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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1610- まだまだ遠い欧米文化

2016-10-13 | 日記
 インターネットがこれほど発達していても、半世紀もの海外との事業交流があり 一般市民も海外交流も盛んになったと思っていたが まだ遠いと言うのが実感だった。先ずはいつまでたっても「英語が習得できない日本人」 これがある、頭が悪いわけではないが 既存枠から飛び出すことができないのがその理由だろう。 同じように、異文化環境には憧れてはいるのだが 慎重で細かなことに拘りを持つ民族には直ぐには受け入れられないのかも知れない。

今回、在住する日本人ガイドにダウンタウンの東のブルックリン橋を渡っダブルックリンも紹介していただいた。
鉄の橋は 1883年に作ったと言うから驚くが今から140年前。日本から明治初期、岩倉具視使節団107名を米国に送ったその10年後辺りだが 大量の鉄とコンクリートを使い 幅26m長さ1800m 高さ84mで当時、イギリスで使われ始めた大規模橋桁技術ニューマチック・ケーソン工法を採用し初めて実現したのだ。



 この技術は1923年〈大正13年)に日本にも導入され東京墨田川の永代橋・清州橋にも採用され現在も健在らしい。明治時代の1871年、岩倉具視使節団には政府関係者のほかに、大久保利通、伊藤博文、木戸多孝充もいて米国の巨大が工業と国力を約三年間学んだらしいから、語学も学び 入国時のチョンマゲも切り落として帰国した。江戸時代の鎖国のおかげで欧米の植民地化を逃れられた全員が 幸運に胸を撫でおろしたそうだ。
 その交流から暫く、日米の友好関係も出来たのかも知れない。秋晴れのブルックリン橋と右マンハッタン橋が眺められ海辺には波が打ち寄せていた

 1946年、真珠湾攻撃で名を馳せた山本五十六司令官も、海軍大学卒業後 米大使館勤務で1918年に渡米し、米軍の軍事力とか欧州にも大使館員として何度か行き来している。1939年連合艦隊司令長官任命された後も、米英国と戦ってはならないと一人反対をしていたが、アジア大陸制覇の勢いを持つ陸軍の勢いに流され 太平洋戦争に突入する羽目になった。それでも山本五十六が立てた奇襲作戦は、奇襲でなく宣戦布告してから実行するが成功しても、一週間は耐えられるが後は多分 負けるしかないだろう・・と言っていたそうだ。
 何故か、宣戦布告は外務省の手違いで遅れ世界から「卑怯な奇襲作戦」の烙印を押され、しかも真珠湾は老朽軍艦しか停泊して肝心の空母は一隻もいなかったのだから不思議だ。日本軍のアジア侵略を拡大を懸念する英米が初めから暗号は既に解読されて結果的に 五十六も利用され 宣戦布告の遅れも何か妨害され 結局は世界中から叩かれた・・もし、これが本当なら他国の良さを認めない 自分本位でしか物事を考えない 悪い国民性がこれにも災いしたのかもしれない。
 米国本土には、今でも未開拓の資源が山ほどあるが 世界から調達するほうが安く済むのだろうが この国の資産は 底が知れない。

 大都市の真ん中にあるセントラルパーク。これはニューヨーク映画に、いつも登場するが公園と言うより 森と湖の広大な場所だ。東西800m、南北4000mと言う広さの中に、馬車が通リ美術館・動物園・遊園地があり 喧騒の中の街中からここにくると ほっとする場所だ。日本には見かけない、ドックウォーカーと言う留守番犬を預かる人達、子守りをアルバイトに公園を手押し車で散歩する人・・とても長閑なのだ。芝生には時折、リスが走り頭上の大木には いろいろな小鳥の声がいっぱいだ。

 そんな中にいると、ひどく遠く離れた地球の裏側に来たのだと思う。日本の良さと有難みも 人間の可能性の奥深さに希望も感じのだが・・でも私には既に遅いのだが、黒人ハーレム文化に惚れ込み「これを是非、多くの日本人に知って欲しい」とか、NYの生活と歴史を体験する教育を日本の学校に提案していると言う二人の40代のガイドをして頂いた若者たちの心意気は十分に感じ取れたのは良かったと思う。






