ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ターニング・ポイント?

2011年08月30日 | 価値観
                    道頓堀の人気者、くいだおれ太郎。相変わらずの人だかりでした。曙太郎とドラムを替わるんかな?(注:FANTAのCM参照)
 

【Live Information】 


 時はひたすら黙々とパルスを打ち続け、気づけばいつの間にか貴重な時間が浪費されているという・・・(汗)
 あまり「忙しい」とは言いたくないのですが、己のスケジュール管理のなさのせいでえらくタイトな日々を過ごさざるを得なくなっています。ただ「多忙なのもひとつの『幸せ』かもしれない」、という思いはしっかり持っています。
 

 ぼくは、自分のデスク脇に「人間性」「プロ意識」「遊び心」の3ヶ条をメモった付箋をひっそりと貼りつけていて、ことあるごとにそれを見直すことにしています。これを見ると初心に帰れるんですね。いま自分にもっとも必要なこの3ヶ条、心してかかからねば。
 最近、たくさんの方々との関わりを通じてヒントになる言葉を頂くことが多く、自分の未熟さを思い知らされています。そういう刺激になる言葉を聞かせてくださる方は総じて「プロ意識」の持ち主で、貴重な体験を元にしたその言葉の重みはいうまでもありません。お手軽にカッコいい言葉を振り回し、「カッコいい言葉を発している自分に酔っている」だけの人たちとはやっぱり違うな~、と思っているところです。


 とにかくこの1~2ヶ月で話し込んだ方々との時間は、みな貴重なものでした。8月1日には、午前中神戸で某ピアニストにアンサンブルのレッスンを、午後は京都で某ベーシストにベースのレッスンを受け、夜は大阪で某シンガーと会って食事してきたのですが、そろいもそろってこの三人のミュージシャンがある領域(あいまいな表現でスミマセン)について同じ発言をしたのには驚きました。自分が「自由」「個性」と「好き勝手」「やりたい放題」をはき違えていたことに気づかされたわけです。これが理解できただけでも濃厚な一日でした。
 また先日、ある歌い手さんを倉敷に案内させて頂いた時も当然のように音楽談義になりましたが、彼女から伺った音楽に対する姿勢とか音楽観も、聞いているだけで背筋が伸びる感じがするものでした。
 ステージを共にした仲間たちからも後押ししてくれてる感のあるメールや言葉をもらったり。
 重みのある言葉は本当になんらかのエネルギーを持っているんですね~。


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 26日金曜から28日日曜まではプチ関西"ツアー"でした。
 この3日間のできごとは、現象としては珍しくないことだったのかもしれませんが、自分の演奏スタイルや、価値観についてのターニング・ポイントになる予感が大です。
 「ベースのあり方」の道はいろいろありますが、「今はこの部分を重視してやってみよう」という意識が日々明確になってきています。どれだけ進化・成長できるかはわかりませんが、貴重な意見を忌憚なく投げかけてくださる、ぼくにとっては得難いミュージシャンに、早く進化した自分を聴いてもらえる日が来れば、と思います。


 反面、自分の底の浅さ・小ささ・足りなさもしみじみ感じています。
 今の状態では、何を語っても説得力がなさすぎ、というか・・・。
 音楽について表面上あれこれ言えることはできるけれど、「オマエが言うな」と突っ込まれても仕方がないんですよね、いまの自分は。
 自分の中の改善が必要だと思えるところは、演奏のスキルそのものだけではなく、取り組む姿勢や心構え、音楽性、人間性にまで及びます。
 「気を取り直して、再スタートを切らねばならない」と意気込む反面、「こんな自分があちこち出ていっていいものだろうか」と、ちょっとクラ~く(汗)なっているのも事実です。
 それでもスケジュールは待ってくれない。9月はかなりたいへんな状況なので、ひとまずそれに向けてやるべきことをやりたいと思います。

 

26日午後、姫路白鳥PA。


同日、山陽自動車道木見支線シブレ山トンネル。ピクニックの穴場的雰囲気がします。


同日夜、大阪中崎町バルコスタ。リハーサルを終えて。


27日午前、神戸北野坂~異人館周辺を散策。


27日夕方、西宮アルフェッカの外観。この日午後は猛烈なゲリラ豪雨で警報まで出るしまつ。梅田も冠水してました。


アルフェッカの中。これもリハ後のひととき。


28日。これも難波の風物詩、グリコの看板。人、人、人で、まさに芋の子を洗う状態の日曜午後。


28日夜、心斎橋JANUSにて。仲良くしてくださるバンド、Milkywayのライヴ。対バンのTHE PLEASURESも聴けて良かった(^^)


 あ、そうそう、7月30日のライヴの動画がupされておりました。にゃる@さん、ありがとうございます(^^)



「雨に日と月曜日は」 2011.7.30 @岡山セカンド・シンプソン 佐々木晴子(vo) 入江美佐子(pf) 成瀬均(keyb) 皆木秀樹(b) 廣田秀雄(drs)




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Time Is Gonna Come

2010年12月19日 | 価値観
            △相棒です。また力を借りる時がやってきました。

 
 今朝、自分のブログをボンヤリと読み返しながら、浜田省吾の「MONEY」の動画を観ていたら、不意に涙が出てきました。「アレ?なんで?」と思ったんですが、そのままハマショーの熱い歌を聴いていたらポロポロ涙がこぼれて来て。。。年を取ると涙もろくなっちゃうんですね~(^^;)
 この1ヶ月、とくに先週以来の1週間で人との繋がりのありがたみを思いっきり味わっています。こんなに応援してもらっていいんだろうか。こんなに温かく接してもらっていいんだろうか。
 みんなどうもありがとう。
 ※こんな月並みな言葉しか思いつかないぼくに誰かブ厚い辞書を贈ってください(^^;)

 どこから書こうかな。
 先週火曜日に、友達のドラマー君から連絡がありました。「来月上京するので、とりあえず岡山での叩き納めをします」。
 理由を聞くと、某大物ロック・ミュージシャンのバックで叩くことになり、ツアーに同行することになったんだそうです。ぼくはもうメッチャ興奮!だって必死で叩いてきた友人の頑張りが報われるんだから。良かったなあ~。
 「だから今夜聴きに来てよ」「よっしゃ行く行く、絶対行くわ~♪」


 その夜の会場が、倉敷市にある老舗ライヴ・ハウス「アヴェニュウ」です。
 彼は奥様と来ていたので、彼がお客様にあいさつしたり、演奏したりしている間に奥様とずっと話していたんですが、そこで彼女から聞いた話は、、、
 「彼は、『うまいベーシストはたくさんいるけど、オレが岡山で認めるベーシストはMINAGIだけなんだよ』っていつも言ってましたよ」
 「彼は、MINAGIさんが休んでいたこの数年は、自分の仕事にベーシストを使ってなかったんですよ」
 ・・・。
 ぼくは思いました。「もう彼には足を向けて寝ることができないな」
 嬉しかったなぁ。


 実は「アヴェニュウ」は、以前ぼくも出させて頂いていたお店なんです。オープンして40年以上になる、日本でも有数の老舗ジャズ系ライヴ・ハウスで、たいていの観光ガイドにも載っている有名なお店です。
 すぐにお店のお母さん(愛称トンちゃん)のところに行って不義理をお詫びし、近況を話しあっていると、お母さんが急に「MINAGI君のいい日でいいから、復活ライヴをやってよ」・・・!!!
 もうビックリ。だってそんなふうにすぐに後押ししてもらえるとは思ってなかったから。。。
 「やるなら、その時演奏してオシマイ、なんじゃなくて、未来に繋がるようなことをやりたい。ミュージシャン、お客様、お店のみんなが心から喜べるようなことをやりたい。そのためにはそういう志や意識を持って全力でプレイしてくれるミュージシャンと共演したい。そんなメンバーを集めるから、時間をください」という条件でありがたくお話をお受けいたしました。
 いろいろ考えた末、お願いしたミュージシャンたちはふたつ返事で快諾してくれました。体調が快方へ向かっていることを喜んでくれたドラマーさん、「MINAGIさんのためなら」なんて泣かせるセリフでOKしてくれたギターさん。
 そしてこの記事を書いている最中にピアノさんから連絡がありました!快くOKを下さいました。(なんと昨日偶然このブログを発見、そのうえ帰宅したらぼくからのメールが届いていて二重にビックリしたそうです)

 では、恥ずかしながら、ブログを私物化して(、、、というかもともと私物でした)告知します。


 ☆Restoration LIVE 皆木秀樹 with 杉江稔、三浦敦子、下茅良☆
 【場所】倉敷アヴェニュウ 
 【日時】2011年3月6日(日)
     18時30分~、19時30分~、20時30分~
     (3回ステージ)
 【ミュージックチャージ】1000円
 【出演】皆木秀樹(wood & electric bass)
     ※ビートルズで洋楽に目覚め、高校時代にビッグ・バンドでジャズを始める。地元のほか、関西方面のライヴ・ハウスやホテルなどでも活動。来年は復活します(^^)
     杉江 稔(drums from八尾)
     ※「紙ふうせん」のサポート・ドラマーとしてデビュー。「津田清& HIS TOP MEN」などに参加するなど、大阪を拠点に関西で活動を続けている名ドラマー。人柄・演奏技術とも多くのミュージシャンに信頼されており、非常にグルーヴィーなプレイを聴かせる。演奏活動のほか、音楽専門学校講師などを務めており、現在では自身のドラム・スクールを主宰して後進の指導に当たっている。
     三浦敦子(piano from神戸)
     ※大阪音大時代にジャズと出会い、以後阪神間を中心に様々なシーンで精力的に活動しているピアノ・キーボード奏者。ハートフルな演奏はとても魅力的で、多くのミュージシャンと共演している。同時に神戸市須磨区で自身の音楽スクールを主宰、幅広い年齢層に音楽の魅力を伝え続けている。
     下茅 良(guitar from東大阪)
     ※ジョン・ロートン(vo.元ユーライア・ヒープ)のサポートを皮切りに、数多くのミュージシャンのバックを務める関西屈指のギタリスト。プロデューサー、ギター講師などとしても活躍している。幅広い音楽性、豊富な知識、音楽に対する姿勢などで多くのミュージシャンから厚い信頼を受けている。


 今のところこんな感じです。JAZZ系のインスト中心に、楽しくて、くつろげて、熱くて、温かい夜をお届けするつもりです。
 有末さんの奥様に報告すると、なんとすぐ倉敷行きを決めてくださいました。4月には富山へ引っ越す友人のジュンちゃんも「おめでとう!絶対行くね」
 そのほかにも、サックスの赤田君、クラリネットの熱田君など応援してくださる方が次々と・・・。こんなにしてもらっていいのかな。
 ビックリするくらいトントンと話が動いてしまいました。ありがたいことです。後押ししてくれる人たちにどうにかして恩返ししなくては。。。そのためには、さあ練習練習!


