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マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

環境都市・クリチバ市(ブラジル)

2011年08月01日 | カ行
                   小池 洋一(立命館大学教授)

 ブラジルの南部、パラナ州の州都クリチバ。日系人が多く住むこの都市は、先進的な環境施策で世界に知られている。

 その第1が、公共バスを交通システムの柱に据えたことだ。車社会のブラジルでは、都市部の交通渋滞は日常茶飯事で、クリチバも車の排気ガスによる大気汚染が深刻な問題となっていた。また、自家用車を持てるのは、町の中心部に住む富裕層に限られる。一方で、所得が低い人ほど町から遠い郊外に住み、バスでの長時間通勤を強いられていた。交通渋滞を放置しておくことは、低所得層を社会から排除することをも意味していたのである。

 そこで1974年以降、当時のクリチバ市長レルネル氏は、バス専用レーンや高速で走れるレーンの整備に着手。郊外に住む人たちの通勤時間短縮を実現した。バス運賃は乗車距離にかかわらず一定(日本円にして150円ほど)。一度払えば乗り換え自由なので、郊外に住む所得の低い人たちの負担が相対的に軽くて済む。つまり、この交通システムは、所得の不平等を間接的に是正する仕組みとなっており、環境政策が社会政策としても機能しているのだ。

 また、クリチバ市では、乗客数ではなく運行距離を基準にバス会社に売り上げを配分しているため、バス会社は、利用客が少ない路線も存続させることができる。すると、郊外路線の周縁に人が集まるようになり、人口がほどよく分散した。結果、市内の交通渋滞が緩和され、大気汚染を軽減するという好循環を生み出した。この交通システムは、メキシコシティーやコロンビアのボゴタなどで応用されている。

 クリチバでは、スラムなど市のゴミ収集車が入れない地域で、住民が集めたゴミを買い取る仕組みがある。どんな場所でもゴミを回収するのは行政の義務であるとの考えからである。また、缶、ビンなどリサイクル可能なゴミを野菜と交換する政策を実施している。これらの施策によって、貧困地域の環境は向上し、低所得層の栄養水準改善にもつながった。

 「都市とは、さまざまな階層の人たちが所得の多寡などによって排除されることなく生活できるところであるべきだ」とは、レルネル氏の持論だ。彼の強力なリーダーシップなくしては、クリチバの環境政策は実現不可能だったろう。そのレルネル氏のもと、クリチバの都市政策に携わってきた職員の中に、中村ひとしさんという日本人がいた。中村さんは今、クリチバでの経験を生かし、首都ブラジリアの都市政策に携わっている。

(「ラジオ深夜便」2011年8月号から転載)

小物の基準

2011年07月25日 | カ行
 昨年(1985年)の春、A氏から手紙が来て、上京して私の所で勉強したいとのことであった。その後電話で連絡を取った時、ドイツ語はどのくらいやっているのかと聞いたら、ゲーテの『親和力』を「一寸訳しました」とのことであった。後で判った事には、その「一寸」というのは実際には4頁か5頁のことであった。

 そのAさんがへーゲルのキリスト教論を読んで、「大体文章にまとめた」と言うので、「じゃ『鶏鳴』に載せようか?」と聞くと、「いや、もう少し考えてから」と逃げる。その時私は、一方では自分の小さな実績を過大に言い、他方で自分の仕事を公の場で世に問うのを恐れているようではどうしようもない、と話したことであった。

 実際、自分のした事をどう表現するかはその人をよく表わしていると思う。関口存男(つぎお)氏はドイツ語以外にも、フランス語はアテネ・フランセでフランス語での授業を代行したほどだし、もちろん英語もギリシャ語もラテン語もロシア語もイタリア語もスペイン語も、そしてエスペラント語や漢文も出来た。そのほかにも出来たものはあっただろうと思う。しかもその出来方たるや、そこらのその語学の専門家以上だったようで、或るギリシャ語学者は氏の質問を受けて驚いたという話である。しかし、氏自身は「そもそも出来るとはどういうことか」と問題提起し、ある語学が本当に出来るとは、その言語で書かれたあらゆる分野のものを読んで分かるようでなければならないと言って、「自分に本当に出来るのはドイツ語だけだ」としか言わなかった。

 さすがに関口氏。4頁や5頁訳して「一寸訳しました」という人とは基準が違う。私はAさんにこの話をし、「Aさんの日本語は間違ってる。『一寸訳しました』と言うのは、100頁訳してからにしろ」と注意したことであった。

 その話をした時にはたまたまN氏も同席していた。そのNさんが個人名を挙げない文を書くので、「相手に直接言うか、文を書くなら個人名を出して批判しろ」と最近は言い続けている。先日『人間家族』という雑誌に氏は「鶏鳴学園への招待」という文を書いたが、そこに初めて2人の名を挙げて軽い批評めいたことを書き、「今度の文には少し個人名を出しました」と言った。その時も私は、理想を掲げて運動をしている人がなぜこうもダメ人間ばかりなのかと言うのなら、○○はこれこれこうだからダメ人間だと、10人以上について書いて、その文を本人に送ってからはじめて、「少し名前を出した」と言え、と応えた。

 私は人を悪く言いすぎると言われている。この評判を以前は大分苦にしたこともあるが、最近ではこう考えている。それは、私は子供はほめるが、大人に対しては絶対的な基準をもって客観的で全面的な批評をするからだ、と思っている。

 私は子供は褒める。自分の子供でも悪くは言わないし、叱ることはめったにない。暴力を振るったことなど1度もない。少しでも好い所を探して針小棒大に褒めるようにしている。唯一の例外が食事中の姿勢で、これは悪ければ注意する。これは例外というより、姿勢が根本だと考えているので、この姿勢さえしっかりしていれば、後は褒めた方が子供の成長によいと考えているのである。もちろん私のことだから、以上の原則を完全無欠に実行しているわけではないし、私自身が食事中の姿勢を崩して子供に注意されることもある。

 ともかく子供は褒める。少くとも余り悪くは言わない。学校の成績の悪い子には「学校の成績なんか関係なし」とかばう。この間の暮に子供が落し物をした時にも、「人間には誰にでも間違いがある。わざとやったんじゃない。お父さんも沢山落し物をしている」と言っただけである。

 しかし、大人は客観的に評価する。すると、私のその評価の基準が相手の基準より高いために、相手は悪く言われたと感ずるのである。4頁訳して「一寸訳した」と思っている人に、「そんなの訳した内に入らない」と言うことになるからである。そして、一部の人々は、4頁だって少し訳したことは訳したではないか、と食ってかかる。A氏の場合は幸いこういうことにならないで済んだが、それはともかく、ここに彼我の違いがある。

 これが根本の原因だったと思っている。その上に私の言い方が相手に対する配慮に欠け、しかも言う必要の無い時に言ったことも多かったのだと思う。そのために相手の「幻想を持つ権利」を犯すことになった。もちろんこれは私が悪かった。

 従って最近は、私に就いて学びたいと言ってきた人にその真意をはっきり確認し、かつ「私はあなたを褒めませんよ。実際より悪く言うなんて失礼な事はしないが、実際より好くも言いませんよ。褒められたいなら修業は止めた方がいい」と、念を押すことにしている。もちろん相手の言い分も聞くように、「運営に関して研鑽する時間」を制度化した。そして、研鑽する姿勢について繰り返し反省するようにしている。これで大分無用な誤解は減ったようである。(1986年2月15日)

