すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

インターネットの「リアル世界化」は正解か?

2007-07-30 18:33:43 | 実名・匿名問題
 ブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんからトラックバックをいただいた。「等価交換」というキーワードで、実名、匿名の功罪がうまくまとめられている。ポイントを引用しよう。

(前略)ブログが持つ名もなき人も読んでくれる流通力を享受しているわけだから、ある程度は、ekkenさんがおっしゃる匿名でのネガティブコメントも、メリットとデメリットの「等価交換」であるのが望ましいとすれば、それはしょうがないのではと思います。甘受すべき範囲内なのではないかと思います。(中略)

 松岡さんは、たぶん、そういうブログの流通性や自由との「等価交換」として、ネガティブコメントなどの荒らしはあるというデメリットがあるのがブログというかネットの現実なのだから、きっと、初心者にブログを実名ではじめるのを勧めるというのは無茶だと思われたからこそ、反論を書かれたのだと思います。そして、現実を生きる知恵として、「スルー力」を啓蒙されたのでしょう。

『「実名匿名論争」雑感』


 大筋はその通りです。ただしekkenさんがおっしゃる「ネガティブコメント」とは、正当な批判異論も含んでいます。ネガティブコメント=誹謗中傷ではない。そのあたりはekkenさんのエントリ『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』をご参照ください。

 さて今回は上記の引用部分のうち、前段を少し補足させていただきたい。

 インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。

 で、問題なのは、(前回も少し触れたが)仮にインターネット上に実名制度が導入されれば、少なくない数のネットユーザが情報発信をやめてしまう可能性があることだ。

 とすれば集まった意見の数が多いほど、また意見が多様であるほどに価値があるとの定義に照らせば、実名制度下における集合知の意義は大幅に下落することになる。

 この部分の見方が、私と小倉さんではかなりちがうのだ。小倉さんの持論をこのケースに当てはめれば以下のようになるのだろう。

「インターネットが実名化されれば、いままでネット上で発言してなかった専門家知識人がブログを書くようになる。そのぶんスペシャリストの意見が、今までよりもネット上に上積みされることになる。だから実名制度には意味がある」

 ところがそのテの専門家や知識人は、すでにリアルの世界で発言したりモノを書いているのだ。読みたければ別にネット上でなくても、本屋さんに行けばいい。

 また実名化により、仮にネット上に存在するのが彼らの発言だけになったとしたら、それはリアルの世界とどうちがうのか? 単なるインターネットのリアル世界化ではないのか? そんな世界に意味はあるのかと私は思う。

 一方、小倉さんが「匿名」とカテゴライズする人々の論述は、ネット上にしかないケースが多い。実名制度の導入で彼らの声が消えてしまえば、もうどこを探しても意見が聞けなくなる。

 かつ個人的な体験で言えば、「匿名」の人の意見に教えられたり、インスパイアされることは多いのだ。私は自分のブログのコメント欄で、何度もそれを経験している。

 最後に、前回エントリの結論部分を一部再掲しよう。

 だけど実名化のせいで、匿名だからこそ書かれていた無数の有益な文章、才能ある書き手が消えてしまうとしたら損失が大きすぎる。ゆえに私はその観点から、実名制度に反対である。


 実名化のメリット、デメリットを秤にかければ、やっぱりデメリットが大きすぎると私は思う。

【関連エントリ】

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
コメント (7)
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