 さて昨夜は職場の忘年会でした。基本5時以降は職場の人には会いたくないので飲み会には参加しない主義なのですが、もういつ転勤になるか分からないので「一度くらいは」と思って出席しました。
 ちょっと早く着いたのと、「職場の宴会ギライ(^^;)」から来るプレッシャーで、落ち着くためにある人に電話してみました。九州在住のピアニスト、Nさんです。
 いや~、話がはずんではずんで。音楽観も幅広く、「懐の深い方だなぁ」としみじみ思いました。彼女に3月の復活ライヴの話をしたら、「時が来たんですよ」。その言葉をこの記事のタイトルに使わせてもらった訳です。
 実はこの23日に彼女の音を聴きに行くんですが、もうメッチャ楽しみ!その日の話はまた後日♪



 そして、忘年会のあと必ず寄ろう、と決めていたお店がみっつありました。いずれも体調を崩して以来だから5年ぶりです。そして、、、

 3か所とも再会をとても喜んでくれました。

 まずは「Dining Bar 桜Ya」。
 オーナー・シンガーのNATSUKIさんがひとりで切り盛りしているアット・ホームなバーです。
 NATSUKIさんとは価値観が共通するところが多いので、安心して共演できるんです。歌を大事にし、お客様を温かくもてなそうと、日々奮闘しています。
 相変わらず気さくでキュートでチャーミング。話に花が咲いていたところ、お客様がNATSUKIさんに歌のリクエストをしたので急遽ピアノで参加!「レット・イット・ビー」と「イマジン」の2曲を厚かましくも弾かせていただきました。楽しいぃぃぃ~~(^◇^)
 みなさま、岡山市にお越しの際はぜひ柳町のDining Bar「桜Ya」へ!


 続いて表町のBar「Second Simpson」へ。
 ここはかつてNATSUKI(vo)さん・有末佳弘(pf)さん・HIBIKI(drs)さん・名定澄子(keyb)さんと共演した、思い出のお店です。
 マスターの和田君は若いけれど苦労人です。きちんと修行した一流のバーテンダーで、腕は良いし男前だしトークは心地良いし、そして人柄も言うまでもありません。
 ひとしきり思い出話がはずみ、あっという間に時間は真夜中。気持ちの温まった、ステキな時間でした。
 ここでは、なんと、「生徒さん」というか、「妹分(or娘?...汗)」ができてしまいました。彼女はウッド・ベースに惹かれて、楽器を衝動買いしたそうです(^^;)。理由があってぼくは人を教えることを断ってきたのですが、和田君からのお願いだし、とりあえず気楽に質問・相談を受けるだけなら、と思って、「先生役」を引き受けさせて頂くことになりました。
 あるレベルまで来たら「鬼先生」に変身するつもりだけど、それまでは思いっきり音楽と演奏の楽しさを味わって欲しいと思います。ぐぁんぶぁれ~
 みなさま、岡山市にお越しの際はぜひ表町のBar「Second Simpson」へ!


 そして最後は田町の「Fukuchan」へ。
 ここは、オーナーで鍵盤奏者の「フクちゃん」こと福安さんが、生演奏でお客様の歌の伴奏をしてくれます。プレイヤーも集まるので、時としてセッションも繰り広げられる、楽しいお店です。
 フクちゃんのあったかい笑顔、素晴らしい演奏、穏やかな人柄で、お店はいつもいっぱいです。
 5年ぶりにお店に入ると、まずスタッフ君が名前を覚えていてくれたのにビックリ!
 入れ替わり立ち替わり歌うお客さんたちの歌とフクちゃんの演奏を聴きながら、しばしノンビリ。そうしているとフクちゃんから「やろうよ(^^)」とお声がかり。
 ここではベースで参加させて頂きましたとも。
 まずは、と思ったら、お客さんのリクエストで「トップ・ガン」。ト、トップ・ガン???
 え~と、たしかケニー・ロギンスだったっけ・・・、どんな曲だったかな~(汗)頼みのフクちゃん(レパートリーはなんと10000曲を超えているらしい)もド忘れした様子。「トップ・オブ・ザ・ワールドではダメでしょうか」とボケてみても許してもらえず(^^;)、結局お客さんが持っていたモバイルで音をざっと聴き、キーだけ確認して「え~い、やってみたれ~~!」
 ひとまず納得していただけたようなので、もう1曲、アリスの「遠くで来て汽笛を聞きながら」を演奏。ノッているフクちゃんの歌声(ヴォーカリストでもあるんです)を聴いていると、なんだか嬉しくなってしまいました。
 あとでおそるおそる「どうだった?感覚戻ってると思う?」と訊ねると、笑顔で力強く「大丈夫、戻ってるよ!(^^)」 フクちゃんに言ってもらったら安心するな~
 みなさま、岡山市にお越しの際はぜひ田町の「Fukuchan」へ!(こればっかやな・・・汗)


 そんな訳で、家にたどり着いたのは2時半をまわっていました。
 きっとみんなの温かさ、優しさに触れて、気持ちが高ぶっているんでしょうね。
 その高ぶりの表れが今朝の涙だったのかな。
 ぼくは自分が好かれるたちではないと思っているので、よけいにみんなの気持ちが嬉しく感じられるんです。
 きっとぼくは、幸せものなのかもしれません。
 でも、「その幸せはみんなからいただいたんだよ!」と大声で言いたい気分なのです。
 ありがとう。



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ユーミン語録

2010年09月12日 | 価値観

          △・・・・・・(TДT)(今日の惨事)


 ユーミンといえば、一時代を築いたスーパー・スターですよね。
 ぼくは、なぜか「松任谷由実」にはあまり心が動かないのですが、「荒井由実」はすっごく好きなんです。
 その個性的な言動に対しては、好き嫌いがはっきり分かれるところでしょうが、ぼくは「実力の世界では、実力のある者は基本なにを言っても許される(ただし力が伴っていなければ消えゆくのみ。そこらあたりは自己責任)。芸術に深く足を踏み込んでいる人はある意味『破綻』していることが多い」と思っているので、ユーミン発言はとても興味深く捉えています。
 ただし、他人の容姿をこきおろしているものや、先輩に対する傲慢で無礼な発言は論外だと思います。
 いろいろ拾い集めてみたので、興味本位でご覧ください(真実かどうかの検証はしていないので、『ネタ』程度に認識しておいて下さいね)
 では! 

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【以下追記→】松任谷由実さんを攻撃・中傷する材料としてこの「ユーミン語録」が使われるケースが増えているようです。お断りしておきますが、真実かどうか検証していない「単なるネタ」なので、この記事では松任谷由実さんの人間性を判断することは不可能です。
 松任谷由実を否定したい人がこの記事を引用できるのと同じく、松任谷由実のキャラクターがユニークであること、あるいは彼女の偉大さの裏付けとしてこの記事を引用することも可能です。つまり、引用したい人の思惑によって(この記事の紹介の仕方によって)どんな意図にも誘導できるだけのことです。
 また、この記事で松任谷由実の音楽性を(否定的に)云々するツイートも見かけますが、この記事ではそんな判断はできないと思います。個人的には、松任谷さんの音楽に対する厳しい姿勢が伺える部分が垣間見える、と思っています。
 たしかにすべてに賛同はできませんが、それは松任谷さんが「自分とは違う人間である」というだけのことです。自分以外の人と考え方が全て同じなんてありえないことです。考え方・感じ方は違って当然なのです。もっと言えば、松任谷さんを否定したい方々は、勝手に期待して勝手に失望しているのです。
 松任谷由実さんの言動に賛成できないというだけで人格や考え方まで否定するのは間違っているのではないでしょうか。
 ちなみにぼくはユーミンのアンチでも信者でもありません。たくさんの佳曲を世に送り出した素晴らしいミュージシャンとして尊敬しているだけです。【←追記終わり 2020.9.2】
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「あたしは時代とシンクロしちゃいましたからね、幸運にも。60歳くらいまでこのままでやれると思う。もしもあたしが売れなくなるとしたら、日本の社会が何か変わる時だと思う。ひばりさんが日本の復興の象徴だとしたら、あたしは繁栄の象徴なんです」

「私が売れなくなることなんて銀行が潰れるくらいに有り得ない」

「私の音楽はブルジョア向けの音楽。貧乏人は相手にしてない」

「私は天才。安い値段で私のCDを買えることを有り難く思え」

占い師に鼻の相が金持ちになれないと言われて余裕で否定、「既に金持ちだったんで」

苗場のコンサートでの第一声「一般大衆のみなさん、こんにちは」

ゲイ人気があることについて「なんてーゆーのかなお友達感覚?」

フェラーリを買える額の着物で姪の結婚式に出かけ「この不況に買ったんじゃなくて前から持ってた、まあ今でも買えますよ」

たまごっちが誕生日プレゼントだった年「あたしの誕生日プレゼントがたまごっちだったってことは当時どれだけたまごっちが貴重だったかわかるでしょ」

荒井由実時代、歌番組で呼び捨てされた司会者に「"さん"をつけてください」

由実帰宅時雨がやんでいたので傘を持ってきた使用人に「こんなもの持ってきて邪魔になったじゃない!」

デビュー当時、イベンターに「頑張って下さい!」と言われ「おい、今なんて言った?覚えとけよ」

ファンがユーミン邸の前に花束をプレゼントで置いたことについて、「便所花クラスの花は、迷惑なの!」

「14番目の月」の発売インタビューの時、「私の歌は商業高校とかに行ってるコには聞いて欲しくない」

短大生の文化祭出演依頼を拒絶、「短大とは関係を持ちたくない」

とび職の人に「学歴もなく土建業なんかをしてる人にコンサートにこられたら質が落ちる」

阪神大震災直後のラジオにて「私ね、チャリティーって大嫌いっ!」

ファンが子供を連れてきて「握手してあげてください!」を拒絶、「私、子供嫌いですからっ!」

ANNの生放送で「おい、まだお茶持ってこねぇの?早くしろ!! 喉渇いてんだよっ!!まったくここ、役にたたねぇスタッフばかりだな!!」(オフレコのつもりが音入ってて、全国に罵声が流れる)


     