 感想

 1度はこの文をブログに載せておいた方が好いと思いましたので、載せました。

 かつて、浜松市のアンケートに回答した人が5000人くらいだったのを私が「少ない」と言ったら、「十分に多い」と評価して牧野批判をした「小賢しいニセモノ」がいました。この例は、牧野にケチをつけたい人が、牧野の相手をかばう方法の1つですが、「小物の基準」でもあります。

 一般化して言うならば、「評価は評価者自身をも表す」ということです。自己評価でも他社評価でも同じです。


川勝県政2年目の評価(その1、朝日新聞の評価)

2011年07月17日 | カ行
01、朝日新聞(2011年07月08日。後藤遼太)

 開け放たれた知事室のドア。居並ぶ県幹部の説明に川勝平太知事が耳を傾ける。平日夕方の県庁でよく見られる景色だ。

 当選直後、川勝知事は「知事室のドアは常に開け放ちます」と宣言。会見や報道陣とのやりとりの中でアイデアを披露して政策を推し進め、県職員を引っ張る手法は新鮮だった。「理想を語る学者知事」という未知のキャラクターに、県職員たちは右往左往した。

 空港では成果

 「川勝県政で事態が進展した課題は、『静岡空港の完全開港』と『沼津駅高架化事業』だろうね」。ある県幹部はそう指摘する。

 静岡空港の2500㍍滑走路建設。航空法の高さ制限を超える雑草が見つかった「ササ問題」では、地権者の信頼を失い交渉のテーブルにさえつけない県当局を尻目に、川勝知事が地権者と直接面会。開港期限までに雑草を除去することで地権者と合意し、何とか完全開港までこぎ着けた。

 沼津駅高架化事業を巡っては、事業推進派と反対派を集めて意見交換会を開いた。両派和解とまではいかなかったが、前出の県幹部は「会うことさえままならなかった両派が一堂に会しただけでも前進」と話す。

 現場が停滞すると川勝知事自らが乗り出して事態の打開を図る。これは初期の成功手法と言えそうだ。知事に就任してしばらくすると、もう一つの政治手法が目立ってくる。「けんか戦法」だ。

 「荒茶とてん茶の区別もつかない。この程度の人間が基準を決めている」。6月初旬、川勝知事は乾燥茶葉の放射性物質検査結果を受けて、憤懣やるかたない表情でまくし立てた。

 国に押し切られる形で実施した結果、基準を超える放射性セシウムが検出され茶業界に大打撃を与えた。怒り心頭に発した川勝知事は、会見などで厚生労働省批判を繰り返した。

 しかし、「お茶独自の基準を設けて欲しい」と厚労省に乗り込んでまで求めた新たな放射性物質検査の暫定基準は、県が公開質問状を2度も出して、いまだに木で鼻をくくったような回答しか届かない。

 川勝知事が就任以来、激しい応酬を繰り広げた日本航空。福岡線の搭乗率保証問題に静岡空港からの日航撤退も絡み、保証金約1億5000万円の支払いを求めて県を訴えた。

 川勝知事は「一部の跳ね上がりが無礼な振る舞いをしている」と日航経営陣を厳しく批判してきたが、日航に言わせれば「川勝知事が搭乗率保証廃止を主張したために撤退に至った」。弁論準備手続きでは両者の主張は平行線のままだ。

 「敵」を仕立て

 就任以来、厚労省や日航以外にも、沼津駅高架化問題で「貨物駅不要論」を挑んだJR貨物、静岡空港の看板撤去を要求した伊藤園など、様々な「けんか相手」を仕立て上げて事態の打開を図ってきた。就任2年の折り返しを迎え、その手法に限界を感じている県職員も多い。

 「川勝知事は『敵』を見つけると燃え上がっちゃう。けんかして注目を集めるのはうまいんだけど、局地戦で勝っても、最終的な勝ちにつながるとは限らないんだよ」。ある県幹部はこう、頭を抱えた。

02、朝日新聞(2011年07月09日。大久保泰)

 県庁5階の知事室に7日、県経営者協会の岩崎清悟会長ら役員4人が川勝平太知事を訪ねた。

 「このままだと空洞化が進む。産業が出て行かないように、地域に根づかせるような対策が必要だ」。

 国が地域を指定して規制緩和や財政支援する「総合特区制度」。秋に向かって他県との指定争いが激化する。その前に、県の提案に注文をつけた。

 「震災まではすべて順調だった」。知事室を出た鈴与の早川巌副社長が言った。2008年9月のリーマン・ショックから、ようやく回復の兆しが見えていた矢先だった。

 3月11日の東日本大震災以降、県の雇用情勢は悪化している。求人倍率は4、5月と2ヵ月連続の低下。他県より影響は大きく、全国順位は3月の26位から5月には35位まで下がった。

 新宅友穂・静岡労働局長は「製造業中心の本県の産業構造が、全国より深刻な状況を招いている」として、雇用対策の必要性を強調する。藤岡経済研究所の中嶋寿志専務理事は「自動車だけに頼らない、新たな物作りを発展させていく必要がある」と訴える。

 連合静岡には最近、「仕事が見つからない」といった深刻な相談が相次ぐ。若い人も多いという。

 「理想郷」の姿は

 2年前の知事選で、連合静岡は川勝氏を支援した。自民党政権の末期、政治、経済ともに閉塞感が漂っていた。「日本の理想郷を静岡に」という川勝氏の訴えは新鮮だった。

 連合静岡の吉岡秀頼会長は「『ふじのくに』というフレーズで、新しい静岡を県民に発信している」と評価する。一方で、「『3・11』が起きる前と、起きた後に描く絵がどう違うのかを示す必要がある」と感じている。

 浜岡原発の全炉停止、原発周辺の企業移転の動き、お茶の放射能問題。未曽有の災害の影響はいまだ続く。その中で、知事が訴えてきた「理想郷」はどんな姿になるのか。

 震災後、川勝知事は新エネルギー政策に力を入れる。県内の耕作放棄地約1万2000haに太陽光パネルを設置すると訴える。ソフトバンクの孫正義社長が提唱する自然エネルギー協議会へも参加する意向だ。

 吉岡会長は「この静岡をどうしていきたいのか。自然エネルギーは静岡を支える産業になるのか。雇用を創出できるのか。正直、まだわからない」と話す。

「浜岡」次の争点に

 7月1日の県議会一般質問。質問に立った天野進吾県議(自民改革会議)は、川勝知事が進める静岡空港を核に茶産業の活性化を目指す「空港ティ-ガーデンシティー構想」を皮肉った。

 「構想が完成した折、展望デッキ周辺の森に新たな閑古鳥が鳴くことにならないか、はなはだ心配だ」。

 外国客誘致のため、トップセールスを繰り返す川勝知事。しかし、震災の後、空港の利用者は落ち込んだままだ。

 天野県議は、川勝知事の積極性を評価しつつ、「もう一呼吸、胃袋で味わってほしい。のどで消化している」と例えた。素早くのみ込まず、課題を十分に消化して判断してほしい、との思いだ。

 静岡大学の日詰一幸教授(行政学)は、浜岡原発への対応に注目する。

 「運転再開には、周辺住民や自治体、県民、企業など様々な思いがある。輻輳(ふくそう)した問題にはスピード感とともに、意見の調整や議論が必要。それがないと、独りよがりになってしまう。運転再開は次の知事選の争点になる」。

03、感想

 評価は評価者自身をも表す、と言います。上の朝日の2つの評価を読んで思うことは、朝日は相変わらず勉強していないな、ということです。朝日の7月8日の記事に付いていた「川勝知事と県政年表」は以下の通りです。

