午前中、近くの倉安川沿いの自転車道路を通り いつものスポーツジムに行く。
その途中、静かな川が今日は 波騒ぎして鯉が多数泳いでいた。町内のカメラ片手の役員さんを見つけて 珍しいですね・・と声をかけてみた。
「上流の水門が開いて、迷い込んだのだろう、昨日は大きな一匹が浅瀬に乗り上げ苦しんでいたから 人を呼んで助けたから。今日も心配になってね」とそんな話をしてくれた。まるで浦島太郎の様な話だが・・鯉の紛れ込みは年数回は見かけるのだが今回は大群だ。
この倉安川は、今は農業用水に使われて常に整備もされているのだが県の史跡指定にもなっていて 深い歴史があるそうだ。史跡によると
上流の「倉安川吉井水門」は吉井川中流と旭川下流をつなぐ約20kmの運河である倉安川の吉井川起点に設けられた取水口であり 船通しの閘門施設だそうだ。私は水門までは見に行ったことは無いが、荷を運ぶ船の高瀬舟の水路なのは以前から話には聞いて知っていたのだが。
この運河は、岡山藩主池田光政が延宝7(1679)年に、作られ目的は、岡山藩が17世紀後半に干拓した倉田・倉富・倉益の三新田への灌漑用水の供給、和気・赤磐・上道3郡の年貢米の輸送、岡山城下へ出入りする高瀬舟の水路整備などで通過地にちなんで倉安川と名付けられたそうだ。こんな用水を年貢米を積んだ小舟が通ったなんて藤沢周平の「蝉しぐれ」の世界かも・・・。

岡山三大河川の一つ、吉井川水門
その途中、静かな川が今日は 波騒ぎして鯉が多数泳いでいた。町内のカメラ片手の役員さんを見つけて 珍しいですね・・と声をかけてみた。
「上流の水門が開いて、迷い込んだのだろう、昨日は大きな一匹が浅瀬に乗り上げ苦しんでいたから 人を呼んで助けたから。今日も心配になってね」とそんな話をしてくれた。まるで浦島太郎の様な話だが・・鯉の紛れ込みは年数回は見かけるのだが今回は大群だ。
この倉安川は、今は農業用水に使われて常に整備もされているのだが県の史跡指定にもなっていて 深い歴史があるそうだ。史跡によると
上流の「倉安川吉井水門」は吉井川中流と旭川下流をつなぐ約20kmの運河である倉安川の吉井川起点に設けられた取水口であり 船通しの閘門施設だそうだ。私は水門までは見に行ったことは無いが、荷を運ぶ船の高瀬舟の水路なのは以前から話には聞いて知っていたのだが。
この運河は、岡山藩主池田光政が延宝7(1679)年に、作られ目的は、岡山藩が17世紀後半に干拓した倉田・倉富・倉益の三新田への灌漑用水の供給、和気・赤磐・上道3郡の年貢米の輸送、岡山城下へ出入りする高瀬舟の水路整備などで通過地にちなんで倉安川と名付けられたそうだ。こんな用水を年貢米を積んだ小舟が通ったなんて藤沢周平の「蝉しぐれ」の世界かも・・・。

岡山三大河川の一つ、吉井川水門