本田美奈子が“ザ・ベストテン”や音楽雑誌で 『アイドルではなくアーティストと呼ばれたい』宣言をしたことに対して、「本田美奈子ごときがアーティストなら、私は神様」

坂本冬美とこまどり姉妹を「それしきの人」

山田美保子の連載を見て「美容のこと書いてる割に自分の顔は変わらずブスな人」

小沢健二に「春よ、来い」をなぜ500円で発売するのか問われ、「もう金なんていらねーや」

坂本九に「顔にフジツボ虫がいそうで気持ち悪い」

山口百恵に「日本のアイドルのグレードの低さを感じちゃう」
※百恵さんのグレードが高いゆえ他が低く見えるというのが本意らしい。

森高千里へ「あんな中学生の日記みたいな詩で印税入って来るなんていいですね」

女性シンガーソングライターとして中島みゆき、五輪真弓らと3人娘として取り上げられた時、「五輪さんはちょっと違うわよ。そんなに才能が無いもの」

五輪真弓に「一回転させて戻ってきたような顔」

竹内まりやに「名前は知っていますが、やってる事に面白みがない。 全く興味ありませんね」
※プライベートでは会ったことがあるそうなので、仲が悪いわけではなさそう。

『赤いスイートピー』を提供した松田聖子サイドに「あんな変なアイドルなんかに曲書かなきゃ良かった。印税返すから曲返せ!」

ラジオ番組のリスナーから『実は弟が売れない歌手なので、曲をかけて上げて下さい』というお願いリクエストがあった。ユーミンはそれに激怒、「かけて欲しかったら、ここまでのし上がって来い!」
※その売れない歌手→当時無名の中西圭三

自分たちのCDを聞いて下さいと渡そうとするキュリオに対して「CDもらってもゴミ箱に入れるだけだから持って帰りなよ。」

桑田佳祐へ
「何でもかんでも英語使いすぎなのよ!」
「桑田さんの変な英語に曲つけるのは、かなり大変だった」(メリークリスマスショウ2回目で本人前にして)

美空ひばりに「あの程度だったら私にも出来る。フフフん♪」(東京ドームの不死鳥コンサートを見に行った後の感想)

中森明菜に「差し歯が綺麗な人ね」

森進一&森昌子に「売れてないのに偉そうなことするな」

工藤静香へ「あの病気持ちみたいな女」

アリスへ「嫌いなんだよねぇ!はっきり言って、お願いしたくないのね(笑)100万円払ってもお願いしたくないのね(笑)」

観月ありさへ「もう二度とあんな奴に曲書いてやるもんか!」

林真理子へ
「あなただんだん松本清張に似てきたわね」
「あんた、直木賞取ったとたん、エラくなったわね」

大槻ケンジへ「大槻くんは天才です。天才の私が言うんだから間違いありません」

高中正義へ「あんたっていつも腫れぼったい目してるのね」

久保田利伸へ「ええ、彼には楽器として参加してもらいました」(久保田がコーラスで参加したことに対してのコメント)
※歌手ののどはしばしば楽器に例えられるので、この発言は久保田の実力を信頼してのものだと思われます。

渡辺美里へ
「5頭身の不細工な勘違い女」
「エネルギーを外に発散させるだけでは魅力を感じない」
※これに対して渡辺美里は自著で『その人(ユーミンのこと)は私の存在が、煙たかったのかもしれないし、鬱陶しかったかもしれないし恐かったのかもしれないわ』と反論。

中山美穂が『ユーミンの曲はコード進行が単純なので好きです』と発言した事に触れて「中山如きにコード進行を語られるようなら私も落ちたものよね!」

ドリカム吉田美和へ
「ダイヤには敵うわけないのよ。ジルコン(注:ダイヤの代用品)のくせに!」
「ド田舎フレーバーの勘違い歌姫。似合いもしねぇのに、浸ってんじゃねぇよ!っていう」

小室哲哉へ「華奢で病弱そうね!」
※これに対して小室も反撃「相変わらず図太い声ですねぇ(笑)」

福山雅治へ「福山君がゲストで来た時、私と結局一度も目を合わせてくれなかった…」(ANNで福山雅治がゲストに出た時を振り返って呟いた珍しく弱気な一言)

宇多田ヒカルへ「才能?ありきたり。それでも『売れるということ』はステキね。ルックスは残念だわね(笑)」

泰葉がシンガーソングライターデビューしたての頃、尊敬するアーティストと対談という企画でユーミンとの顔あわせが実現。その時の泰葉の『ユーミンのステージはダンスとか振り付けとか見せる要素が少ないですね。私はダンスのレッスンずっと続けてますよ!』と神をも恐れぬ発言に対し「ダンスなんか習うヒマがあったら作曲の勉強したほうがいいんじゃない?」

宿敵・中島みゆきへ
「20歳になったらタバコもお酒もケッコン!も自由ですから頑張って下さ~い」
ステージの宙吊り演出について『股ずれするらしいから嫌』と言った中島みゆきにたいして「(中島には)出来ないよ、無理」
「私は20代前半のころ、自分が結婚してるってことで、結婚してないあなた(みゆき)に優越感があったの」
「中島みゆきがどどめ色だとしたら、私はショッキングピンク!」
「みゆきの怨念だ!!」(昔のツアーで東京では即日完売だったのに、北海道だけはチケ売れ残ってしまった現象に対して吐き捨てた一言)
「あんなババアのどこが可愛いんだ!!」(ユーミンライブに来た中島みゆきのファンへ言い放った罵詈雑言の1つ)
「くやしかったら結婚してみろ~!!」
「忌々しいわねっ!」

その中島みゆきからの返し
「あのお方、苗字まで変えてるのに旦那に相手にされてない。いと哀れ(笑)」
「自分のキーに合わない曲を平気で書ける人の気が知れないわね(笑)」
「皆さんはこの人(ユーミン)を鉄の女だと思ってるかもしれないけど、実はとっても弱い女なのよ~。本当はとっても弱い人なのよ、この人。鉄の女や強い人にはあんな曲は書けないんだからぁ。だからあんまし叩かないであげてねぇ。凹んで泣いちゃうわよ、この人(笑)」
「どっかの誰かさんみたいにあからさまに『金掛けてます!』ってお下品な成金趣味のコンサートじゃなく、私の場合は見えないところに金掛けてますから!」
※実際はユーミンと中島みゆきはすごく仲良いそうです(ついでに谷山浩子も)。お互いふざけて嫌味言い合ってるだけらしいです。


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 いかがでしたか?
 ぼくはこれを見て、とくにユーミンが嫌いになったりなんていうことはなかったなぁ。ミュージシャンなんて自信と自己顕示欲がないとやっていけないと思ってますから。
 それに、キッツイ冗談が飛び交うのは珍しくない世界ですし。
 自信の塊=強烈なプライドの持ち主、なんだろうけれど、逆にどこかコンプレックスのようなものも感じます。でも、それをも絶対バネにしているんだろうな、とも思います。
 また「天才だからラクに売れた」と思っているんじゃなくて、今の地位は、「才能+並み以上に流した自分の汗」で築き上げたという「誇り」を持っているんじゃないかな。そういう厳しさも知っている人だと思います。
 まあ、何でも言えばいいってもんじゃないですけどね(^^;)
 
 超一流と言われる人ってやっぱり並みの個性じゃないですね(^^)


     
     
     オマケ:バンダナを巻いたハチ君の背中に乗るハムスターのポテチ君。本当はアタマに乗せたかったんだけど、ハチ君の何かのスイッチがいきなり入ったので断念(^^;)
 


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春爛漫・・・のはずなんだけど。。。寒さしのぎに金言集でも。

2010年04月18日 | 価値観
△花見にも行けず、満開の桜を横目で見ながら仕事で移動するワタクシ・・・。平日の昼間だというのになんであんなに大勢の人が花見してんの(?_?) まあ、ぼくは人ごみが苦手だから別にいいんだけどね~。写真は運転中、というか信号待ちの時に携帯で撮ったものです。色がちょっとくすんでいるのは写メだからかな?




 年度末からあっという間に時間が経って、早や4月も半ば・・・。
 春も盛りだというのに、なぜか寒波が到来しているみたいで、ニュースなど観ていると横殴りの雪が降っているところもあったみたいですね。エライコッチャ(-д-;)


 土曜日は、朝から太宰治の「走れメロス」を久しぶりに読んで、感動してしまいました。してみるとまだ心はしぼんでいないな。


 仕事では年明けから忙しさが一挙に増しました。
 年度末の異動こそなかったものの、新年度から担当職務が大幅に増えたため、4月からは朝6時には出勤、20時過ぎに家に帰り着くというパターンで、家にいる間はずっとグタ~としている日々が続いています。
 ただし、勤務先はブラック企業なんかではありません。未経験の新しい仕事に早く慣れるために自主的に早出をしているだけなので、その点はご安心くださいませ。自分が停滞すると部署全体の流れがよどんでしまうので、仕事に慣れないぶん早く出勤しているだけのです。スキルの低さをカバーするのは、やはり時間と労力を惜しまないこと、でしょうからね。慣れるまでの辛抱です。でもミスするとどうしても「実は自分は無能なのかも・・・」という恐ろしい考えが頭をよぎるのです。ちょっと心にゆとりがない感じですね。。。
 主治医からは「ハードルを下げてね。成果は1年後とか2年後に出せばいいんだから、ムリは禁物。今はあまり自分を追い込まないように」とクギをトンテンカンテンと刺されました。実際調子下り坂だしな・・・(汗)
 反面、忙しいせいでナチュラル・ハイな部分もあったりするんです。とにかく毎日がアッという間に過ぎていく今日この頃、こんなに月日が経つのが早いとすぐに人生の終わりが来てしまうジャマイカ~ヽ(`Д´)ノ


 とまあそんなこんなで音楽をじっくり聴く間もなく毎日ジタバタしているんですが、先週の水曜から金曜まで研修に参加してまいりました。
 仕事に対する姿勢、いろんな職務の内容についての解説、人権教育、反社会的団体からの不当要求への対応の仕方、心と体のケアなどなどについてレクチャーを受けてきました。
 今まで経験したことのない仕事を担当することで受けるプレッシャーと不安をどう解消するか、が今の自分のテーマなのですが、研修を受けながら「音楽を通じて体で学んできたことを生かすのは今だ!」とも感じているのです。