2009年7月7日、就任
   同、21日、所信表明でJAL搭乗率保証見直し
   同、8月11日、駿河湾沖地震発生
   同、27日、静岡空港が2500㍍滑走路で完全開港
   同、9月、JALが静岡空港からの撤退を検討
   同、10月、JAL撤退巡り、西松JAL社長と会談
   同、12月、「富士山の日(2/23)」条例可決

2010年3月、静岡空港からJAL撤退
   同、4月、県内で新茶の凍霜害
   同、5月、3776訪中団の第一陣出発
   同、11月、JALが搭乗率保証金支払い求めて県を提訴

2011年3月、大震災受け浜岡の津波対策見直し言明
   同、5月、菅首相の浜岡停止要請。川勝知事は「英断」
   同、茶菓の放射能検査問題

 自分の観点でまとめていないから、与えられたものについてだけ、適当な批評を述べることしかできないのです。こういう態度では、「やっていないがやるべきである事」に気づきません。

 なぜ川勝知事はブログで週間活動報告をして、県民と直接対話することをしないのでしょうか。大阪府の橋下知事は毎週のメルマガで熱く語りかけています。朝日はなぜこういう事を問題にしないのでしょうか。自分で県庁のカウンターホームページを作っていないからでしょう。自分で「行政とは何か」を研究していないからでしょう。

 朝日によると、川勝知事の支持率は67パーセントだそうです。随分甘い県民ですね。政治オンチの県民が政治オンチの政治家を生みだし、それが又政治オンチの県民を作り出すという悪循環は、誰がいつ断ち切ってくれるのでしょうか。


個人事業者の団交権

2011年06月30日 | カ行
 人件費を削減するため、業務委託や個人請負契約の個人事業者を活用する企業が増えている。そんな個人事業者に、労働組合をつくって団体交渉を求める権利はあるのか。最高裁の答えは「イエス」だった。

 最高裁は4月12日、住宅設備の修理を手がけるINAXメンテナンスのカスタマーエンジニア(CE)と新国立劇場の合唱団員について、「労働組合法上の労働者にあたる」と判断した。「労働組合法上の労働者」であれば、労働組合をつくって団体交渉を求める権利が認められる。

 いずれの場合も東京高裁は「労働組合法上の労働者ではない」という使用者側の主張を認める判決を出していた。

 ここ最近、地裁や高裁で同じような判決が相次いでいたため、労組関係者や弁護士、労働法学者には強い危機感が広がっていた。これまでの裁判例や通説と大きく異なるため、司法判断の流れが変わったのではないか、という見方すらあった。

 下級審の判決について、「労働組合の歴史を知らない裁判官が増えているのではないか」「企業別租合のイメージが強すぎるのではないか」という指摘がある。

 労働者は使用者と契約して働いているが、一人一人では交渉力は弱い。そこでつくられたのが労働組合だ。集団で交渉する意義が理解されるようになり、団結権や団体交渉権が法律で保護されるようになった。

 今の日本では企業別組合が主流で、正社員か、せいぜいパート社員のもの、というイメージもある。「個人事業者は事業主だから、労組なんておかしい」という受け止め方もあるだろう。

 しかし、初期の労働組合運動を担ったのは、企業に関係なく集まった自立心旺盛な熟練工たちだ。それは、ヨーロッパでも日本でも変わらない。個人事業者であるCEや合唱団員の労働組合は、むしろ原型に近い。

 「報酬が一方的に決められている」「会社から貸与されている器具の修理代が自己負担なのはおかしい」「仕事中に事故を起こしても補償されない」──。個人事業者には疑問や不安がある。1人で会社と交渉したら契約を切られてしまうかも知れない。だから、労働組合をつくって団体交渉を求めている。

 個人事業者の労働組合は、本来の社会的役割を果たそうとしている。使用者は真率に向き合うべきだ。

 (朝日、2011年05月17日。沢路 毅彦)

河川の生態調査

2011年06月27日 | カ行
01、牧野の質問(2011年06月14日)

 静岡県が管理している河川の生態を毎年、調査していますか。その川に棲んでいる魚の種類と数量、水草の種類と数量、飛来する野鳥の種類と数量、土手に生えている草の種類と数量などです。

 自分で調査しないでも、適当な個人ないし団体にお願いして、毎年報告を聞き、統計を取って発表していますか。どこに発表していますか。

 分かるなら、馬込川と御陣屋川の生態の変化を過去5年について教えてください。

 前回の質問への答えまでは3週間もかかりましたので、せめて2週間以内に回答を下さい。

02、静岡県からの回答(川の生態調査について)(2011年06月21日)

 日ごろから県の行政にご理解とご協力をいただき誠にありがとうございます。6月14日にご質問をいただいた川の生態調査について、馬込川、御陣屋川を所管する河川砂防局よりお返事いたします。

 県内では天竜川や大井川など、国が管理する一級河川においては5年に1度の割合で定期的な生物調査(河川水辺の国勢調査)が実施されており、県が管理する主要な一級河川においても同時期に同様の調査を実施しております。調査結果については国土交通省が取りまとめ、インターネット上で一般公開されており自由に閲覧できるようになっております。(URL: http://www3.river.go.jp)

一方、県が管理する二級河川については、河川整備基本方針や河川整備計画などといった河川に関わる計画を作成する際など、必要に応じて既往の文献調査や現地調査を実施いたしますが、定期的な調査は実施しておりません。

ご依頼の馬込川と御陣屋川については、既往文献の調査等により当該河川の生態系について整理した資料がありますので別添のとおり提供いたします (5月31日に公開で開催した静岡県河川審議会にて使用した資料です)。

今後は、御陣屋川を含む馬込川水系において現地調査を実施し、調査結果について公表する予定をしております。

なお、御陣屋川については絶滅の危険が増大している貴重種であるミクリの群生地が見られ、種の保存や生物多様性の観点から、学識者を含めた「ミクリの里の川づくり」検討会においてミクリの保全に係る専門的な課題に対する検討、河川改修工事の際には移植による保全、移植後の生育状況調査等を実施してきましたが、調査結果等については貴重種の生息・生育箇所が特定され、その貴重種の乱獲や、生息・生育箇所を荒らす事を目的とした者に伝わることによって、絶滅を招く懼れがあることから一般には公表しておりません。

以上、ご要望に応えることができず大変申し訳ありませんが、今後もお気づきの点がございましたらご意見、ご質問をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

静岡県交通基盤部河川砂防局河川企画課

03、感想

 このような事を質問したのは、最近の県の護岸工事がコンクリートで固めるものだからです。これによって生物多様性が損なわれているのではないかと思い、それを数字で確かめたかったのです。

 先日も御陣屋川の土手を妻と歩きましたが、最新のコンクリート護岸は周囲とマッチせず異様ですらありました。ああいうのに出くわすと本当にがっかりです。楽しくないです。川勝知事に聞いて見るつもりです。

04、馬込川の水質について(静岡県の回答)(平成23年03月28日)

 先日、知事あてに頂いたメールについて、知事からお返事をするよう指示がありましたので、事務を所管する各課からお返事いたします。

 このたびは、お返事が大変遅くなりましたことをまずもってお詫び申し上げます。

 馬込川右岸共用導水路は、農業用水及び水道用水として、船明(ふなぎら)ダムの発電放流水から取水した水を流す水路であり、浜松市浜北区於呂地先までの7.7㎞につきまして、農林水産省との共有施設として県企業局にて維持管理を行っております。

