すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

小倉さん、論理の飛躍は計画的に

2007-07-24 05:17:03 | 実名・匿名問題
 前回のエントリで、「弁護士の小倉秀夫さんは私の記事の論旨を印象操作(または誤読)されてるんじゃないか?」と疑問を投げた。

 小倉さんは私の記事に、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」と書いてあるじゃないかと、主張されているのだ。

 だがもちろん私はそんなことは書いてない。それどころか私は、「ネットでの嫌がらせなどたいしたことがない」なんてことは考えたことすらない

 筆者である私自身が「書いてない」と言ってる以上、小倉さんには書いたと証明する必要が生じる。で、当の小倉さんから苦しい口頭弁論が出されたので、ご紹介しよう。まず結論部分からだ。

確かに、「すべてのネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」とまでは言っていないのかもしれませんですが、ネットでのいじめや嫌がらせが被害者に与える被害について現実世界でのいじめや嫌がらせが与える被害よりは大したことがないと松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう。(※強調部分は松岡による)

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(la_causette)


 えっと、いや小倉さん、書いた本人である私自身が「そんなことは書いてないし、いままで考えたことすらない」と言ってるんですよ?

 なのに記事を読んだ小倉さんが勝手に、「(前略)と松岡さんが考えていると読み取っても誤読とは言えないでしょう」とは、これいかに?(※強調部分は松岡による)

 ひょっとして小倉さんには超能力があり、私の頭の中を脳内スキャンしてるんでしょうかね? だとしたらその超能力は整備不良ですよ。だって私はホントに考えたことすらないんだから。

 もっとも「とまでは言っていないのかもしれません」てな表現が、逆に誤読してしまった罪の意識をそこはかとなく漂わせてはいる。いかにも後ろめたそうで自信なさげなところが、かわいらしい。だけどそれとこれとは別問題だ。白黒はハッキリさせておく必要がある。

 すでに結論が出たようなもんだが、小倉さんの口頭弁論に対する私の反証(総論)は以下の通りである。

 筆者である私が現に「書いてない」と言っているのに、小倉さんは「そう読み取っても誤読とは言えない」とおっしゃる。でもやっぱり私はそんなことは考えたことすらない。となると小倉さんは純粋に誤読されたか、あるいは意図的に誤読し、自説に都合のいいように印象操作しているかのどちらかだ。この2つ以外の可能性はありえない。

 では次に各論へ移ろう。

 まず第一に不思議なのは、なぜ小倉さんは私の文章を読み、書いてもいないことを「書いている」と感じたのかだ。その理由は小倉さんの以下の説明で、おぼろげながらわかってきた。

 (前略)ここからは、松岡さんは、ネットでの暴言被害を現実世界での暴言被害と区別していること、並びに、(現実世界でなされたとすればスルーしても自分が傷つかざるを得ないものであっても)ネットでの暴言被害についてはスルーすれば自分が傷つかなくてすむと考えていることが読み取れます。

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(同)


 ああ、なるほど。やっと小倉さんのアクロバチックな飛躍した論理がわかりました。小倉さんの主張をわかりやすく翻訳すると次の通りですね?

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【小倉さんのアクロバチックな主張】

1 ネット上での暴言は現実世界のそれとちがい、「スルーすれば自分が傷つかない」と松岡は考えている。(にちがいない)

2 スルーすれば傷つかないということは、すなわち「たいしたことがない」ってことだ。

3 ゆえに松岡は元記事で、「ネット上の嫌がらせなんてたいしたことがない」と言ってるも同然だ。

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 ここまではオッケーですか、小倉さん? でもこの1~3の時点ですでに、ポリショイサーカス並の離れワザで論理が飛躍していますね。でもまあ順番に反駁していきましょう。

【小倉さんの主張 1】

●ネット上での暴言は現実世界のそれとちがい、「スルーすれば自分が傷つかない」と松岡は考えている(にちがいないと小倉さんは考えている。以下、同)

【私の反証】

 まず私は「ネット上では、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースが多い」とは書いた。だけど「スルーですべてがカンタンに解決する」なんてことは言ってない。証拠物件をあげよう。

 インターネットを使ったコミュニケーションでは、スルーすれば自分が傷つかなくてすむケースや、逆にカッカして相手を攻撃してしまうのを防げる例は多い。(※強調部分は松岡による追加処理)