1610- ニューヨークで想ったこと 02

2016-10-11 | 旅行
 観光客以外の、ニューヨーカーを見ていて 最初に感じたのは 人の生活には階層がある・・と言う感覚だ。ホテルに住み、ホテルで朝食をして仕事に行く上級層、ホテルに泊まり、中の瀟洒な出店で サンドイッチと飲み物を新聞を読みながら済ませ15分ほどで出かける紳士・淑女がいると思うと街にはあちこちに屋台が出て通勤で急ぐ人に 安価なホッドドックはコーヒーを毎日買って それを飲みながら速足で仕事先に向かう人など・・。もう一つの階層、街は50m程のブロックで区画され歩いていると2ブロック毎に 一人程度の浮浪者がいて恐らく薬中毒かアル中とか病気を持つ人かもしれないが仕事を持てない人たちだ。人生に勝者と敗者、幸運と不運の人がいるならその様々な階層の人たちが一緒に住んでいる感じがする。

 背筋を伸ばして、颯爽と歩くニューヨーカー・雑誌もモデルかと思う美人が 赤レンガの外階段の下を通り抜けたり 何か不思議に全てが映画で見た一場面に見えてしまう。おそらくこの方たちは、自分の地位に高い誇りと価値を持ち紳士淑女はこうあるべきなのだと・・考えて暮らしているのだろう。
 家族で来ているレストランで5歳位の男の子に親は、メニューのアドバイスの後、自分でウェイターに注文させる風景は普通だが こんな子育てが人を自立させ紳士を作っていくのだろう。
 私たちみたいに、貰った割引券を出して買い物などしない階層なのだ。ここの路上生活者も、それぞれの芸とか役割に威厳が感じられるのも不思議だ。
そして富める人から、貧しい人への互助の精神が社会制度のあちこちに組み込まれているのも 日本ではあまり見られない風景だ。

 美術館の入館料は大人25ドル・シニア17ドルと決められている。シニア二人分の34ドルに対して35ドルを差し出し「幾ら払うの・・・35ドル」返事をして1ドル釣銭を待った。次の人応対を始めたので「お釣りは・・」と聞いてみた。すると「貴方は先ほど35ドルと言った・・」、と言う返事。それでやっと気が付いて「イエス・アンダースタンド」。
 つまりメトロポリタン美術館も自然博物館もお金の払えない人は1ドルでも2ドルでも入館OKなのだ。お金に余裕のある人は百ドル払って入館するのもあるのだから。MET入館は100ドルでも安い位なのだが こんな仕込みも、お金持ちが社会に感謝して 自由に街に還元できる仕組みなのだろう。
 路上演奏のJAZZマンも多い、楽器ケースを前に置き観光客から小銭を貰うが 中には50ドル・20ドル札も見える。中心部にはパントマイムで小銭を貰ったり、私たちもうっかり、セサミ・キャラクターに囲まれ写真も撮って貰ったら、チップを請求され10ドル取られてしまったが。
 地下鉄の自販機が、停止していたので困っていると本を読んでいた若い女性が 2ドルで改札を通してあげる・・と言う。二人分4ドルを渡すと、改札ゲートを自分のメトロ・カードを使ってゲートを開けてもらった。通常一人3-2.75ドルなので安いと思ったが、一週間乗り放題のフリーパス(30ドル)を持って生活費を稼いでいたのだ。観光客15人を利用させたら元が取れ後は大儲け。

 さらに、黒人街ゴスペルツアーに参加した。費用は実費で安いが、教会で寄付をする義務がある。 ゴカペルは今世界でも人気だ。このツアーを企画する現地日本人は、毎日日本人以外の観光客も含めて、中毒患者の更生活動として成果を上げ 教会も11年前より、見違えるような立派な教会になり 30人程のグループの歌声は見事だった。このARC教会のゴスペル合唱隊のリーダーの、路上生活の経験者で 独唱を含めた大いなる祈りの歌声は 今の幸福に感謝する心にこもった歌声と その迫力は聞いているほうも陶酔してしまうほどだ。コンサートで聞くのとは、まるで違う本場のゴスペルなのだ。ハーレムのアボロ劇場から、飛び出した有名な黒人歌手には 10万ドルの寄付する人も多いそうだ。