 このうち、水道用水(全体の約6%)につきましては、共有区間の末端から上流300m地点において、企業局の浄水場に導水して、飲用可能な水質に浄水処理した後、浜松市及び湖西市に対して供給を行っております。

 また、浜名用水路は、農業用の水利を目的として右岸共用導水路から馬込川まで、豊富な水量の導水を行っております。

 このたびは、この右岸共用導水路から馬込川までの「水の色」を始めとした水質に係る御意見を賜りましたが、本県といたしましても、河川環境は単にBOD(※1)等の指標だけで評価できるものではなく、牧野様御指摘の「水の色」や「透視度」、「水のにおい」なども、人と河川の豊かなふれあいの確保の観点からみた場合、河川環境に係る評価の要因となるものと考えております。

 しかしながら、「水の色」につきましては、降雨による一時的な濁りや水量、水深、流速などの様々な要因により刻々と変化することが一般的であるとともに、人それぞれに感じ方が異なるものであることから、BODのように明確な数値等をもって一律的な評価を行うことは困難であると考えております。

 また、水質に係る化学的な分析につきましては、当該区域の環境保全業務を所管する浜松市が白羽橋及び茄子橋の2地点で経年的な水質調査を実施しているところです。

 その結果、右岸共用導水路は河川としての環境基準(指標はBOD)や農業用水としての基準を満たしており、また、溶存酸素も比較的高いことから、県といたしましては、現況では生物の生息や生育にとって特段の問題はないものと考えております。

 県といたしましても、このたび牧野様からいただいた御意見も踏まえ、地域住民の皆様に愛される馬込川の良好な環境の保持のため、今後も河川の現況や水質調査結果等を注視してまいりますので、引き続き御理解を賜りますようお願いいたします。

※1  BOD(生物化学的酸素要求量)とは、水中の有機物が微生物により分解される時に消費される酸素の量のことで、河川の汚濁状況を表す時に使われる指標(数値が大きいほど水質汚濁が著しい)です。

・H21年度BOD75%値:白羽橋1.2㎎/L、茄子橋1.5㎎/L(類型C:5㎎/L以下) 

静岡県くらし・環境部環境局生活環境課長 近藤 淳

交通基盤部河川砂防局河川企画課長  石井  隆 

交通基盤部農地局農地計画課長    内田 幸男

企業局事業課長           亀  研一

05、感想

 水の色は、手始めに見た事を伝えただけで、私の中心的関心事は「馬込川を憩いの川にする」ということです。水の色はその後、場合によっていろいろあることが分かりました。

     関連項目

馬込川を憩いの川にしよう

馬込川プロジェクトのために

公務員の給与削減案について

2011年06月19日 | カ行
                    榊原英資(えいすけ。青山学院大学教授)

 菅政権は復興財源捻出のために今後3年間にわたっての国家公務員給与の削減の方針を決め、連合系組合はこれに合意していると伝えられています。しかしこの提案は二重の意味でナンセンスです。

 まず日本の国家公務員数は人口千人あたり12・6人とイギリスやフランスの4分の1。そして公務員の人件費も対GDP比でOECD諸国中で最低の6%と、アメリカやイギリスに比べて2分の1程度。

 このうえ公務員の人件費を削減する必要が本当にあるのでしょうか。実は、日本が先進国中飛びぬけて大きいのが国会議員や地方議員の歳費。国会議員の総歳費は180億円と欧米先進国の倍以上。地方議員はもっとひどく都道府県議会議員の平均年収は2000万円以上でアメリカの州議会議員400万円の5倍以上。ヨーロッパでは地方議員は兼職が多くてボランティア的性格が強く、スイスなどでは無償。公務員給与の削減を言う前に、国会議員や地方議員の歳費の削減を実行すべきです。

 また経済復興の観点からすれば、復興財源は国債の発行で捻出すべきです。給与削減や増税は経済にマイナス効果をもたらし、復興のための歳出の効果を経済全体としては帳消しにしてしまいます。

 いま必要なのはケインジアン・ポリシー。大恐慌のときケインズが提案したように、財政赤字を増大させて経済全体を刺激すべきなのです。

 これはマクロ経済学のいわば常識ですが、菅政権には経済学を理解している人がいないのでしょうか。経済運営に関する強いリーダーシップが今ほど必要なときはないのですが…‥。

 (朝日、2011年06月07日)

   感想

 01、傾聴するべき意見だとは思いますが、欠陥もかなりあると思います。公務員の内部の構成、正規公務員と非正規公務員の比率や待遇差も考慮するべきでしょう。

 02、ヨーロッパでは正規と非正規の区別が無く、本人の希望等による勤務時間の差だけがある国もあるはずです。

 03、特に、教育公務員の給与を考慮していない点は拙いと思います。政府の給与削減案でも教員は対象外のようですが、やはり教員も含めて考えるべきでしょう。みちろん教員にも正規と非正規の格差(大格差)があります。

 04、竹原さんが市長だった時の鹿児島県阿久根市のように、1人1人の公務員の実際に受け取った年収を決算に基づいて発表することが大前提だと思います。

 05、議員に通信簿を付ける会のような活動も大切です。榊原さんは大学教授として学生にそういう事の重要性を訴えているのでしょうか。地方議員の堕落は国民の臣民根性にも根ざしていると思います。

 もう少し広く詳しい検討が必要と思います。

 これはもっと長い文章がウェブアサヒに出ているのでしょうが、ここに書かれていた事だけで感想を書きました。

原子力村

2011年06月05日 | カ行
                 安斎育郎(あんざい・いくろう)、立命館大学名誉教授

 私は1960年にできた東京大工学部原子力工学科の第1期生、15人の1人でした。国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めてつくった学科で、「原子力村の村民養成機関」というわけです。当然、同期生のほとんどは原子力業界に進みましたが、私は学生のころから「原子力の安全が破綻したらどうなるか」ということに関心があり、1人だけ原子力政策を批判する立場になりました。

 国が原子力推進のためにつくった学科から「反原発」の人材が出るなど、あってはいけないことです。私は東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでした。主任教授が研究室のメンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命し、私は後進の教育からも外されました。研究費も回してくれないので、紙と鉛筆だけでできる研究に絞らざるを得ませんでした。東京電力から一時研修に来ていた人は、去り際に、「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係でした」と告白しました。

 私は「村八分」にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけです。「私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずはない」と、直観的に分かりました。

 そもそも、原子力産業は国家の意思なしにはスタートできません。原発は事故が起こった時の被害総額があまりに大きく、大量の使用済み燃料処理にかかる最終的なコストもはっきりしない。一般の企業がこんなリスクを背負うことは到底できず、産業化には「原発をつくる。一定限度以上のリスクは国が肩代わりする」という国策が前提となります。

 「国がやる」ということから始まっているから、「やるのがいいのか、悪いのか」という話には、そもそもならない。「反原発」は即、反国家的行為とされます。原子力業界が批判を受けつけない「村社会」になるのは必然だったと思います。

 しかも、「村民」は業界や国だけにとどまらず、原発の建設候補地でもカネを使って、地元の政治家や住民を原発推進派に仕立てていきました。

 私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」と言い続けたのですが、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だったことは否めません。

 一方で事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体からみればわずかな人数とはいえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということでしょう。

   (朝日、2011年05月20日。聞き手・太田啓之)

下水道の可能性

2011年05月09日 | カ行
          梶原みずほ(朝日GLOBE編集チーム)