『小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ』(ASCII.jp)


「例は多い」と書いたのは言うまでもなく、スルーで解決しないケースもあるからだ。加えて、わざわざ「例は多い」と限定的な表現をしたのは、それ以外の「スルーで解決しないケース」を私が重く受け止めているからである。

 ゆえに小倉さんが主張されている「松岡はネット上の暴言被害なんてたいしたことがない、と考えているにちがいない」という思い込みは、見当ちがいだ。

 こんなふうに小倉さんの論述に特徴的なのは、極論である。「スルーで解決するケースは多い」と書くと、たちまち「スルーですべてカンタンに解決する」みたいに書いたじゃないか、と極論で反駁しようとする。そして極論は古来から、印象操作の典型である。

【小倉さんの主張 2】

●スルーすれば傷つかないということは、「たいしたことがない」ってことだ。

【私の反証】

 私はこんなことは、ひと言も書いてない。2はあくまで小倉さんの個人的な考えだ。小倉さんはご自分のこういう個人的な見解をもとに、私の文章を勝手にねじ曲げて解釈している。だから筆者の意図から外れた誤読をするのだ。

 そもそもスルーで解決した事案は、なぜ「たいしたことがない」のか? 深刻な事態(悪質なフレーミング)がスルーで解決するケースなんて、いくらでも考えられる。つまり小倉さんの頭の中にあるだろう2の概念自体、事実誤認なのだ。とすれば「小倉さんの主張 2」も1と同様、論理の飛躍と極論の産物と言っていいだろう。

【小倉さんの主張 3】

●ゆえに松岡は元記事で、「ネット上の嫌がらせなんてたいしたことがない」と言ってるも同然だ。

【私の反証】

 3は論駁する必要すらないだろう。ほかの項目同様、私はこんなことは一切書いていない。これも小倉さんの頭の中にある勝手な解釈だ。かつ、その解釈はほかの項目同様、論理の飛躍で彩られている。なかでも特にこの3などは、自説を有利に展開するための明らかな印象操作だと言っても過言ではないだろう。

【その他の部分も誤読と誇張だらけ】

 一方、小倉さんの同エントリの後半部分だって同じだ。資源のムダだからカンタンにすませよう。私は元記事で、誹謗中傷などの攻撃を受けた側の一例として、被害者側が過剰反応しているケースを書いた。

 するとさっそく小倉さんは、「(前略)等として、ネット上での暴言被害と被害者側が感じるのは単なる被害者側の過剰反応に過ぎないかのように印象操作をしています」と書き立てる。

 おわかりだろうか? またもや極端な一般化だ。私はスペースの都合で一例をあげたにすぎないのに、松岡はすべての暴言被害が被害者側の過剰反応だと決め付けている、印象操作だと誇張するのだ。

 また私は元記事で、「小倉さんの(誤読を含む)以下のエントリを読んだ出版社の方たちが『松岡ってこんな人間だったのか?』と誤認し、私にいっさい執筆依頼がこなくなったら、小倉さんはどう責任をお取りになるのでしょうか?」と問いかけた。

 もちろん私は仕事の心配をしてるわけじゃない。私が実名で書いた文章を小倉さんが印象操作(または誤読)し、歪曲した上で人々に伝えた場合、実名者である私はどれほど重大な被害を蒙るか? その具体例を示すためだ。

 つまり実名はそれほどリスキーなのに、あなた(小倉さん)は初心者に実名ブログをすすめるのですか? という問題提起の意味を込めている。主題は私の仕事が減る話じゃなく、その次の段落に書いた小倉さんが初心者に実名ブログをすすめることの是非だ。

 このことを頭に置いて、もう一度私の元記事の該当箇所をよく読んでいただきたい。

 ところがもちろん脊髄反射の小倉さんは、そんな深い意味を読み取れるはずもない。それどころか「松岡さんは、その覚悟(仕事がなくなる覚悟/注・松岡)もなしに、あの記事をASCIIの編集部に送ったのでしょうか」などと、またもや誤読している。

 小倉さんは、私・松岡が書いたアスキーさんの記事を各出版社が読み、松岡に原稿依頼をやめた場合のことを指してるんだろう、てな意味だと解釈しているのだ。

 文意はもちろんそうじゃない。私の記事を印象操作(または誤読)してネガティブに脚色した小倉さんの記事を各出版社が読み、「松岡はこんな人間だったのか」と誤解されて私に執筆依頼がこなくなったら? という意味だ。

 で、実名はこんなに危険なのに、それでも小倉さんは初心者に実名ブログをすすめるのですか? と、主題である結論につながる流れである。

 ふぅ、疲れた。国語の授業はもうこんなもんでいいでしょう?

