街中の大きなホテルを5泊6日で予約した。広い部屋で満足だったが、今まではテレビは日本製が韓国製に、繁華街中心のタイムズ・スケアの日本企業広告も影を潜め多くはアジア企業の広告ばかりに変わっていた。
これが絶好の観光地で示す、ひとつの国力の物差しかもしれない。半世紀前の過去の思い出では有名ホテルとか不動産が日本人所有になつていて若い日本人ても鼻高々だったが 今はそれらは全てが 二束三文で買い戻されたり、代わりにアジア系の企業が多くの不動産を購入していると聞いた。
ホテルの部屋テレビは100チャンネルあり、日本人客向けにNHK放送が 63チャンネルのみ接続されていたのだか夜帰り、これを見ると毎日「故郷の頼りとか、人気タレントと司会者のお笑いトーク、美味しい食卓と食材の話、落語家女装のお笑い歴史・・」などで 他の外国チャンネルの内容と比べて 緩い遊び番組ばかり。激しい討論とか・報道番組・食料は広告番組にしか出てこない 英米の放送内容から比べるとこの世界の経済戦争の真っただ中なのに 日本の国は大丈夫なのか・・と不安になった。
半世紀前のホテルのテレビは米GE製で、日本語放送は無く辛うじて解りそうなものはスペインの漫才番組だけだった。その時のそれぞれの文化の違いを感じたが、前に進む国と遅れて付いて行く国の違い・・と思っていたが 今平和が長すぎた自国の しかも国代表のNHK番組なのにと情けなくなった。
着いた日、日本から来た若い三人組が同じ飛行機でホテル送迎マイクロバスで一緒になった。みんなスマホで今、何処を通っているのか地図ルートを皆確かめていた。私たちは、夕暮れのニューヨークの車窓風景 ばかりを見ていたのだが 帰りも同日程だったらしく一緒になったが 海外に来たのに未だ相変わらずスマホ中毒だった。一時、セントラルパークで騒ぎになったポケモンは、すっかり忘れ去られニューヨーカーには過去になっている様だった。スマホ歩きしている若者はセントラルパークでも街中でも 殆ど見かけず 通勤前のヘッドフォーンを頭につけてジョギングしている若い人たちが多かった。かって多くいた日本人観光客も、めっきり減り代わりにアジア観光客で一杯だったのもその勢いを感じとれた。
気になった物価は、高いのか安いのか良く解らなかった。例えば、ホテルとか高級レストランの500CC水は2.5-3.5ドル、街の引き売りとかドラッグストアなら1ドル、ニューヨーク在住の方は大箱で買うと10セントで買えると言うのだ。ニューヨークの水道水は飲んでも支障ないそうだが。牛肉ロースは450g(1ポンド)が8ドルで、カルフォルニア米は10kg1ドル以下でメチャ安、シャツ一枚 20-30ドルだが、ハーレムの街では似たものが1-2ドルで売られていた。何処で買っても商品も同じで、地域を変えても駅ストアはみんな 画一的な日本からすると、やはり相当な落差を感じたが 高いお店も良く売れていた。お金持ちも貧乏人もそれらしい身の丈に合った暮らしをすれば良く 人と同じに・他人と比べる事も不要な暮らしやすい環境なのだ。
街で歩行者信号は全く守られていないのに驚いた。高い物を買うのも自分がそれが良い、と思うば買えばよい。お金がないのなら路上の屋台でランチを買えば良いと 全て個人の意思を尊重する個人主義が 子供も大人も徹底している。
従って、赤信号で交通事故にあうのも自己責任で簡単なのだ。何処かの国の様な「誰も助けてくれなかったので私が落ちました。責任の一端は近くにいた人にもあります」と言う変な 互助精神などあり得ない。
ダウンタウンの赤れんがの建物、映画に出てくるその裏階段と轉石の敷き詰められた石畳、そうかと思うとピカピカの近代建築とその横にある総菜量り売りの「デリカテッセン」。ティファニーの高級店の前で立つ浮浪者、街を姿勢を正して速足で行く人・・人間の五感を研ぎ澄ましていないと暮らせない刺激的な街なのだ。日本にいると、すっかり五感を使って生きてきた日本人の本来の心が 今では退化しているのかも知れない。