 東日本大震災では下水道インフラもダメージを受けた。1都11県にわたる被害の内訳は、下水処理場60ヵ所、管路900㌔メートル、マンホール2万個。対策を急がないと汚水が街中にあふれ、疫病や感染症のリスクが高まる。

 復旧のため、全国の自治体から下水道マンが被災地に駆けつけた。仮設ポンプでくみあげた汚水を、急ごしらえの池に集め、消毒をして川に流す。作業にあたった人数は延べ6000人に及んだ。

 ただ、応急措置に追われているばかりではない。被災の実情を見つめる中から、将来をにらんだ構想も生まれてきている。

 水とエネルギーの循環型システムだ。日本の上下水道はこれまで、改築と修繕を繰り返し、つぎはぎだらけだった。震災で一からの街づくりを迫られる地域では、この機に日本の最新技術を総動員するべきではないのか、という考え方だ。

 実は、下水は身近で安定的なエネルギー源である。下水の流れや落差を利用する小水力発電は、すでに国内五つの下水処理場で活用されている。下水は外気に比べて季節による温度の変動が少なく、地域の冷暖房にも利用できる。今国会の法改正で、民間業者に門戸も開かれた。

 下水の汚泥から精製したバイオガスの利用はCO2削減にも役立つ。すでに神戸市の処理場で実証実験をし、都市ガスとして供給している。

 このように各地で活用中の先端技術と民間のノウハウを採り入れたうえ、そのシステムを通信ネットワークで結べば、災害時の状況把握や復旧も容易になる。世界のモデルとなる仕組みをつくれる可能性があるのだ。

 もちろん、被災地の緊急のニーズに応えることが最優先だ。しかし、より大きな復興の構想も同時に立てて、手を打たなければ、地域の力を高める機会を逃しかねない。早急に知恵を出し合い、議論にのせるべきだろう。

 こうした下水システムの構想は、今のところ国土交通省内の検討にとどまっている。水ビジネスは政府の成長戦略の柱の一つであり、菅直人首相が示す「エコタウン」にもつながる。それでも「官僚が言いだせばつぷされる」と、慎重にならざるをえないのだという。

 最終的な政策判断が「政治主導」なのは当然としても、現場を知る人々の具体的なアイデアが生かされないのでは本末転倒ではないだろうか。

 (朝日、2011年05月04日)

ケマル・パシャ

2011年04月09日 | カ行
 ケマル・パシャ(1881~1938)は、トルコ共和国の建国者で「トルコの父」と呼ばれる。現在流通しているトルコのすべての紙幣に彼の肖像が描かれてている。

 ドイツとともに英仏と戦った第1次世界大戦(1914~18)で一躍名をはせた。ダーダネルス海峡にほど近いガリポリに上陸した英仏軍を激戦の末撃退したのだ。この作戦の立案者は当時の英海軍相チャーチルで、引責辞任に追い込まれている。

 大戦は敗北で終わった。トルコはイラク、シリア、パレスチナなど多くの所領を失い、さらにギリシャが英仏の後押しを受けて侵攻、国家存亡の危機に立った。彼は臨時政府を樹立して国民を結束させ、ギリシャ軍を撃破。600年間君臨してきたスルタン(皇帝)を廃し、1923年に共和国の成立を宣言した。

 トルコはイスラム教徒が大半を占める。だがケマルは、政教分離を基本とする西欧型の国家を目指した。一夫多妻制を禁止し、イスラム暦をグレゴリオ暦に変更。複雑なアラビア文字を廃してローマ字(ラテン文字)に代えた。これは文字改革と呼ばれ、識字率を高めることに寄与した。またイスラム世界の中では、いち早く女性参政権も付与した。

 だが数年前からイスラムの伝統を重視する政党が台頭し、政教分離体制は大きく動揺している。

 イスラム世界では飲酒は原則として禁止だが、遅くイスラム化したトルコは宗教的な縛りも弱く、トルコ人は数百年前から「ラク」と呼ばれる蒸留酒を愛飲している。ケマルも酒を愛した。死因は肝硬変。軍人に任官した頃から、激務のうさをはらすために睡眠薬や酒に頼っていたようだ。

 (朝日、2011年04月07日。河合塾講師・青木裕司)

金の使い方

2011年04月06日 | カ行
 ──「その使い方を知るまで、富者の財産をほめてはならぬ」。人の器量は金の使い方で判断せよという、ソクラテスの言葉である。(朝日、2011年04月05日。天声人語)

 ソクラテスがこういう言葉を残しているとは知りませんでした。教えてくれてありがとう。賛成です。私も、収入の道は不法でない限り何でも好い、と思います。職業に貴賎なし、です。稼いだ金をどう使うかこそが大切だと思います。

醜い日本人

2011年03月21日 | カ行
 公正な発言態度について考えをまとめてみます。

第1点・金の動きと結び付けて考える

 大学で教科通信を出すと喜ばれます。特に女子学生はこういうのが好きで、「高校時代にこういうのがあったらなあ」と書いてくれる人も少なくありません。

 さて、哲学の授業の場合は授業の性質上、毎回発行するのですが、ドイツ語の授業では平均して月に1回です。すると、「毎週出してほしい」といった要望が出ます。私は「これこそ『言い易い人にだけ言う』という間違った態度だ」と言い、機会を見て以下のような話をします。題して「世の中の事は金の動きを考慮しないと、本当の事は分からない」。

 「この要望がなぜ間違っているか」を考えるには、イチローにだけ『4割を打ってくれ』と言うことと比べて考えると好いと思います。牧野への要望はなぜ「×」で、イチローへの要望はなぜ「○」なのでしょうか。

 お金の動きを考えるのです。イチローが4割を打ったら、お金はどう動くでしょうか。かつて2005年ころ話したので、当時に立って考えますが、当時イチローの年俸は約10億円でした。1~2年後に契約更改の時が来る予定でした。そこで私は、「イチローが4割を打ったとしたら、次の契約更改の時、年俸が今の10億から15億とか20億とかに上がるでしょう」と言います。皆、これで大体察してくれます。しかし、私は続けます。

 君達は私の給与を知らないようだけれど、時間講師は時給5300円なのです(私の勤務していた大学は特に悪い)。この5300円という時給が高いか安いか、外部の人は判断しにくいと思いますが、これは不当に低い時給です。

 1年間30週の授業とすると、1コマ(2時間)で30万円です。大学講師の適当な担当コマ数は週に6コマですから、年俸にすると180万円です。これで分かるでしょう。私見では、大学の時間講師の時給は最低でも1万円でしょう。そうすれば年俸360万円になって、ワーキングプアは何とか脱することが出来るでしょうから。

 まあ、それはともかく、現実は時給5300円です。その時、授業の準備に週に4時間かけるとすると、週に4時間担当していましたから、実質の時給は半分の2650円になるわけです。ですから、毎週教科通信を出すとすると、それだけ準備の時間が今より増えるわけですから、実質の時給は一層下がるわけです。

 要するに、メジャーとかプロ野球とかでは「努力が報いられるシステム」があるから、特定の人にだけ高い要望を出しても好いのですが、大学には「努力の報いられるシステム」がないので、そういう要望を言ってはならないのです。

 最後に、私は「君達は僕に損をさせようとしているんだぜ」と言います。既に教科通信を出しているだけでも普通の先生より時間を割いています。まあ、私はいろいろな目的で講師をしていましたから、銭勘定だけで考えているわけではありませんが、一般的に言うと以上のような事になります。