【まとめ】

 以上、見てきたように小倉さんの論法には、論理の飛躍と事実誤認、極論が多い。それはなぜか? 理由は恐らく以下の通りだろう。

 小倉さんは、私・松岡の文章を誤読してしまった。そして誤読にもとづき、自説に都合のいい内容のエントリ『ネットでの暴言被害の方がより深刻だ』を脊髄反射で書いた。ところが事実関係のまちがいを私に指摘され、困ってしまった。

 そこで誤読した部分をあとから辻褄合わせしようと、エントリ『先ず隗より始めよ、松岡さん』を書いた。だからそのエントリもこれまで見てきた通り、あちこちで論理が破綻しているのだ。もともと人の文章を歪曲したエントリに無理やりもっともらしい理由づけをしてるんだから、崩壊するのは当たり前である。

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【私はなぜ『小倉さん、印象操作はほどほどに』を書いたか?】

 私はスルーが原則なので、小倉さんの誤読はたいして気にしてない。加野瀬さんがブクマコメントで「松岡氏が不快表明」なんてオーバーに煽っていたが、残念ながら見当はずれだ。一方、当の小倉さんも、さっそく以下の通り誤読している。

 っていいますか、松岡さん自身が、自分が批判されたとなると、全然スルーできていないではないかという気がしないでもありません。

■『先ず隗より始めよ、松岡さん』(同)


「気がしないでもありません」と自信なさそうなところが、ちょっとかわいらしい。だが誤読は誤読である。

 繰り返しになるが私は不快になんて思ってないし、怒ってもいない。というか私自身が主観的に不快かどうか? 怒っているかどうか? なんてどうでもいいのだ。そういう問題じゃないのである。

 説明しよう。

 私が前回のエントリ『小倉さん、印象操作はほどほどに』を書いた理由は、小倉さんが『初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする』と言い出したからだ。

 私は小倉さんのこの最新エントリ(7/22時点)を読むまでは、小倉さんに4回も前のエントリの反論をする気なんてなかった。事実、それまでずっとスルーしていた。だけど被害者が出るおそれすらある、小倉さんの危険な初心者こそ実名論を読み、黙っていられなくなったのだ。

 小倉さんが「実名主義こそ理想の姿だ」と独り言を言ってるぶんには、実害はない。だが小倉さんはご自身の都合(実名主義)を理論付けるために、論述の中で他人を巻き込もうとするフシがある。なかでも「特に初心者には実名をすすめたい」論は看過できなかった。

 初心者はネット上で実名を出すリスクを、よくわかってない。なのに小倉さんは自説の実名論を補強するために、他人(初心者)を巻き添えにしようとしているのではないか?

 私はこれを見て放置しておけなくなった。で、前回のエントリを書いたのだ。私自身が誤読されて不快だったとか、そんなのは下衆の勘繰りだ。前回のエントリで私がいちばん言いたかったポイントは、次の箇所である。

 初心者(も含めたすべてのネットユーザ)に実名でブログをやらせるって、そういう甚大なリスクを負わせることを意味してるんですよ? おわかりですか? 小倉さん。

■『小倉さん、印象操作はほどほどに』(すちゃらかな日常 松岡美樹)


 小倉さんや加野瀬さんたちがおもしろがって囃し立て、「なぜ私が書いたか?」が別の理由にされちゃいそうなんで、あえて説明しておく。自分の文章を自分で解説するなんて超ダサいが、祭りが好きな人たちはさぞかし「松岡が怒った」ってことにしたいんだろう。

 残念でしたっ。ベーだッ。

 さて今回のやり取りでわかったのだが、小倉さんは論理の飛躍があるものの実はおもしろい人のようだ。

 私が「小倉さん、印象操作はほどほどに」てなタイトルをつけると、それに反応して韻を踏み、「先ず隗より始めよ、松岡さん」などとステキなタイトルを考えついちゃったりする。私のつたないプロファイリングでは、おそらくユーモアのセンスがある方だとお見受けした。