これが絶好の観光地で示す、ひとつの国力の物差しかもしれない。半世紀前の過去の思い出では有名ホテルとか不動産が日本人所有になつていて若い日本人ても鼻高々だったが 今はそれらは全てが 二束三文で買い戻されたり、代わりにアジア系の企業が多くの不動産を購入していると聞いた。
ホテルの部屋テレビは100チャンネルあり、日本人客向けにNHK放送が 63チャンネルのみ接続されていたのだか夜帰り、これを見ると毎日「故郷の頼りとか、人気タレントと司会者のお笑いトーク、美味しい食卓と食材の話、落語家女装のお笑い歴史・・」などで 他の外国チャンネルの内容と比べて 緩い遊び番組ばかり。激しい討論とか・報道番組・食料は広告番組にしか出てこない 英米の放送内容から比べるとこの世界の経済戦争の真っただ中なのに 日本の国は大丈夫なのか・・と不安になった。
半世紀前のホテルのテレビは米GE製で、日本語放送は無く辛うじて解りそうなものはスペインの漫才番組だけだった。その時のそれぞれの文化の違いを感じたが、前に進む国と遅れて付いて行く国の違い・・と思っていたが 今平和が長すぎた自国の しかも国代表のNHK番組なのにと情けなくなった。
着いた日、日本から来た若い三人組が同じ飛行機でホテル送迎マイクロバスで一緒になった。みんなスマホで今、何処を通っているのか地図ルートを皆確かめていた。私たちは、夕暮れのニューヨークの車窓風景 ばかりを見ていたのだが 帰りも同日程だったらしく一緒になったが 海外に来たのに未だ相変わらずスマホ中毒だった。一時、セントラルパークで騒ぎになったポケモンは、すっかり忘れ去られニューヨーカーには過去になっている様だった。スマホ歩きしている若者はセントラルパークでも街中でも 殆ど見かけず 通勤前のヘッドフォーンを頭につけてジョギングしている若い人たちが多かった。かって多くいた日本人観光客も、めっきり減り代わりにアジア観光客で一杯だったのもその勢いを感じとれた。
気になった物価は、高いのか安いのか良く解らなかった。例えば、ホテルとか高級レストランの500CC水は2.5-3.5ドル、街の引き売りとかドラッグストアなら1ドル、ニューヨーク在住の方は大箱で買うと10セントで買えると言うのだ。ニューヨークの水道水は飲んでも支障ないそうだが。牛肉ロースは450g(1ポンド)が8ドルで、カルフォルニア米は10kg1ドル以下でメチャ安、シャツ一枚 20-30ドルだが、ハーレムの街では似たものが1-2ドルで売られていた。何処で買っても商品も同じで、地域を変えても駅ストアはみんな 画一的な日本からすると、やはり相当な落差を感じたが 高いお店も良く売れていた。お金持ちも貧乏人もそれらしい身の丈に合った暮らしをすれば良く 人と同じに・他人と比べる事も不要な暮らしやすい環境なのだ。
街で歩行者信号は全く守られていないのに驚いた。高い物を買うのも自分がそれが良い、と思うば買えばよい。お金がないのなら路上の屋台でランチを買えば良いと 全て個人の意思を尊重する個人主義が 子供も大人も徹底している。
従って、赤信号で交通事故にあうのも自己責任で簡単なのだ。何処かの国の様な「誰も助けてくれなかったので私が落ちました。責任の一端は近くにいた人にもあります」と言う変な 互助精神などあり得ない。
ダウンタウンの赤れんがの建物、映画に出てくるその裏階段と轉石の敷き詰められた石畳、そうかと思うとピカピカの近代建築とその横にある総菜量り売りの「デリカテッセン」。ティファニーの高級店の前で立つ浮浪者、街を姿勢を正して速足で行く人・・人間の五感を研ぎ澄ましていないと暮らせない刺激的な街なのだ。日本にいると、すっかり五感を使って生きてきた日本人の本来の心が 今では退化しているのかも知れない。