 その後のレポートには「あの要望は間違っているということが分かった。サービス残業と同じだ」といった意見が出てきます。

第2点・まずトップに言うのが原則

 第2の問題として、学校では校長や学長が天皇になっていて、トップに意見や批判を言うことをしない、という問題があります。長には言わないで、全てを担当教師とか「言いやすい人に言う」のです。

 浜松市議のSさんは、生徒の親から「ブラスの顧問の先生が30万円の楽器の購入を強制した」と相談に来た時、ブログに書き、議会で教育長に「貸出制度を充実させたらどうか」といった質問をしたようです。しかし、校長には談判に行かなかったようです。訴えた人は、自分では校長に言えないので、市議に言ってもらいたかったのではないかと推測しますが。

 私見では、この「言いやすい人にだけ言う」という態度ほど世の中を悪くしている態度はないと思います。この問題は浜松市の積志公民館での哲学講座の通信「松の木」でも取り上げてあります。

 「言うべき人に言う」という態度が必要です。しかし、では何かが問題になった時、「言うべき人は誰か」、これを正しく判断するためには世の中の仕組みを正しく理解しておかなればなりません。

 今、多くの大学では「授業アンケート」を取ります。私は最初のアンケートの時が来ると、授業アンケートというものをどう考えるべきかをテーマにした授業をします。新聞に載った論争を取り上げたりします。私見としては、「アンケートはまず学長の大学運営について取るべきだ。個々の授業についてのアンケートはその後だ」と言います。結論はありません。学生がそれぞれ考えて行動すればよい事です。

 一定の割合でおかしな学生がいます。なぜか私を嫌ってくれて、揚げ足取りのような事をレポート(我が授業では「アンケート」とは言いません。これをまとめて教科通信「ユーゲント」を出します))に書いてくれます。「先生の間違いを指摘したのだ」というのが言い分です。それに対して、「まず学長の間違いを指摘するのが学問的に正しい順序だ」と言います。

 この問題は既にブログ記事「主権者であるということ」にも書きましたので、このくらいにします。

第3点・醜い日本人(自分の意見を言ってから質問せよ)

 今、東北・関東大震災に際して、日本人が略奪や暴動を起こさず、助け合い、忍耐強く並んで順番を待つ姿が外国の人々から称賛されています。これはこれで立派な事であり、我々の誇りとすべき事ではあります。

 しかし、外国人からしばしば批判される日本人の悪癖もあります。その中でも特に悪名の高いのが、「日本人は相手に質問をするばかりで、自分の意見を言わない」というものです。

 これはかなり有名な事ですから、一般的な事実は確認だけにして、今回「仮立候補」をしてみて、経験した事を材料にして具体的に考えましょう。

 私への質問を書き、その後盛んに返事をしろと要求してくる人がいます。その人はその返事の催促の中で、「私どもの間では、最近牧野さんの仮立候補についてがよく話題に上ります」とも書いています。しかし、その「私ども」とはどういう仲間なのか、そこでどんな意見が出て来たのか、自分はどういう意見を述べたのか、そして一番大切な「どちらを支持するのか」は述べていません。これが「醜い日本人」なのです。私の経験では、外国人はまず自分の立場(支持する人)から話し始めるものです。

 材料が足りなくて判断が出来ないと強弁するかもしれませんが、それは逃げているか嘘をついているかのどちらかでしょう。「現時点での判断」をするに必要な情報は十二分に出ています。

 別の或る人は、質問を10個ほど列挙してきましたが、その中に「マキペディアで馬込川についての記事を読みました。そのうえでどのように『憩いの川』にするのか具体的な考えは?」というのがありました。

 私はあの提案の中では珍しく(わざとですが)自分の具体的提案は書かずに、問題を提出し、皆さんの提案を募りました。しかし、同時に、「いまでもかなり楽しい散歩が出来ます」と書き、「まず自分で何キロでもいいから歩いて見てほしい」という趣旨の要求をしました。それなのにこの質問者は歩きもしないでこういう質問をしてきました。ほかの方からも「歩いてみての感想」は1つもありませんでした。具体的な提案などは望むべくもなかったようです。

 この方は「耐震補強作業中に高校生がミスをした場合、逆に作業にて負傷した場合等の保障はどこがどのように行うのですか?身内に高校生がいる身としては大変気になります」とも書いています。

 高校生がいるなら奥さんも加えて(最低でも)3人で話し合ったうえで、馬込川についても家族で歩いてみて話し合ってから、自分達の意見を十分に詳しく報告してほしいです。質問するのはその後にして下さい。

 学校教育については、「天タマ」を3号くらい読んで、話し合ってみてほしいです。私は「市長通信で全市民と話し合いたい」と書きましたが、それは「天タマ」を拡大したようなことを考えているのです。それなのに、市民がこのような「自分の意見を言わない市民」では市長通信は作れません。

 言論は自由ですが、社会的発言には「資格」ということを考える必要があると思います。誰でも何でも質問していいわけではないと思います。「10回自分の意見を出したらようやく1回質問の資格が出来る」くらいに思って下さい。そうでもしなければ「醜い日本人」を改めることは出来ないでしょう。

 最後に、もう1度、最初の学生の「毎週教科通信を出してほしい」という要望に返ります。この要望も本当は「そう思う事自体」は悪くないのです。そう思ったらレポートに充実した意見を書けばよいのです。例えば、こういう意見を書いた人がいます。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。牧野先生の「レポートを書かせて教科通信を出す」やり方のように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。

 昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。──

 人生意気に感ず、です。先生がまず頑張ったら、次は学生が頑張って返すのです。すると、先生は更に頑張るのです。市長候補者と選挙民の関係でも同じでしょう。

    関連項目

「天タマ」

主権者であるということ



行政パートナー

2011年03月02日 | カ行
 時給700円の「行政パートナー」を募集する市民への説明会が(2003年05月)25日、埼玉県の志木市民会館である。

 志木市は向こう20年間、原則として正職員の新規採用を一切しない。毎年10人から30人の退職者の1.5倍を「パートナー」で補う。2021年には正規職員301人に対し、行政パートナーは523人となる計画だ。

 ト-タルで67億円の経費が節減できる。最終目標は、市民病院の医師など専門職を除く30~50人の管理職や専門官だけを残し、あとはパートナーがすべての行政実務を運営する。「市民支配の行政」の壮大な実験だ。

 「第1期生」は十数人の予定で8月にも働き始める。スポーツセンターや郷土資料館、図善館などの複合施設の窓口担当や管理、運営業務などを受け持つ。

 でも、ちょっと待てよ。「市民本位の自治体運営」と言えば聞こえはいいが、安い時給で市民を使っちゃえ、ということじゃないの。

 「アンケートをしたら7割の人がこれくらいの時給でいいって言う。市民は働く人でもあるが、雇い主でもある。できることは自分でやり、負担は軽い方がよい、という経営感覚ですよ」と穂坂邦夫市長(当時)は一蹴する。

 しかし、これから20年以上も、穂坂氏が市長であり続けることは難しい。次の市長がこの計画をやめちゃったらどうするの?

