命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

貧乏という病気は、お医者様でも治せません。

2023年04月25日 19時01分56秒 | ひと口法話

 

貧乏(びんぼう)と書いて「ひんぼく」と読みます。

 

この「ひんぼく」は、霊界では、病気と同じであるとされておりますが、

この貧乏(ひんぼく)は、現在のお医者様でも治すことはできません。

 

医者の手余りである貧乏(ひんぼく)は、霊界施餓鬼一粒萬福法要で治すことができます。

貧乏になるには、それなりの理由があるのです。

それはご先祖様に借金があるからで、生きている我々がその借金を肩代わりしているために

お金が貯まらないのです。

この貧乏から脱出するためには、

霊界施餓鬼一粒萬福法要でご先祖様に霊界で施しをしてもらうのが、

一番の近道です。

 

故人様をご供養し、貧乏を治してもられるようにお願いするのですが、

どのような病気も治すには、時間も供養代もかかります。

 

合掌  


亡くなってから迷われているご先祖様が多すぎます!

2023年04月24日 19時17分09秒 | お札、お守り

 

霊感のある信者様が

体験談をお話くださいました。

 

最近その信者様の親しい方のご親戚関係で、

亡くなったと聞くことが多く、

その話を聞いたり、

時には「亡くなった」と話を聞く前から、

その信者様のところに

「○○です。」と来られることが、

立て続けにあったそうです。

 

その人たちは必ず「助けてほしい。」

「命光不動尊に連れていってほしい。」

「命光不動尊で供養してほしい」と言われるようです。

 

どこに行けばいいのかわからなく

泣いて大変困っておられるようなのですが、

自分にはどうすることもできないと

その信者様は悲しんでおられました。

 

 

お葬式ができていないか、

初七日をお葬式後にまとめてされたか

何らかの原因で迷われていることが考えられます。

 

戒名とは霊界でのお名前です。

そしてお葬式とは、人間界の卒業式であると共に、

霊界への入学式なのです。

 

戒名を授けてもらい、お葬式で

僧侶(仏様の代理人)からお経を上げていただく、

※お経(人間としての恥ずかしくない教えを説かれたもの)

 

そして、引導を渡していただくことで、

再び、人道(人間)の世界に帰ってくるための

とても大事な儀式なのです。

 

このお葬式の儀式を怠ると、

来世でどこの世界に生まれ変わるかわかりません。

 

もしかすると、虫や植物、動物の世界に

送られるかもしれないのです。

 

そして霊界へ行く準備をするの為の

仏のカリキュラムが

一日一日みっちり組まれているのに

初七日をお葬式の後すぐに行われてしまうと

迷われるのは当然ではないでしょうか?

 

亡くなったら霊界では

生まれたての赤ちゃんと一緒。

生まれたての赤ちゃんに

自分で家に帰ってきなさいと

言っているのと同じなのです。

 

霊界のルールを、我々人間の都合で変えることは

決して許されることではないのですよ。

 

自分が亡くなってから困らないように、

お葬式の意味を子どもたちに伝えていくことが

親の役目ではないでしょうか。

 

合掌


死後寄り添ってくれるのは、阿弥陀様ではなくご先祖様です。

2023年04月22日 16時08分22秒 | ご供養

 

当山の四家先祖供養とは、

12年かけて、各家のご先祖様に、

阿弥陀様と同じのお力を

持っていただくための供養法です。

 

なぜ、この供養が必要かと申しますと、

阿弥陀様と同じお力を持ったご先祖様しか

亡くなった方の元へ

霊界から迎えに行くことはできないのです。

 

 

故人様は、

亡くなって直ぐ迎えに来てくれる者がいないと、

どこへ行けばいいかわからず途方に暮れ、

「これからどうすれば良いでしょうか」と、

山主の前に現れると言われます。

 

その時、故人様の元へ行き、

死後 四十九日かけて霊界に行く準備をする間、

故人様が迷わないように、

側で寄り添うお役目をするご先祖様を

お作りするのが、四家先祖供養なのです。

 

そのご先祖様が落ちぶれていたら、どうでしょう。

お迎えどころではないはずです。

 

そのため、

四家先祖供養の最大の目的は、

各家のご先祖様に

阿弥陀様と同じのお力を持っていただくことです。

 

 

よく

「死んだら阿弥陀様がお迎えに来て下さいます」

というお話を聞きますが、

西方浄土の教主でおられる阿弥陀様が、

わざわざ一般庶民のためにお越しになられるでしょうか。

 

亡くなった方々は皆、

西方浄土の教主である阿弥陀様を頼っておられるのです。

その阿弥陀様が人が亡くなる度に動き回っておられたら

西方浄土にいらっしゃる亡くなった方々は、

皆 迷われるのではないでしょうか?