 個人主義と自己責任が徹底され、ランチを連れの分も一緒に二人分注文すると「ユアー・ハングリイ ?」と聞かれてしまう。
前に書いた、地下鉄自販機も世界の人種が使用することを考えられて 旧式で単純な機械だ。日本の券売機は3人分とか、路線選択とかで電卓の様な 多数のボタンがあるがそれは必要がないのだ。技術があるから、便利になると新機種に次々替えたりしない。世界中の人が理解できる様に・・時代遅れの機械でゆっくりと進むのが とても心地よい。建物も古く街も11年前と変わらない、街中がビル内部の工事中が多かったが 街の風景は相変わらずギャングが逃げ回る外階段の景色で、壊して新築されたのは911の「ワールド・トレード・センター」だけ。街中に警備のボリスマンも多い、要所には最新銃を抱えた軍人もいたがみんな一緒に写真を撮りたいほど恰好が良い。でもこの街の、豊かさと自由な雰囲気は米国人独特の明るさなのが 常に青空が見渡せる街の景観からくるものだろうか。

 自然史博物館の入場券窓口は、常に行列だ

 
 本場のゴスペル・マイクも使わず二階席まで届く済んだ歌声・・・


 五番街にある有名店プラダの前に浮浪者がうろうろ、面白い組み合わせだと写真を取るとチップを要求している強かさ・・。
前のトランプタワーがあり、横はティファニー店。

1610- ニューヨークで想ったこと 01

2016-10-08 | 旅行
 街中の大きなホテルを5泊6日で予約した。広い部屋で満足だったが、今まではテレビは日本製が韓国製に、繁華街中心のタイムズ・スケアの日本企業広告も影を潜め多くはアジア企業の広告ばかりに変わっていた。
これが絶好の観光地で示す、ひとつの国力の物差しかもしれない。半世紀前の過去の思い出では有名ホテルとか不動産が日本人所有になつていて若い日本人ても鼻高々だったが 今はそれらは全てが 二束三文で買い戻されたり、代わりにアジア系の企業が多くの不動産を購入していると聞いた。
 ホテルの部屋テレビは100チャンネルあり、日本人客向けにNHK放送が 63チャンネルのみ接続されていたのだか夜帰り、これを見ると毎日「故郷の頼りとか、人気タレントと司会者のお笑いトーク、美味しい食卓と食材の話、落語家女装のお笑い歴史・・」などで 他の外国チャンネルの内容と比べて 緩い遊び番組ばかり。激しい討論とか・報道番組・食料は広告番組にしか出てこない 英米の放送内容から比べるとこの世界の経済戦争の真っただ中なのに 日本の国は大丈夫なのか・・と不安になった。

 半世紀前のホテルのテレビは米GE製で、日本語放送は無く辛うじて解りそうなものはスペインの漫才番組だけだった。その時のそれぞれの文化の違いを感じたが、前に進む国と遅れて付いて行く国の違い・・と思っていたが 今平和が長すぎた自国の しかも国代表のNHK番組なのにと情けなくなった。

 着いた日、日本から来た若い三人組が同じ飛行機でホテル送迎マイクロバスで一緒になった。みんなスマホで今、何処を通っているのか地図ルートを皆確かめていた。私たちは、夕暮れのニューヨークの車窓風景 ばかりを見ていたのだが 帰りも同日程だったらしく一緒になったが 海外に来たのに未だ相変わらずスマホ中毒だった。一時、セントラルパークで騒ぎになったポケモンは、すっかり忘れ去られニューヨーカーには過去になっている様だった。スマホ歩きしている若者はセントラルパークでも街中でも 殆ど見かけず 通勤前のヘッドフォーンを頭につけてジョギングしている若い人たちが多かった。かって多くいた日本人観光客も、めっきり減り代わりにアジア観光客で一杯だったのもその勢いを感じとれた。

 気になった物価は、高いのか安いのか良く解らなかった。例えば、ホテルとか高級レストランの500CC水は2.5-3.5ドル、街の引き売りとかドラッグストアなら1ドル、ニューヨーク在住の方は大箱で買うと10セントで買えると言うのだ。ニューヨークの水道水は飲んでも支障ないそうだが。牛肉ロースは450g(1ポンド)が8ドルで、カルフォルニア米は10kg1ドル以下でメチャ安、シャツ一枚 20-30ドルだが、ハーレムの街では似たものが1-2ドルで売られていた。何処で買っても商品も同じで、地域を変えても駅ストアはみんな 画一的な日本からすると、やはり相当な落差を感じたが 高いお店も良く売れていた。お金持ちも貧乏人もそれらしい身の丈に合った暮らしをすれば良く 人と同じに・他人と比べる事も不要な暮らしやすい環境なのだ。