 「自分は長くやるつもりはない。市長でいるうちにこの路線を定着させたいと考えている。でも、『市民が主役』の意識がけっこう広がっていますよ」と穂坂氏は言う。

 「市民が職員」という実験は、すでに群馬県太田市で2001年度から進行中だ。こちらは「行政サポーターズ」。主婦や退職サラリーマンが五つの任意団体から派遣され、162人が、市立図書館や福祉、文化施設、市役所の市政情報コーナーで働いている。

 時給は580円。県の最低賃金である644円を下回るため、市は「雇用ではなく、ボランティアヘの謝礼」と説明している。年間1億2000万円程度の人件費削減の効果があるという。

 「しろうと市民」による行政運営で大きな課題となるのは、プライバシーの扱いだ。

 太田市は2002年度から、市民課の窓口にもサポーターズを置く計画だったが、個人情報を扱うとの理由で見送った。志木市は、業務従事者個人と守秘義務契約を結び、宣誓書の提出を求めるなどのやり方で、市民課へのサポーター進出を検討している。

 英国では、行政と民間団体との協定が政府レベルで交わされている。非営利団体の全国組織が1998年、政府と「コンパクト」(協定)を結んだ。政府はNPO(非営利組織)などに資金援助や政策への参加を保証し、ボランティア団体は政策づくりや施設運営の向上を目指す。これをきっかけに、各地で地域のNPOなどが作る団体と自治体が「ローカル・コンパクト」を結び、自治体の業務の一部をNPOが担う動きが広がった。

 英国でローカル・コンパクトの状況を見た日本NPOセンターの李凡さん(29)は、準備不足などから自治体とNPOが理想的な「協働」ができていない実態も見聞きした。「NPOが単に、行政の下請けや、丸投げの相手になる恐れがある。互いに知恵を出し合う対等のパートナーでなければ」と話している。
 (朝日、2003年05月13日)

   感想

 案の定、志木市では、市長が交代したらこの制度は廃止されたようです。「組織はトップで8割決まる」のです。「市民が主役」の意識の広まりも、「それを保障しない人は市長に選出しない」という位まで強くなければ、簡単にひっくり返されてしまうのです。

 愛知県犬山市の教育改革も市長が代わり、教育長が代わってから、元に戻ってきているようです。

学校教育はどう考えるべきか

2011年02月28日 | カ行
 授業がつまらないと先生を責める意見は好く聞きます。それを誰かが投書などすると、生徒にも問題があるという反論と、好い先生もいるという反論の為されることが多い、と思います。

 スクラップを整理していたら、かなり典型的なやりとりがありましたので、それを引きながら、私見を述べてみたい。

 01、本当の授業を見せてほしい(横浜市の18歳の高校生Mさんの投書)

 私は、高校の授業の質の低さに不満を抱いている。学校の授業は本当につまらないものが多い。私たちは、与えられたプリントの空欄をただ埋めていったり、先生が英語の訳を言うのを必死になって書き取ったりする。このような授業では自分の頭で考えないから、当然興味がわかない。

 そもそも知識を得るために勉強するのではなくて、興味あることを知るための道具こそが知識なのだ。だから先生の一番大事な役目というのは、学生の興味を引き出すことであって、知識そのものを説明するのはその次の話だ。

 教科書を使わないで授業をする社会科の先生がいる。その先生の授業ではデイベートをしたり、調べものをしたり、先生の話を聞いたり、とにかく楽しい。みんなの顔が輝く。私も自然と知識で頭が満たされている。本当の授業ってこういうものをいうのだと思う。

 生徒があいさつをしても無視する。授業の声は小さくて聞こえない。教師の質の悪化はすさまじい。学生本位の教育について、大人はもっとちゃんと考えてほしい。高校生の私にこんなふうに言われる先生たち大人は、恥ずかしいと思わないんですか。(朝日、2003年01月25日)

 感想

 典型的な意見でしょう。「本当の授業」をしている先生もいるが、そうでない先生の方が圧倒的に多い。そういう先生は恥を知れ、ということでしょう。

 これはおおむね事実と言って好いと思います(特に高校ではそうだと思います)。これを否定するような人は現実を知らなすぎると思います。

 さて、この事実を確認したとして、次にどうするか。Mさんは新聞に投書して、「そういう先生は恥を知れ」と叫びました。なぜそうしたのでしょうか。先生本人が悪いからだと思ったからでしょう。これで事態は改善するでしょうか。否。なぜでしょうか。先生本人が悪いという認識が間違っているからです。

 学校教育を考える時のほとんどすべての意見の根本的間違いは、「学校教育は個々の先生が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものである」ということを知らない事です。多くの学校で校長がいかに堕落しているか。そして、更に、教育長がいかに堕落しているか。国民は無知すぎます。

 Mさんは社会科の先生を褒めていますが、その社会科の先生もこれを教えていないようです。これでは困ります。社会に出たら、多くの事は組織を単位として行われることに直面します。従って、組織というものをどう考えるか、社会科の先生はしっかり教えなくてはいけません。私見によれば、「組織はトップで8割決まる」ということと、なぜそうなのかということと、規律とは何かということが一番大切でしょう。

 Mさんも「堕落教師を好くするのは誰の仕事だろうか」と考えて見ると、面白かったでしょう。それは校長の仕事です。従って、Mさんは、本当は、まず校長に訴えて見るべきだったのです。もしそうしたとしたら、多分、答えに成らない答えが返ってきたでしょう。すると、今度は「こうい『生ける屍』みたいな校長を指導するのは誰の仕事だろう」と考えます。それは教育長の仕事です。そこで、教育長に訴えてみます。すると、教育長は校長をかばうでしょう。今度は、「こういう教育長は誰が選んだのか」と考えます。それは首長が任命したのです。そして、そういうことをした首長を選んだのは市民だということに思い至ります。

 しかし、首長の選挙の時、教育長をどうするかが話題になる事はほとんどありません。ではどうしたら好いでしょうか。統一地方選挙も間近です。

 少し先走りすぎました。「校長に言うべきだ」と進言しても、誰も実行しないでしょう。なぜか。日本の学校では校長を天皇視する雰囲気のあることが原因でしょう。個々の教師を批判する生徒や保護者はいても校長を批判する人はほとんどいません。校長もそれをいいことにして、「自分の学校運営や先生に疑問を感じたら、私に言ってください」とは言いません。つまり、市民の臣民根性が問題なのです。

 私は、大学の授業の中で、「学生の第1の義務は、学長の大学運営を批判的に検討することである」と言い、「大学は学問の府である。しかるに、学問の大前提は、『全てを疑う』ことである。学長の大学運営を疑わなかったら、『全てを疑』ったことにならないではないか」と説明します。誰も実行してくれません。一部の学生は、「学長批判をする先生は嫌いだ」と、出なくなります。やれやれ。

 02、山形市の高校生のSさんの意見

 高校生の「本当の授業を見せてほしい」を読んでから、ずっと考えた。私も「授業ってもう少し面白くなんないのかな」と思っていた。しかし、センター試験を受けてみて、面白いだけでは、限界があったのではないかと思う。

 義務教育で覚えた基礎しか入っていない私たちの頭に、大学受験に対応できる学力をたたき込むのは容易なことではないだろう。とにかく時間がないのだ。しかも学校5日制の導入でますます授業時間が短縮された。先生も長年授業や受験と向き合ってきてこその授業をしているはずだ。

 もっと興味がわく授業にしたいなら、生徒自身が意見を言い合えばいい。もっと知識を深めたいなら、待っているだけではなく、自分から先生に会いにいくべきだ。もっと知りたい、という生徒に教えてくれない先生はいないのだから。

 今、高校で手をあげる生徒はほとんどいない。授業をつまらなくしているのは「つまらない」と嘆いている私たち自身ではないだろうか。もう授業がない今になって本気でそう思う。(朝日、2003年02月03日)