 前述の「力が足りない部分を補うのは時間と労力」というセリフじゃないですけど、とにかく現場では今の自分の全力を出しきるのみ、です。これはステージに立つ時の信条でした。それも、「つねに101%の力を出す」ことを目標にしてました。お客さんってワガママで評価が厳しいから、同じことをやっていたんでは生き残れないんですね。だから「昨日の自分より少しでもマシなことを・・・」の一念で演奏したものでした。まあ、別に120%の力を出してもいいんですけど、120%はあまりにもキツすぎて・・・(^^;)
 このブログの中で何度も書いているぼくのボス(故・有末佳弘さん)は「ゴチャゴチャ言わんと、最終的には弾いて弾いて弾き倒すしかないんです。音は命がけで出さなあきません」って言ってたなあ。「自分で自分をどれだけ追い込むことができるか、が大事なんや」とも。


 全力で演奏し続けると起こること。自分の経験から。
「101%の演奏」→「お客が喜ぶ」→「お客が喜ぶとまたお店に来てくれる」→「お客が店に来てくれるとお店が喜ぶ」→「お店が喜ぶとまたそのミュージシャンを使ってくれる」→「使ってくれるとミュージシャンは喜ぶ」→「ミュージシャンまたしても全力で演奏」…
という喜びのスパイラルが完成するわけですね。みんなが喜ぶ!なんてハッピーなんだ!(*^^*)
 これはどこの世界でも応用できることだと思っているのですが、どんなもんでしょうか・・・


 演奏するうえでは、ぼくはいつも「初対面でもステージに上がるとファミリーなんだ」という思いを持ってました。別にステージを降りるとソッポを向いててもいいんです。でも、いったんステージにあがると全力で責任のある音を作り上げなければならない、そのためにはもし足りない部分があれば互いに補い合わなければ、ってことなんですよね。そうすると1+1が4にも5にもなります。よく「1+1が2にしかならんようではダメです」とも言われたものでした。


 狭いとこ(面積的なことではなく・・・^^;)で、ちっちゃい気持ちのまま演奏していてもダメなんですよね。
 ぼくのボスが「あの人は自分の一生のボスや」と慕っていのが、関西の誇る名サックス奏者(あのルイ・アームストロングに「素晴らしい!」と言わせたお方です)だった故・津田清さんでした。津田さんは、ぼくの心の師匠でもあり、ぼくとボスが出会うことができたのも津田さんのお陰なのです。その津田さんから教わった言葉があります。今でも鮮明に思い出します。
 「MINAGIなぁ、おまえの県で一番ウマイとか、西日本で一番ウマイとか、そんな小さいこと言うてたらあかんで。相手は世界やぞ、世界!」
 どうせやるなら目標はでっかい方がいいですよね。この言葉がなかったらぼくは「井の中の蛙」のままだったでしょう。


 津田さんから教わったこと、まだいろいろあります。中でも印象に残っているのは、ある日の会話です。
津田「おまえ誰にも文句言わせんぐらいメチャメチャうまくなる自信あるか?」
 ご存知の通り、世の中には先天的に飛び抜けた人種が実在しています。レベルが違うというか、感覚が数段上というか、、、とにかく苦しむ次元がぼくみたいな凡人とは全然違うんですね。こっちが四苦八苦してもこなせない複雑なプレイを涼しい顔でアッサリこなす、曲を作れば、いや作るまでもなく勝手にメロディーがあふれ出してくる、「アホちゃうか(゜д゜;)」みたいなとんでもないアイデアがどんどん湧いてくる・・・、そんなのぼくにはムリです。
MINAGI「いや・・・それは・・・ムリです・・・(汗)」
津田「そやろ?やっぱりそやろ?(ニヤリ)・・・そしたらな、みんなに可愛がられるような人間にならなあかん!」
 津田さんは男気があってヤンチャで、そのうえとてもダンディなお方でしたが、ピシッと一本スジが通っていて、挨拶がまともにできなかったヴォーカルさんをその場で即座にクビにするような、おっかない一面も持ち合わせておりました。
 もちろんこの「可愛がられる」は、ゴマをすったり、コビを売ったり、という意味ではありませんよね。このセリフ、今でもずっと大切にしています。
 あ、もちろんぼくは聖人君子を目指しているわけではないし、時には悪さもするし、欠点だらけです。でもこの「可愛がれるようになれ」という言葉の意味を模索しながら、中身が停滞しないよう、今日も昨日より何かを進化させることができれば、と思って生きています。


 それから、「ギャラはお店から貰うんと違う!お客様から頂くんや」という言葉も身にしみてますね~。今でも「勤務先から給料貰ってるんと違う(まあ、貰ってるんですが)。その先にいる消費者・納税者・市民県民国民の方々に頂いてるのだ」という意識はしっかり持っているつもりです。


 ボス(有末さん)に言われた「MINAGI君はプロなんやから、いつもプロ意識を持っとかなあかんで」の言葉も忘れたくありません。ぼくは自分のレベルと立ち位置から、「自分がプロだなんてそんなおこがましい・・・」と思っていたのですが、ボスはそんな逃げは許してくれませんでした。仮にも料金を払ってわざわざ聴きに来て頂いている人の前で演奏するんですから、対価に見合う責任を要求されたわけです(でも逆にミュージシャンとして認めて貰えた、という喜びも大きかったですね)。
 プロってなんでしょう。もちろんその分野で突き抜けた力を持っていることも大切ですが、やはり自分の仕事に対する責任感が大事なのではないでしょうか。
 ボスは、よく
「女性ヴォーカリストたるもの、歌い終わったあとで、男の客に呼ばれてお酒をゴチソウされて喜んでいるようではダメやな。お客を "自 分 の と こ ま で 来 さ せ て"、『どうか一杯ゴチソウさせて下さい』と頭を下げさせるようにならなあかん」
「ウケるためやったら何でもせなあかん。お客を感動させるのが我々の仕事なんや。ウケへんかったらフトコロからハトでもなんでも出してお客をビックリさせるくらいの気合いがないとあかんわ」
って言ってたなぁ。その心構え、しっかりと受け継いでおりますよ(*’ー’)


 津田さん・有末さんには音楽以前の大切なことをたくさん教わりました。もちろん音楽そのものについても多くのことを学ばせて頂きましたが、音楽ってメロディーやコードやリズムや理論を分かっていればそれでいいってもんじゃないんですよね。
 これらの言葉があるから、音楽以外の分野でもつっかえつっかえながらなんとか今までやってこれたんだと思っています。
 だいぶ長くなったんで、ダイレクトに音楽に通じる「金言」はまたの機会に記事にしてみようと思います(*´∀`*)


 ところで、3月の終わりに「忙中閑あり」で、超久しぶりに動物園に行ってきました。ワンコ専門ブースもあったりしたので、同心、いや違う(十手持たなあかんがな)、童心に返って戯れてまいりました。最後にその時の写真でもどうぞ(^^)/


とっても人懐こかったワンコ。仲良くなりました。結構なお年頃だったみたい。



クジャク。豪華です。なんだか威張ってました(^^;)



わがタイガースの守り神。トラって実は「百獣の王」ライオンより強いんだそうですね。



クマ君。ノソノソしておりました。でも怒らせるとムチャクチャ怖い生き物なのです。



やっぱりゾウさんは動物園の看板ですよね。ゾウを取り囲んでいるのはサルの子孫。



キリンと目が合ったので撮影。首が長いのは早く遠くから敵を見つけてさっさと逃げるため、なんだとか。



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聴かないひとたち

2009年11月23日 | 価値観
     ライヴハウスの様子。
     聴く人もいれば踊り出す人もいて・・・楽しみ方は人それぞれですよね(^^)
     あ、ちなみにこのベーシストはワタクシです(*´∀`*)


 皆様、三連休をいかがお過ごしでしょうか。
 ぼくは金曜の夜は飲み会でした。
 メンバーは以前記事にしたこともある前年度の上司Nさん、現在ぼくと同じ部署のNo.2であるKさん、そして、以前部署が同じだったA先輩の、計四人です。
 ぼく以外の三人は、仕事に厳しく、前向きで、人間性もしっかりしているので、話をしているととても楽しく、同時に人生に対する意欲も増すのです。もちろんお酒もハズんで、あっという間に時は経ち、日付が変わったところでお開きになりました(^^)
 その反動(?)で、土曜から今日(月曜)までは基本的に家でCDを聴きながらボーッとして過ごしてしまいました。精神的なモロさと波があるため、まだまだ一定の気力を保つ力が乏しいのですが、それでも金曜のような楽しい飲み会ならまたぜひ参加したいな~


 さて話はコロコロリンと変わって・・・
 ぼくがよく出没する夜のスポットに「ライヴハウス」があります。(ここではテーブル席があり、料理や飲み物を楽しみながら生演奏に浸ることのできる、ジャズ系のライヴハウスを指します)


 世の中いろんな人がいますよね。
 もちろん常識の範囲内で接することのできる人がまだまだ多いんですが、今話題になっている「モンスター・ペアレント」とか「クレーマー」など、全くまともな話が通じない人も増えてきている様子・・・。
 もちろん「ライヴハウス」にもいろんなお客がきます。
 「生演奏を提供して、お代を頂く」のがライヴハウスですから、基本お客さまは、音楽好きな方、生演奏を体感してみたい方が圧倒的多数です。
 しかし、この中にも意表を突いてくるようなお方が、時として紛れ込んでいるわけですね(^^;)


 生演奏を提供しているお店でも、例えばホテルのラウンジみたいなところではBGMがわりに演奏するというスタンスのところもあります。
 当然、お客さまの主目的はおいしく飲食をして、お連れさまと会話を楽しむことなので、こういう場合ぼくらは店のインテリアと化して、ひたすら雰囲気を出すように務めます(といいながら、実験的なアドリブやインタープレイなんぞを密かに試したりして・・・笑)
 だから、悪い言い方をすれば「無視」されても平気なんです。BGMがわりなのでお客さまの邪魔にさえならなければそれでいいや、と割り切ってもいます。
 でもたまに拍手を頂いたり、お志を包んで頂いたりすると、「あぁ、音楽をも楽しんでくれた人がいたんだ~」とこちらが嬉しくなったりするものなんですね。
 ラウンジのスタッフが「MINAGIさん、お客さまが名前尋ねられたからお教えしましたよ」っていうから、「どんなお客さん(?_?)」と聞き返すと、「阿川泰子さんです」と返されてビビッたこともありました(^^;)


 これがライヴハウスになると、「音楽を聴きに」お越しになる方が圧倒的多数ですから、ある意味プレッシャーもかかります。
 でも、ぼくは、おいしい料理やお酒を頂きながら、かつ演奏中にも会話(ただし常識外れの大声はカンベン・・・^^;)を楽しむことは全く悪いことだとは思ってません。むしろ料理・お酒・音楽の三点セットでリラックスしているからこそ、その空間で心地よく会話もしながら過ごして下さっているんじゃないかな、と思うのです。


