goo blog サービス終了のお知らせ 

碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1906- 山岳信仰を知る

2019-06-15 | 山登り
 先月、姫路市北の書写山の円教寺に 登った時に 興味を持った一つに「日本の山岳信仰」がある。
解説によると、山を神に豊作を感謝する日本独特の秋祭りは 子供のころから良く知っていたが全国にもその習慣があるのは 山岳信仰があったかららしいのだ。
 大講堂と言う、大きな寺院建物の横に食堂(じきどう)と言う 写経の部屋の一角に山岳信仰の歴史の説明と 古い修行僧の彫刻に詳しい説明があった。

 こんな説明は初めてだったが、日本の山岳信仰は、生命の水、狩猟の獲物、植物、鉱物を与えてくれると言う自然発生的なものだった・・それが奈良時代に、外来の密教が入り比叡山・高野山から始まる山岳仏教となり 修行僧達が全国を回り広めていたそうだ。
 主に天台宗らしいが険しい修験道を開発し役行者と言う修行僧がその山を登り続けて僧を育てながら 山岳信仰の布教をしていたのだ。
修行者の装束説明が興味深い。高い鉄下駄を履き、右手に三鈷扞(さんこしょう)と般若心境の経巻を持ち、左手には錫杖と念珠を持つ。従者は右手に斧と左手に水瓶、そして背中に筏を背負って役行者について登るらしい。
 今の軽く無駄のない、山岳装備と比べたら鉄の下駄など とんでもないが 信仰心があればどんな苦労も修行となれば問題は無いのかも知れないが 初めて行者の姿を見せられて 山が好きだからと山登りをする事に罪悪感を感じてしまった。

 書写山 円教寺の食堂の役行者の彫刻・・日焼けで黒いのかも

1906- シーサイド・ラインの事故で

2019-06-09 | テクニクス
 自動運転車両は、全国各地で40年前から始まり、運用され最も安心な交通機関だと思っていたが 横浜市の金沢八景まで行く無人運転車両の事故があった。
原因は運行システムに通信断線の検知が不十分とかで 当面は人運転で再開されているそうだが システム欠陥の解決策は かなり複雑で未だ先になるようだ。

 30年前の信楽鉄道の正面衝突事故も、単線に車両を増やし 途中に無人信号所を作り 安全だった筈の信号システムが間違って事故となったが この原因はその信号システム設計に不備があったと書かれていた。自動化システムは、緻密な技術が欠かせないのは 昔、カメラ指示で動くロボットを40台並べた生産ライン開発をしたことがあるが 見かけの設備完成よりも センサーとロボット動作の考えられるあらゆる異常を想定して その場合にも危険回避出来る事をシステムに折り込むのに 数倍の人力と時間・経費を要しトラブルを回避するシステムの難しさを経験したことがあるが 鉄道となれば 更に緻密な配慮が必要なのだろう。

 安全な無人電車もある、私が利用する 神戸ポートライナーとか羽田のユリカモメも40年になるが未だに事故は無いらしいから システム設計さえ良ければ 長期使用の部品劣化・断線と言う経時的な故障にも定期交換・不測の故障なら 安全側で止まるシステムに配慮がされていれば事故は起こりにくい。人に頼るよりも寧ろ 安全なのかも知れない・・何しろ、システムさえ良ければ 機械は決められた通リ忠実に動くだけだが それには共通した鉄則がある筈だ。

 最近設置されるシステムには、高速でより便利に・・と 無人運転以外に通信回線で結ばれた仕組みとなり 更に複雑になるが複雑になればなるほど、事故リスクは高くなる。現代は運転は機械に任せて・・が流行だが、トラブルが起こると使う側の一般人には先ず修復は出来ない。無人運転は、遊園地の電車の様な 極めて単純なもので止めておくべきだと この事故はそれを戒める教訓ではないだろうか。

 大阪2025年の万博会場の人工島「夢洲」。ここにも大阪都心からの 無人ライナーが開通する計画もある。世界最大の人工島ドバイ・パームアイランドにも、日本製の無人モノレールが、既に運行されているそうだ (日立評論 中東の都市交通紹介記事から)
世界中に人工島も増えつつあるが、海の上なので何処でも同様となる様相らしいが 噂の無人タクシーも出て絶対安全だと言われているが 想定外の事故も潜んでいるのだろう 私は乗る気がしないけれど。

 世界最大の人工島・・ドバイ共和国の「パームアイランド」 グーグルマップから

1906- 国経済の行末は

2019-06-02 | 日記
 この十年間で、世界100社の企業に数多くランクインしていた国内企業は 今はトヨタとソフトバンク2社になったと言う、ソフトバンク孫正義会長の日経ビジネスの記事の引用。
1989年に10社の内7社が日本企業を占めていたことを考えれば その凋落ぶりは明らかで その最大の原因は手にした収益事業を 何時までも手放なす事が出来ないことがその原因だと言う。
 日本が、世界をリードしてきた時代の勢いは急速に減速されてお金持ち文化の休日を増やし 残業も無い楽な暮らしに方向が変わったのは平成になった頃からだ。政治が変えたと言うより、国民がその方向を希望したからだろう。