 感想

 これも典型的な反論です。先生も悪いが生徒も悪い、というものです。この考えは正しい面もありますが、根本的には間違っていると思います。なぜか。授業の質を決める事で先生と生徒の責任の度合いは決して半々ではないことを見逃しているからです。ではその度合いは本当はどうでしょうか。

 先に述べた通り、「組織はトップで8割決まる」のです。つまり、この場合では「授業は先生の実力と情熱で8割決まる」のです。断っておきますが、この場合、校長がしっかり教師集団をまとめていることは前提されています。

 もうひとつ、教師と生徒の責任の度合いを考える際に忘れてならない事は、「サーブ権は先生にある」ということです。あくまでも、まず先生が好い授業をすることが先です。その場合にのみ初めて、生徒のレシーブが適当かが問題になります。サーブがコートの中に入っていないのでは、レシーブのしようがありません。生徒が質問しないのも、手を挙げないのも、先生のサーブが悪いからです。

 03、神奈川県の高校教員Wさんの意見

 「本当の授業を見せてほしい」を読み、胸をえぐられる思いがした。教員となって30年以上になるが、正直言って「うまくいった」と思える授業は年に数えるほどしかない。これも、生徒たちが「本当の授業」と受けとめたかどうかはわからない。

 どうすれば良い授業を作れるか、同僚の教員と何回も議論しながら、教材研究に取り組んだこともあった。今でも「わかって楽しい授業」を目指し様々な工夫を試みているつもりだが、空回りすることが多い。生徒から酷評されることもある。授業中に漫画を読んだり携帯電話とにらめっこしたりしている生徒もいる。授業から「逃走」してしまうのかもしれない。

 「高校生の私にこんなふうに言われる先生たち大人は、恥ずかしいとは思わないんですか」と鋭い問いかけを発しているが、恥ずかしいけれど、すぐには答えを出せないでいる。このように書くと、「指導力不足」のレッテルを張られてしまいそうだが、多くの教員仲間との実践交流や研究活動を重ねながら、本当の授業、本当の教育とは何かを追求していきたい。(朝日、2003年02月04日)

 感想

 これも典型的な意見です。教師全体がどうかを見ないで、「私はこうしている」という意見だからです。これでは何も解決しません。先生がこれでは希望がありません。


 牧野紀之の浜松市長選への仮立候補宣言

議員に通信簿を付ける会

2011年02月26日 | カ行
 市民が地方議会を傍聴して議員の働きぶりを採点する動きが全国に広がっている。低評価の議員からは批判や抗議の声があがるが、私語や居眠りが減るといった具体的な効果も出ている。統一地方選を前に、議会のあり方の議論につながる可能性もある。

 02月19日、仙台市の市民団体が市議(定数60)の4年間の「通信簿」を初めて発表した。

 作ったのは市内の主婦や元会社員ら約20人でつくる市民団体「議会ウォッチャー・仙台」。本会議での質問の「質」を評価するため、

①事前に調査したか
②他都市と比戟したか
③改善策を示したか

 を採点した。結果は100点満点で平均がわずか7.92点。調査対象とした昨年6月議会までに1度も質問しなかった議員が8人もおり、全員「失格」。いずれも5期以上のベテランだった。

 議場での離席や居眠り、私語も複数のメンバーで数えて公表した。最も居眠りの多かった議員(6期)は、計65回にのぼった。

 事務局の庫山(くらやま)恒輔さんは「議場が議論の場になっていない。ベテラン議員ほど議論せず、素行も悪い傾向がある」と話す。一方、失格になった別の議員(6期)は「委員会では質問し、地域のために働いている」と反論する。

 議員の通信簿づくりは東京都国立市、千葉県佐倉市、兵庫県尼崎市などに広がり、活動の積み重ねとともに効果も上がっている。

 1999年発足の「相模原市議会をよくする会」も1月末、3回目の通信簿を公表した。選挙で掲げた公約を質問に盛り込んだか、といった観点から議場での私語や居眠りまで25項目を評価している。

 赤倉昭男代表は「居眠りは半減した」と言うが、100点満点で51点以上の「合格者」は52人中38人。「残り14人の存在意義は薄い。定数を減らしていいのでは」と手厳しい。

 当初は低評価の議員から「落選したらどうするんだ」と抗議も受けたが、8人の合議で採点し、評価の公平性を保とうと努力してきた。今回、抗議は一件もないという。

 1998年から議会傍聴を続ける東京都の「多摩市議会ウォッチングの会」も、3月下旬に通信簿を発表する予定だ。神津幸夫代表は「議場から居眠りや私語、やじがほとんどなくなった」といい、今回から「態度」の項目は、発言内容そのものを採点するという。

 ただ、2007年の前回統一選では最高評価をつけた議員が落選した。神津さんは、「図表を付けるなどの工夫で、若い人が手に取って議会や選挙に広く関心を持ってもらえるようにしたい」と話す。

(朝日、2011年02月20日。高橋昌宏、関根光夫、米沢信義)

  感想

 こういう会は「全国に広がっている」そうですが、我が静岡県にも浜松市にもないと思います。

 公務員を市民が自主的に評価することは、市民の権利でもあれば、義務ですらあると思います。議員で自己満足することなく、ぜひ学校ホームページ(校長)の評価をする会が出て来てほしいものだと思います。学校を好くする最後の保障がこれだと思います。

   関連項目

議員の通信簿

小学校のホームページの必要項目

中学校のホームページの必要項目

行政の実際(選挙管理委員会の例)

2011年02月09日 | カ行
 朝日の「声」欄(2011年02月01日)に或る主婦の投書が載っていました。まず、それを転載します。

      記(選管委員は有権者にもっと目を)

 今年は統一地方選挙があり、私は障がい者、高齢者の政治参加を考える会にかかわっている。これまで会では、行政区の選挙管理委員会に幾つかの要望を出してきた。車いすが使いにくい投票所の改善や投票カーの巡回、郵便投票の簡易化などいずれも障がい者や高齢者の切実な願いだ。

 交渉相手はいつも選管事務局。つまり市職員で、希望しても選管委員には一度も会えなかった。委員にどんな権限があるのか質問しても明確な返事はなく、月に1回程度会議を開くが、選挙に関する不正監視が主な仕事とか。

 有権者の政治参加を促すための活動や企画、実態把捉、投票行動をサポートする進言などに時間が費やされた様子はない。投票所の設置や投票率の向上も委員の立派な仕事ではないのか。自治体によって違いはあるが、委員の多くは議員経験者で高額の報酬が支払われている。

 交渉の席で経緯を聞いていた障がい者は「事務局が実務のほとんどをしているのなら、委員はお飾りということやね」と締めくくった。選管要員は、選挙の公正とともに、有権者の政治参加にも目を向けてほしい。(引用終わり)

    感想

 これを「丸投げ行政」とか「丸投げトップ」と言います。ほとんどの特別職公務員はこうしています。

 さて、生活の中で矛盾を感じて行政に働きかけて見て、政治(行政)の実態を知り、偽念を持ったということですが、これからどうするつもりなのでしょうか。新聞に投書しておしまいでしょうか。

 こういう実情を変えたいと思うなら、なぜこうなっているのかと、調査・研究を進めなければならないでしょう。シンドイことではありますが、少しずつ続けていくことが大切だと思います。そうすれば、同じ疑問から出発して研究し行動している人たちもいることが分かるのではないでしょうか。

   関連項目

教育行政の真相