 しかし、一番ヒドいのは、タイトル通り「聴かない人」です。
 一時は、「演奏が良くないから聴いてくれないんだ」と大反省し、もっと気合いを入れて弾きまくってましたね~。
 でもある時、あるピアニストに言われましたよ。
 「MINAGI君、聴こうとせんヤツは何したって聴かんでぇ。ハナっから聴く気のない客は、どんなスゴイことやったって振り向かせるのはムリや」
 あ~、そんなモンかぁ・・・。
 そういや、「たとえ歌い手が美空ひばりでも、100人いたら100人を惹きつけることは難しいもんなんや」って言ってた人もいたっけ。
 たしかに聴く方にも好みがあるし、聴いて貰えないのは仕方のないことかも、とも思う反面、ギャラを頂きながらお客さまを楽しませられない、っていうのはやはり悔しいものです。


 ところが、もっとタチのワルいのがいるんですよ(^^;)
 聴かなくてもフツーにしてくれているぶんにはまだいいんですが、前述の「全くまともな話が通じないない人たち」にはもうお手上げです。最初から聴く気がないのになんで演奏してるとこに現れるの?
 というか、もうギャラはいらんから帰ってくれぃ!ヽ(`Д´)ノ、なーんて思ってしまうこともしょっちゅうでした。


 カウンターだけの、とあるライヴハウスがあります。カウンターの中に無理矢理グランドピアノとドラムセットを置いた小さなお店で、20人ぐらいですぐ満席になるくらいのささやかなキャパです。
 もともと「ジャズのライヴハウス」と謳っているにもかかわらず、そこには「聴かない人たち」がよく出没してたなぁ・・・(汗)
 必死で演奏している前で大声で連れの女性にオモシロクもない冗談を連発する男性(口説こうとしてる)、演奏中に薀蓄(というかバカにしたような批判)を披露しまくる「ジャズ通」らしき男性、宴会の二次会の流れでやってきて、大騒ぎをやめない4~5人連れ、などなど。共通するのはみんな「大声・バカ笑い・拍手しない」ってことです。(でも大声で演奏のジャマされて拍手だけされたら、それはそれでイヤなもんなんですよ・・・汗)
 生演奏を聴く店なんだから、聴く気がなかったり、話したいなら最初からそういうお店へ行けばいいのに、と内心ムカついたりしてました。静かに聴いている他のお客にメイワク、っていうことに気がつかないんです、そういう人たち。


 ある時、あんまりアタマにきたので、ベース・ソロの時少しずつ音を小さくしたことがありました(狭いお店なので、ウッドベースを生音で弾いてたんです)。
 でも目の前の大声の客は話をやめない。で、ぼくも意地になってどんどん音量を下げる。以前、「騒がしいお客に大音量で対抗したら、お客は音に負けないようにもっと大声になるよ」って注意されてましたので。。。(^^;)
 そして最後には全く音を出すのをやめて、弾くフリだけしたんですけど、ダメでした(笑)
 そういえば、大声でイチャついてるカップルに「あと少しで終わりますからねー。ガマンしてくださいねー(^^)」と笑顔で言い放ったヴォーカルさんもいたっけ・・・。


 今までで一番強烈にジャマだったのは、ある70前後くらいのオジイサン。
 実は、OL風のふたり連れをナンパしようとして、ずっとその女性たちをつけて来て、このライヴハウスに入ってきたらしく、最初からその女性ふたりの隣に陣取って、常に話しかけてるんです。
 「ワシ、今仙台から帰ってきたばっかりなんじゃ。老人会(かなんかだった)の大会があったもんじゃからの」 
 「アンタら、良かったらなんか飲まんか?」
 「うわ~、いいんですか、ありがとうございまーすキャッキャッ」
 なんてOL風も悪い気はしてないみたい。
 これが演奏中に延々と続くんですが、そのうちこのジイサマ、
 「老人会(かなんか)でワシが良く演るんが手品なんじゃ。アンタら、見せてやろうか?」
 「エーッ、見たい見たいキャッキャッ」 
 「・・・・・」←演奏中のバンドさんたち 
 で、仙台帰りらしく、旅行カバンの中からホントに手品道具を取り出して、

 は じ め や が っ た !

 さすがに店のマスターが「ここはライヴハウスですし、今演奏中なのでご遠慮くださいモゴモゴ」と注意したんですが、、、
 手品はやめてもナンパは止まらん(T-T)
 最初はおごって貰えてそれなりに相手してたOL達も、
 「オネエサン、家はどのへん?」
 「帰りはワシが送って行くわ」
 「いんや、泊まりに来んか?フヒヒw」
 などとシツコクなってくると、無言でシラけた様子。


 「夕べはこうこうこういうことがあったんですよ~」
 翌日、ぼくは自分の心のボスである加古川在住のピアニスト・有末佳弘さんに電話でグチりました。
 「たいへんやったなぁ、まぁそんなんも居てるわ、気にすんな」とか「どんな場合でも惑わされんよう弾かなアカンで」的な返事が返ってくるかと思いきや、さすがはプロ中のプロの有末さん、
 「アホやな、MINAGI君。そういう時に手品なんかを始められたらやな、すかさず
     オリーブの首飾り

 でも演奏したったらええねん」


 有末さん、さすがあなたはぼくが心から慕っていたお方だけありますわ!(^^)



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憧れの楽器

2009年04月27日 | 価値観
♪わが家のピアノです。ヤマハのアップライト。


 「なぜベースという楽器を選んだのか?」と訊ねられることがままあります。
 ぼくの場合は、高校時代、吹奏楽部に所属したのが事の始まりです。当時ぼくはドラムをやりたくて、打楽器のパートを担当していました。しかし、ポップスの曲を演奏する場合は、先輩ドラマーがいたため、ぼくは割と手持ちぶさたでした。
 ところで、吹奏楽のポップス曲にはエレキ・ベースのパートが加えられている場合が多く、手持ちぶさたなおかげでそのオハチがぼくに回ってきた、というわけなのです。


 ベーシスト同士で「なぜベースという楽器を選んだか」を告白しあうことがありますが、ぼくの理由などマシな方でしょう。
 よくあるのが、「ほかに誰もいなかったから、仕方なく」という理由です。これに近いものとして「ジャンケンで負けたから」とか、「先輩に脅されて」というのがあります。ひどいのになると、「罰として」とか、「ダマされて」などというのがありました。スマンけどこれには笑った。
 いろんな奏法が開発されたりしたお陰でベースも目立つようになり、今でこそ「オレはベースをやりたいのだ!」と自発的に選ぶ輩も多いようですが、ぼくが高校の頃は、ベースにスポットが当たることなんてまずありませんでした。ほとんど島帰りの日陰者に等しい存在だったのです。


 「でも今、一番好きな楽器はベースでしょ?」というのもよく訊ねられることです。う~ん、まあ、今はそうかな。ベースの大切さ、面白さも年々分かってきたしね。でもね、憧れの楽器はまた別なんですよ。
 ぼくが憧れる楽器、それはピアノです。
理由その1 ピアノを習ったことがありません。だからよけいに憧れます。
理由その2 エレガントなイメージがある。かつジャズなど弾いてるのを見ると、アーティスティックな感じがしてカッコいい。とってもウラヤマシい。
理由その3 ひとりで好きな曲を弾くことができるから。ピアノで弾いてみたい曲、たくさんあったんですよ。「レット・イット・ビー」とか、「いとしのレイラ」の後半部とか、ビリー・ジョエルやエルトン・ジョンなどの弾き語り系の曲とか。ひとりでベースを弾いてみてもボンボンいうだけで、何弾いてるんだか自分でも分からなくなるし、面白くもなんともないもんね。
理由その4 モテそう。バラードなんかを弾いてるピアニストに向けられた客席の美女の目が←こうなっているのを何度見たことか・・・。


 幼稚園の時、オルガン教室に通ってたことがあります。正確に言うと、「入れられた」んですが。でも、同じ町内のガキ共から「オンナみたい」(女の人ゴメンナサイ。でも男の子ってアホだからすぐそういうことを言うんですよ)と言われそうなのがイヤで、一日で脱走しました。今ではとても悔やんでいます。
 中学3年の時、どうしても「レット・イット・ビー」を弾いてみたくて、当時の音楽の先生に簡単にアレンジして貰いました。それからは、家にあったエレクトーン(姉が習っていた)をひんぱんに触るようになりました。少しでも弾けるようになると楽しくて面白くて。「青い影」なんかも大好きだったから、オルガンのパートを耳コピーして、自力で弾けるように頑張ったんですよ。
 高校時代はよく学校の音楽室でピアノをイタズラ弾きして遊んでました。
 そのおかげで、コードはひと通り弾けるまでにはなりました。
 そして、ひとり暮らしを始めてから、ようやく念願のピアノを買いました。「コルグ」のエレクトリック・ピアノです。


     
     わが家のエレクトリック・ピアノ。「コルグ」製。


 ライブ・ハウスで、本番中にいきなりピアノを弾かされたことがあります。兵庫県内のあるライブ・ハウスで演奏していた時のこと。当然ぼくはその時ウッド・ベースを弾いていたわけですが。
 突然ボスでピアニストの有末佳弘さんが、「次の曲、MINAGI君がピアノ・ソロで何か弾いてくれ」。
 なんですと!!!(◎д◎;)
 ピアノを習ったこともない、ろくに指も動かないこのぼくに、ライブ中にピアノを、しかもソロで弾け、と!? ソロッとなら弾けないこともないが・・・(寒)
 ヤバイ・・・(-_-;) というか、あまりにも無謀な命令ではないでしょうか、有末さん。
 しかしここでひるんではいられない。というか、弱気なとこは見せられないではないですか。一瞬のうちに決断し、ピアノに座ります。いや、ピアノに座っちゃいかんな。ピアノの前の椅子に座ったんだった。


 「テンポの速い曲は指が動かないからムリ」「スローなバラードにしよう。それならまだ余裕がある」などと頭を巡らせて選んだ曲が、ジャズのスタンダードで、ぼくの大好きな曲でもあり、自分の部屋でもよく弾いていた「イン・ア・センチメンタル・ムード」という曲です。
 テーマをなんとかこなし、アドリブに入ります。もう必死。というか、ヤバけりゃワン・コーラスで終わればいいものを、何を血迷ったか(ぼくには目立ちたがりの性質がある、というのも関係があります。ワハハ)指がそんなに動くわけでもないのに、調子に乗ってツー・コーラス目、スリー・コーラス目と、どんどん突入していったのです。


