先月、姫路市北の書写山の円教寺に 登った時に 興味を持った一つに「日本の山岳信仰」がある。
解説によると、山を神に豊作を感謝する日本独特の秋祭りは 子供のころから良く知っていたが全国にもその習慣があるのは 山岳信仰があったかららしいのだ。
大講堂と言う、大きな寺院建物の横に食堂(じきどう)と言う 写経の部屋の一角に山岳信仰の歴史の説明と 古い修行僧の彫刻に詳しい説明があった。
こんな説明は初めてだったが、日本の山岳信仰は、生命の水、狩猟の獲物、植物、鉱物を与えてくれると言う自然発生的なものだった・・それが奈良時代に、外来の密教が入り比叡山・高野山から始まる山岳仏教となり 修行僧達が全国を回り広めていたそうだ。
主に天台宗らしいが険しい修験道を開発し役行者と言う修行僧がその山を登り続けて僧を育てながら 山岳信仰の布教をしていたのだ。
修行者の装束説明が興味深い。高い鉄下駄を履き、右手に三鈷扞(さんこしょう)と般若心境の経巻を持ち、左手には錫杖と念珠を持つ。従者は右手に斧と左手に水瓶、そして背中に筏を背負って役行者について登るらしい。
今の軽く無駄のない、山岳装備と比べたら鉄の下駄など とんでもないが 信仰心があればどんな苦労も修行となれば問題は無いのかも知れないが 初めて行者の姿を見せられて 山が好きだからと山登りをする事に罪悪感を感じてしまった。
書写山 円教寺の食堂の役行者の彫刻・・日焼けで黒いのかも
解説によると、山を神に豊作を感謝する日本独特の秋祭りは 子供のころから良く知っていたが全国にもその習慣があるのは 山岳信仰があったかららしいのだ。
大講堂と言う、大きな寺院建物の横に食堂(じきどう)と言う 写経の部屋の一角に山岳信仰の歴史の説明と 古い修行僧の彫刻に詳しい説明があった。
こんな説明は初めてだったが、日本の山岳信仰は、生命の水、狩猟の獲物、植物、鉱物を与えてくれると言う自然発生的なものだった・・それが奈良時代に、外来の密教が入り比叡山・高野山から始まる山岳仏教となり 修行僧達が全国を回り広めていたそうだ。
主に天台宗らしいが険しい修験道を開発し役行者と言う修行僧がその山を登り続けて僧を育てながら 山岳信仰の布教をしていたのだ。
修行者の装束説明が興味深い。高い鉄下駄を履き、右手に三鈷扞(さんこしょう)と般若心境の経巻を持ち、左手には錫杖と念珠を持つ。従者は右手に斧と左手に水瓶、そして背中に筏を背負って役行者について登るらしい。
今の軽く無駄のない、山岳装備と比べたら鉄の下駄など とんでもないが 信仰心があればどんな苦労も修行となれば問題は無いのかも知れないが 初めて行者の姿を見せられて 山が好きだからと山登りをする事に罪悪感を感じてしまった。
書写山 円教寺の食堂の役行者の彫刻・・日焼けで黒いのかも