阿弥陀様は、動いてはいけないお方なのです。

 

当山で長年、施主様として四家先祖供養をされていた方が

亡くなられた時に

次は故人様として当山に供養を受けに来られています。

 

 

その時には、

「四家先祖供養のおかげで、迷わずに安心して霊界にいけます。」

「こんな有難い供養だったのですね」

と故人様はよく感動されています。

 

「自分のした行いは自分に返ってくる」とは

このことではないでしょうか?

 

合掌


足の激痛の原因は水子でした

2023年04月21日 16時22分47秒 | 華水(水子)供養

 

 

水子とは・・・

流産や死産で流れてしまった子どもは、

その家に異流の霊が宿った為に

ご先祖様の意向で産まれない場合がございます。

その為、流産や死産の子どもは水子ではなく、

あくまで親の意志で中絶した子どもを

当山では水子と呼んでおります。

 

 

信者様のA様は当山の月次祭はいつもお参りくださり、

先日もお穣さんがご結婚され

おめでたい事があったばかりです。

 

そのA様から「足が腫れて痛く、

病院にいっても「どこも悪くない」といわれて・・・・

酷いときには歩けない状態で、

症状がきつくなるばかりなんです」と、

急にお電話がありました。

 

山主が霊視しましたところ

「水子さんの障りや」といわれました。

 

その事をA様にお伝えしますと、

直ぐに華水供養のご依頼を受け、供養を開始しました。

 

その日のうちにお電話があり、

「足の腫れと痛みが引いてきました。ビックリしました。」

とお電話がございました。

 

今回のA様の場合、以前よりA家にあった水子のお墓を

親族の方が何の断わりもなく

勝手に撤去されてしまったことが

原因で障りが出たようです。

 

 

一般的な水子供養を、当山では「華水供養」といいます。

一般的なお寺さんではこの華水供養は出来ません。

というより、水子さんを成仏させることは出来ません。

水子の場合、この世にまだ生まれていない為、

神道の特別な修法を用いて、元の世界に送ってあげなければなりません。

この華水供養は、神仏習合の当山だからこそできる供養なのです。

 

水子がおられますと、足が痛い、

腰が痛い重い、子宮の病気などになりやすいようです。

 

また、イジメや引きこもり、家庭内暴力なども

水子の障りである場合が多いのです。

 

当山で「華水供養」をされた皆様から

「腰の痛みが消えた。身体が軽くなった。

供養してから子供が反抗しなくなった」などの

お声をいただいております。

 

合掌


先祖供養は大変です。でも必要だから頑張る

2023年04月20日 19時42分48秒 | ひと口法話

命光不動尊 寳来寺の山主は、トコトン、先祖供養にこだわる人です。

なぜなら、ご自分がとても大変な苦労したからです。

 

そして、長年厳しい修行をし、今の供養法を身につけたのです。

当山の供養を求めて多くのご先祖様が救いを求めて来られます。

 

このご時世、物価が上がり、先祖供養なんてお金に余裕のある人からできないよ!と

思っている人が多いと思います。

 

ご先祖様もお金がないから、「仕方ないと諦めてくれるはず」と思ってませんか?

 

この考え方では、一生苦労がつきまとう人生を歩むことになるかもしれません。

 

なぜなら、あの世をこの世は陸続き、

この世で子孫が苦労していれば、あの世のご先祖様も苦労しているのです。

死んでも尚、永遠に苦労はつづいているのです。

 

亡くなられた方は、死後の境涯がごんなに辛くても

ご自身ではどうにもできないのです。

 

 

だから、生きている我々にご先祖様自らが、助けを求めてくるのです。

 

合掌