 もうヤケクソです。(ナゲヤリ、とは違うんですよ)
 しかしこの場合、お客に「なんやねんあれは!」と思われることだけは避けたい。しかしできないものはできない。どうするか。もう開き直りのキレまくりでムチャクチャをして見せるしかないではないですか。もう指さばきなんてもんじゃないです。グーチョキパー、ついでにヒジ撃ちで弾き倒してやりました。もう冷や汗とアブラ汗とコーフンで服はビショビショ。。。
 そのお店のマスターは、いい加減な演奏をすると、すぐに「もうオマエは帰れ!」と激怒することで有名な人なのですが、不思議なことにその時まったくクレームがつかなかったんですよ。


 あとで有末さんに、「なんでろくに弾けもしないぼくにピアノを弾かせたんですか?」と訊ねると、「生徒たち(有末さんの生徒さんが数人聴きに来ていた)に、ピアノの腕がなくても、気合だけで何かができるということを見せてやって欲しかったんや」ということでした。「あのマスターに文句つけられずに1曲弾き通したのはスゴイ」とホメても貰いました。もっとも、「もっとブチ切れて欲しかったなァ」とも言われましたけれどね。


 5~6年ほど前に、中古ですが、アップライトのピアノをとうとう買いました。アコースティック・ピアノ、ずーっと欲しかったんです。今では好きな時に好きなだけピアノを弾いています。弾いていると、やっぱり、「もっとうまくなりたいな~」なんて欲が出るものなんですね。




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音楽をやっていて感動したこと

2009年04月16日 | 価値観
 
 高校で本格的に音楽をやり始めて、※十年。最初はドラムス志望だったけれど、縁あってベースに転向しました。
 ドラムって見た目が派手でしょう? 吹奏楽部のデモンストレーション演奏を見て、「これはモテる!」(こんなんばっかし・・・汗)と踏んで入部したわけですが、一年間は地味~な基礎練習ばっかりでした。そうこうするうちに地元のビッグ・バンドに誘われたのが契機となってベースを弾きはじめたわけなんですが、その頃の僕は背伸びして一生懸命オトナの仲間入りをしていた、ということと、とにかくモテようとしていたことばかりで、動機としてはかなーり不純なものだったんですね~


 だからベースもジャック・ブルースやティム・ボガートらの影響を受けてやたら早弾きしようとしていたし、フロントよりも目立とうと、虎視眈々とそのチャンスを狙っていたんですね。つまり、自分がうまけりゃ良かったわけです。


 ある晩、先輩に誘われて、「Four Us」というグループの演奏を聴きに行きました。メンバーは4人とも日本在住のアフリカ系米国人。経歴を聞くと、ホィットニー・ヒューストンのバックを務めていた、とか、ビリー・プレストンのバンドにいた、とか、相当なキャリアを持った錚々たるメンバーばかりだったんですね。
 彼らの演奏は4人ともがそれぞれ見せ場を作り、汗をダラダラ流しながら全力を出し尽くす、実にホットなものだったんです。月並みですが、もう、とっても楽しかったです。
 それを見てぼくは、「今までの自分は間違っていた」「まず楽しい演奏をしなきゃだめなんだ」「そのためには100%以上の力を出さねば」「そしてお客を何が何でも楽しませて帰さなきゃ」・・・。
 他人の生演奏を聴いて感動したのは、厳密に言えばこの時が始めてだったかもしれません。それまでのぼくは自分が弾いて目立つことだけで満足でしたから。


 それから何週間後だったでしょうか。「M」と言う店で大阪から来たシンガーのバックを務めることになったんですが、とにかくその時に心がけたのは「全力を尽くそう」ということでした。それはベースを弾きまくることではなくて、全力で「音楽全体に取り組んでみよう」ということだったんです。
 それをテーマに2セット2時間あまりのステージが終わりました。するとある一人の男性がツカツカと近づいてきて、いきなりぼほくの手を握るなり、「良かったよ、良かったよ」と満面の笑みで言ってくれたのです。この時に、全力を出そうとする自分の姿勢がお客に伝わったこと、音楽にはそういう人を動かすエネルギーがあるんだ、ということを改めて知ったんです。


 音楽の持つエネルギーのスゴさを思い知った2回目は、それから何年かのちのことですが、「A」というお店にぼくがリーダーのピアノ・トリオで出させて頂いた時のことです。たしか連休の初日だったと思うんですが、観光地にあるその「A」は早い時間から満席でした。MCもぼくが取っていたのですが、つれづれに聞いてみると、東京を始め関東、甲信越、東北、九州と、いろんなところから集まってくださってたんですね。
 貴重な休みを使ってわざわざ聴きに来て下さったのに燃えないわけがありません。いつも以上にシャツが汗だくになるまで弾き倒しましたよ~(もちろん自分だけが目立つ、というものでなく、トータルなサウンドを意識しつつ)。MCもなぜか絶好調でした。勝手に言葉が口から出てくる感じで、客席も沸きっぱなしの笑いっぱなしです。こんなにMCで受けたことも珍しい。


 そして全セットが終わってからのこと。満席だったお客が一斉にレジへ向かうんですが、全組のお客が「楽しかった(^^)」「縁があったらまた来たい」「今日ここへ来てよかった」といって、握手を求めて来て下さったのです。これには感動しました。全力を出し切ったプレイ・音楽にはこんなに人の表情をも変えることのできる凄いエネルギーがあるんだなあ、と。ウケたのが嬉しくないわけじゃありません。ウケたのももちろん嬉しかったですが、それ以上に「遠方から休みにわざわざここへやって来たお客になんとか喜んで頂こう」という思いが通じたこと、そういうエネルギーが音楽から出ていたことに感動したんです。
 亡くなったぼくのボスは「聴いてくれる人に感動を与えるのがわれわれの役目や!」と常々言ってましたが、その実、聴いてくれる人から感動を頂いてもいたんですね。


 そういう演奏をするには、これはぼく自身の経験から述べることですが、謙虚であること、反面開き直って101%の自分を出すこと、感謝の気持ちを持つこと(出させてくれた店に、来てくれたお客さんに、一緒に演奏してくれるメンバーに、ベースを弾ける今の境遇に・・・いろんなものに感謝です)
 逆にいいコにばかりなっても物足りなかったりするんです。ぼくのボスは「ステージではキレろ!」とよく言ってたし、「良い子ちゃんでは人を驚かすような演奏はできへんで」なんてこともよく言ってましたね。
 つまり、ステージではつねに101%の力を発揮しつつ、かつヤンチャでありつつ、そしてステージから降りたら人間性で勝負、といったところではないでしょうか。


 ともかく、音楽をやっていてこういう感動を得られたのは、ぼくにとっても大きな宝物になっていると思います。大事にしておきたい思い出です。



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上司に感謝

2009年03月28日 | 価値観
          ♪今朝のBGM。オアシス。

 
 久々にとても嬉しいことがありました。
 ゆうべ仲良しのチャラに聞いてもらったんだけど、あまりにも嬉しかったんで、ブログにも書いちゃおう!(^^)

 
 いえね、今年度限りで間違いなく異動があると思ってたんですよ、十中八、九。
 内示が出たのが連休明けの、この23日でした。
 結果は異動なし。
 ぼくは今の部署では異例とも思える長さで勤務しているので、さすがに今年度は転勤があるとばっかり思い込んでいたんです。周りからもそう言われていたしね。
 体調を崩して数年になり、音楽活動も休止同然の今、心機一転で新しい職場に向かうのもいいかな、と思っていたので、ちょっと肩透かしを食った気分でした。


 そうしたらね、一昨日、部署の上司(女性の方で、部署の長です)に呼ばれたんです。
 「MINAGIさん、ちょっと」
 別室に連れて行かれて、向かい合わせで座ります。
 何だろう・・・ なんかマズいことしたかな・・・ 汗・・・


 「あのね、今回異動がなかったのはね」
 そら来た!
 普通、異動がなかった理由なんてわざわざ言わないよ~ これはやっぱり・・・ 
 ぼくは正直あんまり仕事って好きじゃないんです。いや、やる時はきっちりやりますよ。好きじゃないっていうより、仕事のために自分の時間を犠牲にすることが好きじゃないっていうか、、、勤務時間内でもやる時はやりますけど、その反面抜くとこは抜いてしまいますし。。。あからさまにそんな態度をとっていたわけではないけど、やはり見る人が見るとバレバレだったのかぁ~(汗)


 「(今の勤務先全体の)トップの方と話し合ったんだけど、MINAGIさんにはここに残ってもらいたかったのよ」
 「仕事は実直にこなしてくれるし、それ以前に前向きな姿勢をとても評価しているの。これは部署の(No.2の)方も同じ意見なのよ」
 「それにMINAGIさんには気軽に仕事を頼みやすい。それは部署のみんなも同じように感じているの。MINAGIさん、体調のこととかで『自分は周りに迷惑をかけている』なんと思わなくていいのよ。みんながMINAGIさんを信頼しているのよ」


 ざっとこういうことを言って頂きました。もう有難い、としか言いようがないですよね。
 体調を崩して休職したり、復職してからも不安定な体のためにちょいちょい休みを取ったりしてましたから、逆に出勤した時は仕事うんぬんというより、「まず何かを頼まれたら気持ちよく返事をして、すぐに対応しよう」「相手に不快感を与えるような応対は決してするまい」ということを心がけてきたのをちゃーんと見ていてくれたのですね、この上司は。もともと仕事に厳しいタイプの上司ですが、休職中、復職後ととても気を配ってくださっていたので、その人柄を密かに慕って(^^)いたのですが、改めて感謝の気持ちが湧き上がってきました。
 こういう上司に出会えて幸せです~


 もっとレベルの高い部分でホメてもらわなきゃダメよん、という声もあると思います。もちろんそうですよね。でもぼくは、社会人として、少しずつでもいいから常に自分が良い方向に変化していかなければ、と思っているので、こんな小さなできごとでもとても嬉しいのです。自分が少しずつでも変われている、っていうことを認識できたんですもんね。


 ちょっと自慢ぽく読めてしまったらゴメンなさい。
 でもとてもとても嬉しいできごとだったもんですから。
 仲良しのチャラに聞いてもらったほか、すぐに一番気持ちを許している地元の友人のアリモリさん、ホソカワくんにもメールや電話で聞いてもらいました!ふたりとも一緒に喜んでくれました。喜びが倍になる、というのはこういうことなんですね~


 今朝のBGMはオアシスです。ファースト・アルバムの「ディフィニトリー・メイビー」と、最新アルバムの「ディグ・アウト・ユア・ソウル」を聴いてます(^^)。



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ぼくにとっての「良い歌い手」

2008年11月03日 | 価値観
♪美空ひばりさんの歌は、非常に素晴らしい!!