 街で歩行者信号は全く守られていないのに驚いた。高い物を買うのも自分がそれが良い、と思うば買えばよい。お金がないのなら路上の屋台でランチを買えば良いと 全て個人の意思を尊重する個人主義が 子供も大人も徹底している。
従って、赤信号で交通事故にあうのも自己責任で簡単なのだ。何処かの国の様な「誰も助けてくれなかったので私が落ちました。責任の一端は近くにいた人にもあります」と言う変な 互助精神などあり得ない。
 ダウンタウンの赤れんがの建物、映画に出てくるその裏階段と轉石の敷き詰められた石畳、そうかと思うとピカピカの近代建築とその横にある総菜量り売りの「デリカテッセン」。ティファニーの高級店の前で立つ浮浪者、街を姿勢を正して速足で行く人・・人間の五感を研ぎ澄ましていないと暮らせない刺激的な街なのだ。日本にいると、すっかり五感を使って生きてきた日本人の本来の心が 今では退化しているのかも知れない。






1610- " A列車に乗って "

2016-10-05 | 日記
ニューヨークの地下鉄にA列車がある。70年前に作曲されて、ハーレム在住Jazzピアニスト・デュークエリントンが演奏して有名になった「 A列車で行こう 」のそれ。
この日は、セントラルパーク中央西の恐竜で人気の自然史博物館(世界最大)に行く予定で朝ホテルを出た。歩い5分でプラザホテル前の公園南端でそこから59Stを西へ行くと地下鉄のコロンバス・サークル駅。
 メトロカードを買い、ところが乗ったA列車が急行に乗ってしまった。自然史博物館の81Stが通過して初めて判ったが、戻るのも大変なのでこのまま マンハッタン北端のMET別館クロイスターズ寺院に行くことにした。
前回もハーレムの街をバスで抜けて行ったが、静かで素晴らしい美術館で もともと別の日に予定は組んでいたから問題はないのだ。クロイスターはフォート。
トライオン公園をハドソン川沿いに登った小高い丘にあり下車駅は A列車で190Stだ。途中ローカル線に乗り換えようとして途中下車したが 通り掛った駅員が このままで大丈夫と言われてしまい 今度は190Stを通過して200Stまで行ってしまった。終点近くだが、公園の北端の駅だそうでここからも行ける様だったが、戻りホームに行って190Stでやっと下車。

 この路線は通勤客が多いらしく急行のエキスプレスが多くコロンバスから125Stのシュガーヒル駅まで20分は止まらない。この区間でこの曲を電車の中でも昔は、Jazz演奏していたらしい。シュガーヒル駅はハーレムの中心街で最も賑やかな黒人の街だ。ハーレムは公園北端110Stからアッパーマンハッタン地区にあるが ジャズとゴスペルが盛んで物価も驚くほど安いのだ。今は、治安も安定していて 食事も安い値段の美味しいソール・フード料理が何処でも食べられる。

 この曲の歌詞を読んでみた・・・「Take The A Train A列車で行こう デューク・エリントン」

   ♪ You must take the A train             A列車に乗らないといけないよ
   To go to Sugar Hill way up in Harlem         ハーレムのシュガーヒルまで行くのなら

   If you miss the A train                もしA列車を乗り遅れると。
   You'll find you missed the quickest way to Harlem  ハーレム行きの一番早い地下鉄に乗り遅れるということだよ

   Hurry, get on, now it's coming            いそいで。乗って。今列車が来るよ
   Listen to those rails a-humming           レールがきしむ音を聞いてよ

   All aboard, get on the A train            みなさん、ご乗車ください。A列車に乗ってください
   Soon you will be on Sugar Hill in Harlem ♪     ハーレムのシュガーヒルにすぐに到着です

 正解かどうかは別にして 大体こんな意味

 エリントンさんは日本でも人気で何度も来日していて、75歳で亡くなったが後を継承するデュークエリントン楽団が 新潟地震のお見舞いにと多額の寄付をした事でも有名。
デュークは伯爵の意味で、若い時にホワイトハウスの御者を仕事にしていたのでJazz仲間からそんな綽名がつけられていたそうだ。
 お父さんもホワイトハウスのバトラーを務めていたらしく家族全員品が良かったそうだ。
近くに昔のジョージワシントンが住んだという ホワイトハウスを以前に見学したが 多分その当時のことかも知れない。

