命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

お裾分けではなく、お福分けがいい。

2017年03月26日 09時37分52秒 | ご供養

いい言葉ですね。

幸せをお分けする。幸せが減るのではなく、幸せが何倍にかなるんですよ。

何方が言った、お言葉でしょうか。

 

当山の一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)は、霊界では、なぜ、大評判の供養法なのでしょうか?

それは、供養を受けられた故人が、霊界に、お持ち帰えりになったお供え物を、霊界でお裾分けなさるからです。

これは、霊界においての究極の、お福分けではないでしょうか。

 

一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)のお供え物には

山主が見えない世界の大師からお授け頂いた修法により、

お供え物一粒ひとつぶに、ご尊霊の功徳を具足なさしめ給うことにより、霊界融通の霊物となる。(ロイ)

この、秘法により、ひと粒食べれば満腹になるという、霊界の食べ物に生まれ変わるからなんです。

 

 

人は 死後どの境涯に行くのか?

故人の生前の業の軽重によって決まります。

自分が蒔いた種とは言え、己が死んでしまっては自分の供養をすることも出来ません。

だから、現世に残った私たちの追善供養が必要になって来るのです。

 

そこで、当山の一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)の功徳により故人は、

霊界での布施(行)という善行により陰徳を積むことができれば、生前の業をはかすことができるのです。

そして、故人の善行は、施主様には陰徳(霊界の財貨)積みと、なって功徳施主様へと還元されるのです。

 

また、一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)は、回数を重ねれば重ねるほど、、

故人は霊界に於いての霊格が向上するのです。

つまり、霊界での地位が向上するということは霊界に於いて往来自在と成ると言うことです。

 

故人の霊格及び地位向上より、施主様には運勢が好転するという有難い、お蔭が現れます。

現に、このお蔭を頂かれた方は大勢いらしゃいます。

 

昨日の二十四日には東京から和歌山の橋本まで、お礼に来られました。

今日は山口県から来られました。

一度、陰徳積みの功徳に付いて、くわしくお知らせしたいと存じます。

南無大師遍照金剛

合掌

 

 


なくてもいいのかな?

2017年03月25日 14時49分05秒 | 日記

姉妹ネコです。

           

なんか変だと変だと思いませんか?

ひげが途中で切れてしまってほどんどひげが無いんです。

あちこちでスリスリしすぎてオデコは毛が薄くなってます。

時には血がにじんでいることも…。

 

べっぴんさんなんだけど、ひげがないと、なんか変?

 

 


悟りて、何やろうか?

2017年03月24日 18時12分12秒 | ひと口法話

現代に於いては、

悟りとはなんやろう。

今、特別な幸せがなくても、

幸せな心で居られる心が

持てることや。

日々の一寸した事でも

幸せを感じることができる。

そんな豊かで穏やかな心が、

悟りではないのかな。

???(天地火水気)???

            南無大師遍照金剛尊             

                                               

                        

 


悩ましいんだけど…すごく美味しいな。

2017年03月23日 17時55分19秒 | 日記

     今日、信者様がお供えしてくださいました。

 

 これ、なんだと思いますか?

男性陣が大喜びですが、実は、苺大福です。

中には大きな苺が入っておりました。

苺大福やのうて、おっぱい大福や言うて、

かぶりついておりました。

みんなで大笑いしました。

ほな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ご先祖様(霊)から催促されご供養に

2017年03月23日 15時03分20秒 | ご供養

今日はお弟子さんIさんのご依頼で、7月23日が命日のご実家のN家のご先祖様のご供養です。

 

本来は、7月の祥月命日に一粒満腹長者(霊界施餓鬼会)をお願いしますとのことでしたが、

お彼岸前から「Iさんが誰が憑いており、全然眠れない」ということで、霊視しますと、

ご先祖様が「7月まで待てない、早く供養をしてください」と言って憑いておりました。

 

早速お彼岸でもある月命日の23日に一粒満腹長者供養(霊界施餓鬼会)をすることになり、

当山で戒名札を出して準備しておりました。

 

Iさんが戒名札を見て「今日のご供養は、この方(ご主人の祖母)では有りません」と言われました。

今日のご供養は、実家のN家のご先祖様(同じく23日が命日)でした。

偶然にも命日が同じ23日の以前にされたI家のご主人の祖母様の戒名札をお出ししていたのでした。

 

Iさんが二人分の供養を一度に出来ないと言う事で、

I家の戒名札を下げ、実家のN家のご先祖様のご供養の準備をしておりましたら、

Iさんが急に「おかしい、おかしい、あかんわ」といって本尊の前で座り込み、急に泣きだされました。

そして「頑張ってきたのに、私は頑張ったのに、なんでや ちっともよくしてくれない」と言って泣かれるのです。

明らかに何かに憑依されている状態でしたので、山主が除霊しその霊を一時的に本尊に預けられました。

 

正気に戻られたIさんは

「やっぱりおばあちゃんの供養もしてください。なんでしてくれへんのかという気持ちでいっぱいになってしまいました。」

と言われるのです。

そして山主がご実家の戒名札の準備をしていますと、

「前に座り「苦労したんです。頑張ってやったんです」とまた泣きながら訴えられました。

 

山主が「ちゃんとしてあげるから、心配せんでええ、待っとき」と言われると、

何ごともなかったようにIさんは、「すみません」と笑っておられました。

急遽、I家とN家のご先祖様のご供養をなりました。

 

 

 

 

一粒(食)満腹長者供養(霊界施餓鬼会)も無事終わり、

山主が「本家の先祖さんビックリしてはったで、明治時代の人やけど、あまり供養してもらってないわ。

こんなによくしてもらってほんまにええやろか?て言うてはったから布施行しなさい

と言っといたで、びっくりして喜んどったわ。おばあちゃんも喜んどったで」といわれ、

Iさんもとてもお喜びでした。

 

そのIさんは

「人間も霊も一緒なんですね。

きっと朝から自分の戒名が出されていたから、

てっきり自分がしてもらえると思っていたのに、土壇場で違うから出来ない・・・は、ないですよね。悲しいですよね」

と言われました。

 

死んでしまったから私たちと違う事は無いのです。

ただ肉体があるかないかの違いだけです.

 

 また本日同席されていた他の信者様も

「自分達が見えていないだけで、本当はそうなんでしょうね」

と言われていました。