 「歌」っていいですよね。


 好きな曲はたくさんあります。
 ちょっと数え切れないくらい。
 それらの曲を歌える立場にある「歌手」という存在には、
 強い憧れを持ち続けています。
 

 伴奏者として歌に接する場合、
 当然、リスナーとは別のスタンスで歌について考えます。


 自分は歌の専門家ではないので、
 歌唱法については語る資格はないんですが、
 「ぼくが歌い手に求めていること」というものはあります。


 その中のひとつ。


 「歌」というものは、ほぼ例外なく
 「誰かの気持ち」を表現しているものだと思っています。
 だから、誤解を恐れず言い切ってしまえば、
 ぼくは、「他人の気持ちをわかろうとしない人」
 (決して、『気持ちがわからない人』、ではありません)
 には歌は歌えない、と思っています。


 これは、
 「歌詞の意味を解釈することが上手い」という意味に限ったことではありません。
 もちろん、歌詞の解釈もとても大切なことですけど。


 当たり前ですが、
 『自分には他人の気持ちが解る』と思い込んでる人は論外です。
 例え解らなくとも、
 身を削って「解ろうとすること」が大事なんじゃないかな、と思います。


 歌詞を解釈したうえに、
 「伴奏者のおかげで自分の歌がより映えているんだ」、とか
 (もちろんこれは歌手と伴奏者とはお互いさまです)
 お客さんにもエネルギーを頂いていることがあるんだ、とか。
 そういうふうなことを理解しようとしている方は、
 たいてい、中味の詰まった温かい歌を歌おうとしています。


 そして、決して聖人君子である必要なんてなくていいんです。
 人間として未熟でも、ドロドロした人生を背負っていても構わない。
 その歌い手さんの熱くて前向きな生き様や音楽観や愛を、
 歌を通じて感じたいのです。
 そのうえでバンドを引っ張ってゆくような歌を歌ってくれれば良いな。


 そういう歌い手さんって、
 例えメジャーでなくとも、
 とっても気持ちのこもった歌を歌っていると思います。
 そういう歌い手さんを、
 ぼくは心から応援しています!


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ジャズは高尚?

2008年07月05日 | 価値観
♪ライブはジャズの醍醐味のひとつです。見るのも演奏するのも楽しいよ。
 ちなみに写真のベーシストがワタクシです。


 楽器を演奏しているとよく尋ねられるのが、
 「(演奏するうえで)MINAGIさんの好きな音楽は?」


 ぼくはためらわず答えます。
 「杏里の「オリビアを聞きながら」や、MISIAの「Everything」みたいな曲を
  エレキ・ベースで弾いてる時が、一番たのしいです


 こう答えると、
 ジャズ好きな人やジャズに憧れている人、
 ぼくがよくジャズを演奏していて、
 ウッド・ベースをしょっちゅう弾いていることを知る人たちは
 「うっ」 とか 「えっ」 とか 「おっ
 などという顔をすることが多いんです。
 『な~んだジャズじゃないのかぁ…』
 という軽い失望をこめて。
 「音楽の良し悪しはジャンルじゃないですよね」と言う人の中にも
 こういう少し不満げな反応を示す人がいるのが面白い。(イジワル?) 


 「ぼくは、ジャズはあくまで
 いちジャンルとしか思っておりません」
 というと、今度は
 (こ奴、ホントはジャズが好きではないんだ・・・)という
 微妙な空気を漂わせてくる人もいます。
 まいったな~

 ぼくは、ジャズ好きなんですよ~

 ぼくが、まず演奏するうえで好きな曲は、
 ジャンルで括れるものではなくて、
 「ベースを使って歌うことのできるスペースがある曲」
 なんです。


 だからジャンルを意識するとすれば、
 「4ビートのジャズを弾く時の時の歌い方」とか、
 「8ビートのハード・ロックを弾く時の時の歌い方」とか、
 もっと細かく言うと
 「○○の曲を弾くときの歌い方」
 と考える時くらいかな。
 (もちろんトータルなサウンドを意識したうえで、です)


 だから、好きかそうでないか、を問われると
 「どのジャンルにも好きな曲はある。
  やりたい曲は、ベースで歌えるもの。
  ジャズだけを特別視はしてないし、
  とくに高尚な音楽とも思っていない」
 と答えるほかない、ヘソ曲がりで強情なぼくです。


 ただし、(悪い意味で)ジャズは低俗、とも思ってないですよ。
 やってて、とてもエキサイティングだと思ってます。
 聴くのも好きだし。(こういうブログやってんだもんね)
 そのへん、誤解されませんよう。


 聴くぶんになら、ジャンル問わず、
 「いいな~」と思ったもの全てに手を出してみたくなるのはもちろんです。


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知識と知性は別の物

2008年06月21日 | 価値観
♪最近再読している本。「憂鬱と官能を教えた学校」(著…菊地成孔+大谷能生)。bugaluさんの影響で読んでます。商業音楽に欠かせない「バークリー理論」の再検証を含めた講義録。少々難しいけど面白いです。


 ぼくは本を読むこともわりと好きなので、時間が少しある時などは、すぐ最寄の本屋さんに入って、本を物色しがてら時間をつぶすのが好きです。 
 ある書店で時々偶然に出会う、仕事関係の知り合いがいます。知り合いといっても、挨拶を交わす程度の付き合いなのですが。
 その人は、書店でぼくを見かけるたびに、
 「勉強家ねぇ」とか、「読書家ねぇ」と声をかけてくるのですが、言われたこちらは素直に「そうなんですよ」と言えない気分になるのです。
 いや、むしろ「この本、枕にちょうどいい高さなんですよ」とかなんとか、ヒネクレた答えを発したくなるのです。


 その人はお医者さんと結婚していて、それを誇りに思っているようです。つまり、「医者=頭が良い。頭が良い人の妻も頭が良い」という論法なんです。そして「本好き=知的な人」という価値観を持っているようでもあるのです。
 その医師夫人自身もよく本を買っているようですが、彼女は本を読み、いろんな知識を覚えることで、「自分は人より知性がすぐれている」と思おうとしているところがあるようです。そして、ややもするとそこには知識や学力という物差しで人を計ろうとする「差別感」が現れているような気がするのです。


 ところが、ぼくにとって本が好きだということは、音楽を聴くのが好きだったり、スポーツが好きだったり、おいしいものを食べるのが好きだったりするのと全く同じレベルのこと、つまり、生活の中の楽しみのひとつに過ぎないのです。
 つまり、彼女とはこれだけ価値観が違うので、「読書家ねぇ」とほめられても(ほめられること自体、見下ろされているような気がするヘソ曲がりなぼくです)、素直に応答する気が起きないのでしょうね。


 読書は知的な楽しみです。けれど、本で得る知識は、言ってみればハサミとかペンとか定規などと同じく、ひとつのツールに過ぎないと思うのです。
 本から知識を得ることが大事なのではなく、本から得た知識を正しく使えるかどうかが大事なことなんじゃないのかなあ。
 その医師夫人は「本棚にある本の量が知性の現われだと思うタイプ」だから、よけいぼくと波長が合わないんだ、きっと。
 読んだ本の量が多いこと、つまり知識があることと、知性があることは、必ずしも同じ意味ではないですもんね。


 もちろん読書量も大切だとは思うけれど、読書で得た「ツール」を正しく使わないと、出てくるのは誤った結果ばかりですからね。例えば、「障害を乗り越えて」式の体験談を読んで涙する人が、平気で(つまり悪気なく)障害者差別をしている例、時々実際にみかけます。これなど、得た知識が適正に生かされていない例ですよね。読書も、姿勢というか、捉え方によっては、得られる結果が違ってくるってことでしょうか。


 読書で得た知識は、使い方次第では、自分というものを客観的に振り返ることもできるはずです。ぼくは、読書で得られる大きな財産のひとつは、正しく考えようという気持ちが育つことだと思うのです。文字を読んで「知識を得た」ことに振り回されず、目をちゃんと見開いて物事を正しく見ることができるよう、謙虚に心がけてゆきたいものだと思います。


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良い音を出す人は良い人か

2008年05月23日 | 価値観
 

 まあ、ぼくは多少なりとも楽器を弾くことから、出た音でその人の人柄が分かることがあったりします。
 面白いもので、良い音を出す人が良い人だとは限らないんですよね。
 そもそも良い音楽を演奏するためにはある意味マジメに練習を積み、美に対する感性が豊かで、苦しみもがきながら自分の中味をさらけ出さねばならない部分があったりします。だから苦労に耐えた良い人が良い音楽を奏でられる、って思いがちだったりしたんですが、それはそうではない、と思い知らされたことがありました。


 何年か前のことです。仲の良かった歌い手のNさんの伴奏をしている時、Nさんの馴染みらしい男性A氏(ぼくと同世代くらいかな)が楽器(サックス)を持って店にやってきました。そして飛び入りのような形でステージに上がってきたのです。
 飛び入り自体は大歓迎なのですが、彼の音を聴いた瞬間ぼくはイヤになってしまいました。
 Nさんの歌声よりも大きな音で吹きまくるんです。しかもソロ部分だけでなく、歌っている間中も延々と。
 A氏の音色ですか? これが素晴らしくキレイなのです。艶やかでパワーもあって。それにムチャクチャ上手い! 
 でも歌が入っている時は歌が主役なのです。主役を引き立ててうまくノセてあげるのがわれわれバックの務め。それがいくらキレイな音でも歌の邪魔をするようでは音楽的とは言えません。自分だけが目立てばよいようなプレイ、これは勘弁してください、ってことですよ。


 セットのあと、聞くともなしに聞いていると、A氏は大学時代、サックスの勉強をするためにヨーロッパに留学していたそうです。
 ふーむ、それでたしかに楽器を「吹くこと」は上手いわけだ。。。でも楽器を吹くのが上手いからといってそれが必ず良い音楽にはならないのだ、という見本もまた目の前で見せ付けられたわけです。


 まあ、たしかにいい音楽を奏でる人が良い人とは限りませんよね(そう思いたいですけど)。よく考えるとこれは、野球の上手い人がすべて良い人ではないように、また勉強がよくできる人が皆良い人ではないのと同じです。ただ、楽器の練習にはマジメに取り組んだということが言えるだけであって、それが即良い音楽とは結びつかない場合が往々にしてあります。野球でもなんでもそれは言えると思うけれど、自分がうまいからといって自分だけが目立つプレーをしていてはチームは勝つことはできませんよね。