 目的地クロイスターは乗り間違えもあったが 1時間ほどで到着。公園は花がいっぱいで 秋の良い天気に恵まれて絵の様な中世の寺院を堪能した。
寺院の中庭にあるレストランは野鳥が、手を近づけると沢山近寄ってくるので 賑やかなランチになったが。


 マンハッタン地下鉄のアッパー部、青線がA列車だが急行停車駅を示す白丸の 59St-125Stは距離が長い・・今回も、急行と各駅を何度も乗り間違えたが。


 センラルパークの北端にこんな、ピアノとエリントンの像があるらしい・・今回は見れなかった


 コロンビア州が2009年に記念硬貨を発行した。アフリカ系では歴史上も初めてだったそうだ


 
 ニュヨークの地下鉄、11年前はトークン専用コインから今は磁気メトロカード、自動券売機は言語選択-種類選択-支配方法選択して発券、1回券3$.一般2.75$ 距離一律料金


 ここはニューヨークガイドにはあまり載らない知る人ぞ知る静かな寺院、ロッフェラー財団がイタリア・スペインのピレネー山脈にあった寺院を買取り解体してこのマンハッタンに移設したヨーロッパ寺院。
この山上から見渡せるハドソン川西の森を全部買い取っているので視界に建物が見えない様にしている。アメリカのお金持ちは、日本人にはとても想像もできない規模なのだろう。
 メトロポリタン美術館とは正反対の環境だが、今回は訪問者が多くなり、フォート・トライオン公園も整備が行き届いていた。





1610- 米NY に行ってきました

2016-10-03 | 日記
 私達夫婦にとって11年振りぶりのニューヨーク。妻は三回目、私は何もわからない20代に仕事で出張したのを含めると四回目。
大都会の混沌を象徴したかの様なネオンの海「タイムズ スクェア」、一度は行ってみたい 死ぬまでに訪れたい世界の観光スポットNo.1・・とも言われているらしい。しかし、成田から直行便でも14時間かかる距離。流石に我々のような後期高齢者は殆ど見かけない。11年前と同じで、決めたホテル連泊で今回も 日程フリーで臨んだが、高齢者は相当の体調と健康管理、周到な準備がないと時差を乗り切るにはかなり難しくなった事も痛感した。

 最初に行った1972年は確か19時間で為替レート360円/ドル。その時は70日間も滞在したが西海岸と北ウェニペグ(カナダ)など北米内を行き来したが 忙しさで街を見学する時間は無かったが 帰国後はいつもこの街が引っ掛かっていた。
そして停年近くのほぼ30年後、2001年夏に夫婦で再訪問し MET美術館とブロードウェイ・ミュージュカルを観てから夫婦で虜になってしまった。(帰った翌月、マンハッタン・ツインタワーのテロ事件911が発生したが)

 40年後のNY報告はホテル近くにあった「NY 近代美術館・通称モマ MoMA」。6番街と5番街-53stに建つ世界のモダンアートの殿堂。METと別館クロイスター(マンハッタン島の北端)ばかり注目していたのでここは今回が初めて。
近代アートでプロダクト・雑貨・インテリアまであり多くの美術館の中でも、ニューヨーカーにはここが一番人気らしいので METに行く前に入口ショツプだけでも・・と訪れてみた。
 入口に「MoMA BookStore」とあったので書籍だけかと思ったが ここはデザイン雑貨の大ショツプ。10時に開館すると、入り口には沢山の行列が出来ていたから やはり人気美術館らしい。
面白い買い物の2点を紹介



 日本のユニクロ店が53stにあるが、毎週金曜日の夕方はユニクロがMoMA無料開放を実施していて混雑するらしい。この日は金曜日、シヨップにも素晴らしい同メーカーのMoMA限定シャツがあったが サイズが売り切れで断念。


 金属・キューブ型クロックを購入 白LEDでクールなデザインが気に入った 48.0$




 国内でも見かけたと思うが、この商品も MoMA発祥らしい 4.50$




24時間眠らない街、前回11年前は貿易センター跡の「グランドゼロ」を見て悲しい思いをしたが 今回は新しいピカピカの高層ビルが建ち米国の力強さを示していた