 ゆえに前回のエントリで、「小倉さんはちゃんとした方だ、と思っていただけにショックだ」と書いたのは部分的に訂正したい。

 小倉さんは論理の飛躍や極論が多いけれども、ユーモアのセンスがありおもしろい方だ──。こう認識を変えさせていただく。

【小倉さんへのご提案】

 で、思うのだが、(前回も書いたけれど)小倉さんのような人材がネットユーザと対立し、ヒステリックな論戦を繰り広げているのは不幸だと私は思う。エネルギーの浪費だ。

 私ごときがこんなことを言うのはアレだが、小倉さんがもっとポジティブな方向にその才能や能力を生かす方法はないのか? 多くのネットユーザと小倉さんが手を携えて共にネット上の諸問題を考え、それらを解決していく道は模索できないか?

 そのためには、小倉さんはネットユーザからの反発が多い実名主義のカンバンをはずす必要があるだろう。

 たとえば小倉さんはエントリ『誹謗中傷の内容が荒唐無稽であることは被害者にとって救いにはならない』の中で、「トレーサビリティの高い実名等」の必要性をこうお書きになっている。少し長いが引用しよう。

(前略)私からみると、被害者に強くなれ(スルーの意味/注・松岡)と要求することでハラスメント対策を終えてしまうというのは、非常に非現実的であるように思えてなりません。それよりかは、ハラスメントが行われていることが発覚したときにこれを継続させないような場の運用を行うこと及びハラスメントを行うことに自制心が働くようにハラスメントを行ったものに対して現実的に制裁が加えられるようなシステムを講ずることの方がよほど現実的です。

 そのためには少なくとも確実に法的な制裁が加えられるようにトレーサビリティの低い匿名・仮名の使用は禁止し、できることならば(法的制裁はコストが高いので)ハラスメントについては社会的制裁が加えられるようにトレーサビリティの高い実名等を用いることを原則とすることが求められます。(※強調部分は松岡による)


 小倉さんが文中で「実名等」としているのは、実名または共通IDシステムを指しているのだろう。だけどスルーを実践するより、実名制を導入するほうがなぜ現実的なのか? 上記のエントリを読んでも判然としない。私はむしろ逆だと思うがどうなんだろう?

 また小倉さんは最新エントリ『既得権を打破しようとする声に対する反発なんてそんなものでしょう』(7/23)で、こうお書きになっている。

今の北朝鮮で単身金正日による独裁体制を打破せよと訴えても、これに賛同する声は表では聴くことはできず、却ってそのような主張をする人間を罵る声で溢れるとは思いますが、おそらくそれは北朝鮮の大衆の真の声ではない。それと同じようなものです。


 小倉さんは今の(匿名)ネット社会を、金正日が独裁体制を敷く北朝鮮になぞらえる。で、匿名者たちがネット社会を不当に独裁しているとする。

 小倉さんによれば、その仮想社会では実は多くの大衆が実名にしたがっている。だが、独裁者(匿名支持者)によるリンチを恐れて声を上げられないらしい。そして実名主義を唱えるご自身を、金正日独裁体制の打倒を叫ぶ革命の士に例えている。

 しかしここまで小倉さんが実名制度に固執する理由は何なのか? 実名制以外の代替案ではダメなのだろうか?

 そこで最後にひとつだけ、小倉さんにご提案させていただく。

 小倉さん、ネット上の誹謗中傷や嫌がらせをなくしたいという点では、多くのネットユーザも小倉さんと同じ考えだと思います。で、目的が同じなんだったら、小異を捨てて大同につくことは考えられませんか?

 小倉さんが提唱されている実名制度や共通IDシステムは、前項の目的を達成するための手段にすぎません。目的が実現するならば、手段はほかの方法でもいいはずでしょう。

 それなら多くのネットユーザが否定している(かつ、実際にデメリットが大きい)実名主義や、共通IDシステム以外の方法はないでしょうか? つまり実名制度、共通IDシステム以外の方法で、ネット上の誹謗中傷などの被害をなくす第三の道です。

 小倉さんがこれらの二枚カンバンをはずしさえすれば、多くのネットユーザと共同歩調が取れると思うのですが、いかがでしょうか?

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
コメント (7)
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