 ぼくはA氏と初対面だったのですが、彼はぼくのことが気になるらしく、お店のスタッフにいろいろ尋ねてたみたいです。どうもA氏はNさんのことが気に入ってたみたいで、ぼくとNさんの間柄も気になったようです。あとで少し話もしたんですが、「自分がこの地方のジャズ界を変えてやる!」とすごいハナイキ。でもですね、自分のプレイしか見えない、歌い手を気持ち良く歌わせられないような人間が「この地方のジャズ界」とやらを変えられるワケがないと思うんです。(ちなみにぼくの心の師匠は『なあMINAGI、関西で一番とか、西日本で一番なんてちっちゃいこと言うてたらあかんで。相手は世界やぞ、世界!』と言っていましたので「この地方のジャズ界」みたいな小さいことを最もらしく言うA氏にいい加減ウンザリしました)


 おまけに「ヘタですみませ~ん」って言うんです、ヤツは。ぼくは「いいえ」としか答えません。すると間を置いてまた「ヘタですみませんね」ぼく「いや、大丈夫です」、これが何度か繰り返される。。。「いや、すごく上手いですよ」と言って欲しいのが見え見えだったので、、つい「頑張ってればいつか上手くなれますよ」と返事をしてしまいました(^^;)。たぶんプライド傷ついただろうな~


 じゃあ良い音楽を奏でられるのはどんな奴なんだ? 今まで見てきた中で言えるのは、マジメだけではマジメな面白みのない音しか出ない、ってことです。聴衆の心に音を響かせることのできる人は、どこかヤンチャで遊び心のある人ではないでしょうか。まず自分が楽しまないとお客さんを楽しませることはできないですからね。逆に言うと、良い音を出すためには良い人でなくてもいい、とも言えますよね。でも、プレーヤーが「楽しみながら演奏する」裏には努力と苦しみもあるのです。音楽に対しては真摯な姿勢で臨まなければならないってことでしょうか。
 今日はちょっとネガな話題でしたけれど、「良い音楽をする者は必ずしも良い人ではない」ことが言いたかったんです。かの孔子大先生も「立派なことを言う人は必ずしも立派な人ではない」という意味のことを仰っておられます~。それと同じことだったんですね~(^^)


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握手

2007年11月28日 | 価値観
△「両松井」の握手。やっぱり秀喜が先輩に見える!?


 夜、(仕込み[=準備]やリハーサルがあったりするので、正確には昼間や夕方)仕事場に入る時、とにかく顔を合わせた人には誰にでも挨拶するよう教えられました。
 その時はお辞儀してます。とくに「お辞儀にしよう」と意識しているわけではないんですが。


 これが、全力を出し切って演奏を終え、心地良い疲労感がある時は、不思議に握手を求め合ってるんですね。大先輩に対しては、やっぱり最敬礼してしまうけれど。


 「握手」は、イスラムの習慣に由来するんだそうです。もともとは、武器を隠し持っていないことを示すために利き手を相手に委ねる、という意味があるということです。日本に「握手」という作法が入って来たのは明治時代の初期です。当時のグラント米大統領と明治天皇が握手を交わした記録が残っているそうです。


 明治維新前には、宮中にも庶民にも「握手」の習慣はなく、今でも普通はお辞儀しながら挨拶していますね。「握手」になじみにない人も多いので、女性にうかつに握手を求めようものなら「セクハラ!?」とばかりに冷たい視線を浴びる可能性、まだまだ有りです。(注1…正式には、男性から女性に握手を求めることは、礼儀を失する行為だとされているらしいです)


 しかし、全力で演奏した後は、相手が女性だろうが男性だろうが、テレなんかどこかに置いて、自然に心からの「お疲れさま」の握手を求め合えるのです。
 この時ばかりは堂々と、歌い手さんなどの美女の手を握ることができるのですよ~(注2…本当は、こんな下心は即見破られます


 これは、音楽の現場だけに限らず、優勝直後に抱き合うピッチャーとキャッチャー、金メダルを取ってチームメイト同士で喜び合う光景などを想像してもらったら、その満足感や喜び、すぐ理解できますよね。


 演奏後の握手、強く握ってくれる人、柔らかいけれどしっかり握る人、やっぱり恥ずかしそうに握手してくれる人、さまざまです。
 でも、自然に他のメンバーと握手したくなる時や、素直に手を差し出せる時の演奏って、やっぱり熱くて満足度が高いものなんですよね。


     
     これは握手じゃなくて「握足」!?


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音楽にまつわる原体験

2007年11月19日 | 価値観
          △子供時代のワタクシ。


 つらつら考えてみるに、とくに我が家が音楽に親しんでいたわけでもなく、一族郎党にそういうハイカラな趣味を持っている者がいたわけでもない。たいへんなロック通の従兄がひとりいたが、彼は楽器を弾かない。なぜ親戚中の中で自分だけが、人前で演奏してなにがしかのお代を頂くなどというややこしいことに首を突っ込むハメになったのか、皆目見当がつかない。


 育った家の北隣に料亭があり、夏場など障子を開け放して酒宴なぞ繰り広げているものだから、寝床に入っているぼくの耳にもしょっちゅう芸妓の嬌声や三味の音などが聴こえていた。
 時には軍歌をがなりたてる声、たまには、なぜか調子っぱずれのバイオリンの音がする時もあった。
 バイオリンがキーキーいう夜など、その神経を逆なでする音のあまりのうるささに布団の中でのたうちまわっていた。


 育ての母が芸事が好きだったために、オルガン教室に無理やり通わされたが、教室には女の子しかいなかったので、恐ろしさのあまり一日でネをあげた。男の子って女の子が集まるようなところはイヤがるもんですからね~。


 家には何枚かのレコードがあるにはあった。父の聴いていた「同期の桜」、なぜか「黒ネコのタンゴ」と「こんにちは赤ちゃん」。
 子供用には「オバQ」や「パーマン」のアニメソングのほかはありきたりの童謡があるだけ。とくにそれらを聴きこんだ覚えもない。


 音楽に接する機会なんてほんのちょこっとくらいしかなかった。しかもぼくが意欲を掻き立てられるような環境でもなかった。


 ただ、小学校の時に音楽の時間で聴かせてもらうクラシック、または下校時とか、掃除や給食の時間に校内放送でかかるクラシックの曲はとても好きだった。シューベルトの「ます」とか、ビゼーの「アルルの女」とか。ほかにはマーチがとても好きだったから、運動会の練習の時間が楽しみだった。授業中にスーザの曲をはじめ、有名なマーチをたくさんかけてたから。ただし音楽の授業は好きではない(笑)。




 なぜ今日はこんなことを書いたか。
 

 音楽と深く付き合うのに資格はいらない
ということが言いたかったのでした。
 この程度の関わりしかなかった自分がなぜ、と考えてみると、とても面白く思えるところがある。


 逆に、音楽と深く関わりのある環境でぼくが育ったらどうなってただろうか。環境ってやはり大事ですから。
 案外音楽には興味を抱かなかったかもしれない。でも反対に、もしかしたら世界的なミュージシャンになってた可能性があったかもしれませんよ、ね。(笑)
 

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音楽を書き綴るということ

2007年05月29日 | 価値観
 
 こうやってほぼ毎日ブログのエントリーをUPしていると気づくんですが、好きなことについて書いているにもかかわらず、最近自分の文章が生き生きしてないかもしれないな、と思うんです。なんていうか、借り物の言葉で綴っている感じ。
 主に音楽について書いているため、データ的なこと(発表年とかメンバーとか)にミスがないよう、いろんなことをあらかた調べてから書くようにしているのです。ところが、いろいろ資料などを見ていると、その資料に使われている表現や言葉まで頭にインプットされてしまっているようで、いざエントリーを書く時に、自分の言葉にならないんです。


 できるだけ自分が感じたことだけを書きたいと思っています。だから、事実の羅列(つまりデータ的部分の丸写し)では終わりたくないし、聴いた音源が楽しかったのなら、どのように楽しく感じたかを書きたい、と思っています。
 でも最近自分の言葉が出てこない。出てこないというより、自分の語彙の乏しさに改めて気づかされた、と言っていいかもしれません。


 音楽を言葉や文章に変換する作業自体がとっても難しい、ということはあるかもしれません。それから、読んで下さる方みんなが音楽に詳しいわけでもないので、ひとりよがりな専門的単語はなるべく使わないようにしようとしているために、使う言葉が限られる、ということもあるかもしれない。でも、専門的な言葉を使わないで面白いエントリーを書いているブログはいくつもありますから、やっぱりそれは書けないことの理由にはなりませんね。


 ここでブログを書いている理由は大きく分けてみっつあります。ひとつは皆さんと同じで、好きなことを好きなように書き、発信すること。ふたつ、完全に音楽的趣味。好きな音楽は人それぞれだから、誰かに合わせて書くのではなく、自分の趣味(世界)を語ること。もうひとつは、ごく個人的なことなのですが、毎日何かを書くことによって、自分で自分の気持ちに張りを持たせたい(というか、張りを持たせる必要がある)、と思っている、ということです。
 でも、借り物の言葉で書くことに終わってしまったら、そこには「ブログを書かねばならない」というおかしな義務感だけが残ってしまいますよね。義務感だけで書かれた無味乾燥なエントリーなんて、書く方も読む方も楽しくはないでしょう。


 それに、記事を書くために音楽を聴く、というのも本末転倒ですよね。聴いて感じたこと、心に響いたことを書くからこそ、読み手側の方々も何かを感じながら読んで下さるはずですから。実際、エントリーに取り上げた音源は、その時聴きたいと思ったものばかりです。記事にするために適当に「今日はこれにしよう」と思ってCDを選ぼうとすると、絶対に文章になりません。借り物の言葉しか出てこないのです。借り物のフレーズしか出てこないなんて、もはやジャズでもロックでもないですもんね。
 ブログを書き続けることって、思ったよりたいへんなことなんですね。ネタは尽きることはないけれど(この世にあるCDの数だけエントリーを書いていったなら一生かかっても足りないでしょう)、「言葉のストックが尽きかけてるかな、マズイなー」と思っている今日この頃です。
 
 
 そう難しく考える必要のないことかもしれないのですが、このところ惰性(適当、とは違いますよ)でエントリーを書いていたかもしれない、と感じていたので、今日はちょっと自分の胸の内を書いてみました。


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