101%以上を目指せ」「評価されるために仕事をするのではない。ただ日々全力を尽くすのみ。その結果、何かひとつでも良い方へ変われば満足」「他の人がやりやすいように仕事をまわす」「できることは何でもさせていただく」・・・などなど。
 ぼくのデスクのバインダー入れには「人間性 プロ意識 遊び心」という、自分なりに大事にしている3ヵ条を貼って、自分を振り返りつつ日々を過ごしたものです。
 21年、今の職場は仕事場であると同時に、勉強の場でもありました。21年間育てて頂いて、ついに卒業です。
 でもまだまだ至らないことだらけ、せめて「こうありたい」という目標は持ち続けたいです。


     
 

 途中、体調を崩して2年半以上お休みさせて頂いたこともありました。音楽の世界でのボスが早逝したことで打撃を受けたもあり、この時期を含めて4年以上も音楽から完全に遠ざかりました。
 今は、応援してくださる方々のおかげで、昼も夜も充実しています。
 確かに全力はキツいです。でも、全力を出し切ることによって味わえる達成感や満足感は何にも代えがたいものです。たとえ今しんどくても、2年後3年後に振り返って「あの時はキツかったけど楽しかった」と思えるよう、悔いの残らないよう過ごしてきたつもりです。


 自分のエネルギーの源は、これです。「生きているうちにやりたいことはやり、行きたいところには行き、会いたい人には会う」。
 後悔しないように残りの人生を過ごそうと、ある意味開き直ったんですね。
 いつ人生の終わりが来ても、「やり残したことはあるかもしれないけれど、少なくとも自分は今日までやり倒したよな!」と思えればいいかな、ってことです。
 今までは、「誰かに喜んでもらおう」とか「いい仕事をまわしてもらおう」という、いわば「評価」と「報酬」にとらわれていました。でも、ハードルを高くするのも自分、そのうえで全力を尽くすのも自分、責任を負うのも自分、というふうに開き直ったら、自分から積極的に仕事を追い込めるようになった気がしました。
 仕事の報酬も、いつの間にか自分の仕事に対する動機付けではなくなっていました。お金のために働くのも間違ってはいないと思いますが、以前は給料日が一番楽しかったのに比べると、今は満足できる仕事ができた日がすべて楽しいので、生きていることが格段に充実しているように感じます。
 

 3月30日は、21年間の思いをこめて仕事をしました。次の方に自分の仕事を回さないようにしたかったけれど、こんな日に限って大量の書類が回ってきます。その合間に敷地内を走りまわり、声をかけてくださる仲間と名残りを惜しみ、自分のデスク周辺を片付け。。。残された数時間はあっという間でした。
 日が暮れて薄暗くなってきた頃、別部署の上司FNさんに声をかけられました。「最後までがんばったなあ。辛いこともあっただろうに」。張りつめていた何かが緩みました。お礼の言葉が震えました。FNさんはいつも声をかけて下さっていたよなあ。
 その直後、また別部署の上司IAさんが涙でねぎらいの声をかけてくださいました。IAさんもこの職場が長いだけに、名残りを惜しんでくださいました。その後は、以前一緒に食事をしたりした、自分にとってはかわいい後輩のHRさんと固い握手。
 最後の日は「清々しい涙を一粒だけこぼし、笑顔で玄関を出よう」と決めていたのですが、もうそれどころじゃなくなっていました(^^;)


 なんとか仕事を終えたのが午後7時過ぎ。職場のNo.2のOYさんの部屋に挨拶に行きます。OYさんはすごく尊敬できる方だし、連携を密接にとって仕事をしてきただけに、言葉になりません。「わたしが、今まで言わなかったことで、ひとつMINAGIさんにお礼を言いたいのは、」といってOYさんが教えてくれたこと、それは誰も気づいていないと思っていた小さなことでした。ここまで見ていてくださったんだ、と思ったら涙が止まらなくなりました。部屋には、やはり転勤が決まった、この職場に思い入れにあるOCさんがいましたが、OCさんと一緒に大泣きしてしまいました。年を取ると涙もろくなっていけないですね・・・(^^;)


 そのあと、職場のボスのFYさんの部屋へ。ここでも涙、また涙です。FYさんはぼくがここに来た頃から気さくに話ができた方で、転勤ののち今年度ここに戻られた方です。そのFYさんに送り出していただけるのは最高のはなむけかもしれません。ひとしきり思い出話をしたあと、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出ました。
 ほかにも昨年までのボスKHさん、昨年のNo.2のHTさん、今年退職された恩人のNE部長、別部署だけど仲良くしてくれた多くの方々、同じ部署の方々、いろんな人のことが思い出されました。
 玄関を出たのは8時前。まだ目は潤んでいたような気がするけれど、ひと段落ついたような、ホッとしたような、充実感と達成感を味わいながら胸を張って職場をあとにしました。
 今はひとりひとりにお礼を言いたいです。


 「チェリー」は、そのNo.2のOYさんの大好きな曲のひとつです。
 去年秋、一度だけOYさんと市内に出張にでかけました。とても楽しい出張でした。ぼくの車で移動したのですが、その時に車載のiPodから流れてきて思わずふたりで大合唱したのが「チェリー」だったんです。


     
      スピッツ

 
 「チェリー」はスピッツの13作目のシングルで、1996年に発表されてオリコン・チャート1位になりました。
 1990年代といえば、ぼくがJAZZのおもしろさのいろいろな面をよりいっそう分かってきた頃で、楽器の演奏に重点を置いていました。また、骨太なサウンドを出すロック・バンドが少なくなっていた気がして、ROCKにさほど魅力を感じなくなっていたので、音楽をあまり聴かなくなってもいました。
 今頃になってふとした拍子にその頃の曲を聴くと、「こんないい曲あったんや~~」と思うことがしばしばです。。。(^^;)


 フレンドリーなメロディーに、ノリノリのゴキゲンなリズム。コード進行も良い意味でオーソドックスです。90年代が生んだ、いつまでも残る名曲のひとつでしょう。
 「『愛してる』の響きだけで 強くなれる気がしたよ」、この部分の歌詞は、自分にとっては最高です。温かい声ひとつで人は勇気を持てるんですよね。
 「チェリー」をふたりで歌ったことは、いつまでも忘れることがないでしょう。



[歌 詞] 


◆チェリー
  ■歌・演奏
    スピッツ
  ■シングル・リリース
    1996年4月10日
  ■作詞・作曲
    草野正宗
  ■編曲・プロデュース
    笹路正徳&スピッツ
  ■収録アルバム
    インディゴ水平線(1996年)
  ■スピッツ
    草野マサムネ(vocal, guitar)
    三輪テツヤ(guitar, chorus)
    田村明浩(bass, chorus)
    崎山龍男(drums, chorus)
  ■チャート最高位
    1996年オリコン週間チャート1位
    1996年度オリコン年間チャート4位(売上枚数約161.3万枚)
    オリコン歴代シングルランキング69位(2018年現在







 
 


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2 コメント

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Unknown (にゃる@)
2012-04-03 12:47:25
異動のこと、初めて知りました。
お疲れ様でした。
職場でステキな方たちに囲まれてよかったですね。
返信する
にゃる@さん (MINAGI)
2012-04-15 22:36:54
ありがとうございます(^^)/
4月からは感慨にふける間もなく怒涛の日々でした。
転勤を機に初心に返ってがんばります!
返信する

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