 秋の増税を控えた人気取りなのか、過日の10連休も驚いたが最近 ウイークデイに街に出ても働く時間も多様化した事もあるが 働く中心の中高年とか 学校にいる筈の学生達を良く見かけて経済活動とか勉学はどうなっているのか不安になる。
政策も経済立て直しよりも、「働き方改革」とかで 裁量労働制の決められた時間内に早退しても 残業をしてる企業の判断で 定額で社員を働かせる制度が出来たと言うのも喜ぶと言うよりも気になる最近のニュースで 詳しく理解した訳ではないが、企業に都合の良い「定額労働させ放題」と批判されている所を見ると 策定者も充分な論議がされないまま「労働者の仕事が自由で楽になる」と言っている。

 小学生の頃から「日本は資源が無く、加工製造業で輸出で国経済を支えて行くしか生きていけない」と教えられ それを信じてきた年代が その概念が弱点となり世界に取り残されているようだ。
情報化が進み、製造はアジアに移ると世界企業のフイリップス・シーメンス・ゼネラルエレクトリックなど 有名企業は いつの間にかドメインを売り払い 今では正反対のソフト通信ビジネスに変身して収益を上げ続けている。
 ところが日本企業だけがそれが出来ず、国内家電メーカーは次々に身売りされ 他産業、特に銀行業なども預金を預けても利子は無く 引き出すと入出金で手数料が取られるとなるともう既にサービス業失格だがそれでも未だ存続している。
通販アマゾンはチャージカードを使うと2.5%、Appleカードなら2%の還元がされ このシステムを使って預金代わりにしている人もいるそうだ・・人の信頼は印鑑だったり、現金取引だった時代からキャツシュレスから更にカードレスになる顔認証も登場して 人の顔が信用・信頼に取って代わる時代も近いと言うのに・・。

 社会環境が変わっていても、資産を築いてきたドメインから離れられないのは 今は致命傷になる。確かにソフトバンクは、ドメインの事を「戦う領域」と呼び 環境に合わせて変えていく部分・・とその結果も違っている。
収益の柱であるドメインを変えるのは、社運を賭けた勇気が必要だ。抱える従業員の心配、新規技術への不安、失敗の恐れ・・どれも 難しい課題だが 環境が高速度で変わる中 交差点に留まって様子を見ている事の方が危険なのだ。

 世界ランキング上位の、米国・中国企業のビジネス内容を見ると 持っていない技術は企業配収で取込み将来のある事業に乗り出し 歴史があっても不振な事業は即売却し カメレオンの様に変身しながら事業を伸ばしている。
 環境が変われば、生きていけない・・当たり前なのに 日本企業にはそれが出来ず 迷っている内に「茹でガエル」となった結果が現状なのだろう。
休みを楽しみ残業ゼロを目指すより 世界相手の大規模なゲームをかる感覚で 経済活動に参戦するのこそバーチャル・ゲームなどよりも 余程楽しいと思うのだが・・。


1906- ポートアイランドの子供たち

2019-06-01 | 日記
 神戸の人工島、ポートアイランドには港島学園と言う小中義務教育一貫校がある。
島の子供たちは、大抵はここに通うのだが 周辺には 保育園・高校もあり 西側には神戸学院大学を中心に4校もある、島は学園と医療都市の様相だが 都会の街中と違った のんびりさがある・・他県からの学生も多いのだが、きっと感化されるのだろう。
 島はコンクリートのイメージとは正反対で、南から北まで緑の公園と 敷地の広い企業の庭園も多いし 周辺は海なので海と緑 そして北には六甲山がある 普通にイメージする駅ビルがある都会とはだいぶ違う 緑の島民みたいだが その環境が影響するのだ。
 
 子供達も広場でよく遊ぶが ゴム飛びとかドッジボールなど 一時代前の子供の様で ガリ勉的な子供は皆無なのかも知れない、この学園は「あいさつが溢れるポートアイランドに」と独自の教育をされているから情操教育には良い学園だろう。
私も朝、新聞を買いにエレベータに乗るが 通学の子供から挨拶されたりする、本土に住む子供達よりも 神戸大橋で連結されている島民なので 子供の安全と言う安心側面もあるのかも知れない。
 今日、この学園の運動会があったので1時間ほど見学に行った。学園側も警備員は配置していても、一般開放して1年から9年生まで全校850名程を1-2年組、3-4年組、5-6年組、7-8年組、9年組と それぞれに違う運動項目で協議が開かれていた。
小学生は、ライオクキングの音楽で旗振りしたり 上級生は赤黒マントを着てソーラン節の曲で 最近のパフォーマー・ダンスをグランド一杯に元気に飛び跳ねていたが 若いエネルギーの発散も昔とはだいぶ違うと思った。

 今の運動会は勝敗競争は少なくなり、音楽に合わせての楽しいものに変わったが「運動会」と言う言葉だけが古臭い感じだ。応援も世界各国の言葉が溢れ 場内アナウンスも翻訳があり 保護者も子供達も国際色豊かな運動会だったがみんな楽しそうだった。
外国の人に聞いて見たかった質問は「あなたの国に、こんな運動会はありますか?」・・・。