すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ

2007-07-25 09:46:14 | 実名・匿名問題
 弁護士の小倉秀夫さんが唱える実名制度や議論の定義には、欠点が多い。そこで今回は小倉さんが提示されている論点を検討しながら、よりよい議論のあり方や実名・匿名問題を考えてみる。

 まずは正当な議論と、不当な物言いの定義をはっきりさせよう。それにはekkenさんが作った4分類がわかりやすい。一部、アスキーに書いた『スルーが効く理由(わけ)、効く場合』と重なるが、ご了承願いたい。

 ekkenさんは、サイトの管理人が不快感を覚える可能性のあるコメントを次の4つにカテゴライズしている。

1. 事実確認
2. 異論・反論・批判
3. 誹謗・中傷・侮辱
4. コピペ(荒らし)

『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』(ekken)


 そして何かを主張するタイプのブログや議論系のブログは、読者から1:「事実確認」や2:「異論・反論・批判」を受けたとき、拒否してはいけないとする。

「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」てなご都合主義を否定しているのだ。

 ちなみに「事実確認」とは、「ココはこうまちがってるんじゃないですか?」、「それは正確には○○ではないですか?」などと事実関係を確認する行為を指す。

■数が多いと内容がよくても不当なコメントになる?

 ekkenさんの主張に対し、小倉さんはエントリ『ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる』の中で、1と2のコメントに付帯項目をつけている。で、付帯項目に抵触するものは、1と2であっても「ハラスメントだ」と言う。

 1.や2.が「匿名でなくともできる」通常の態様でなされるのであればそうでしょう。しかし、1.や2.だって、言葉遣いに問題があったり、生活の片手間にブログの維持管理を行っているに過ぎないブログ主がおいそれとは応えられないであろう分量の投稿を行ったり、ブログ主が誠実に対処しても同じことを何度も何度も繰り返したりすれば、それは立派にハラスメントになります。


 私は前段に賛成だ。だが後段の一部に疑問がある。言葉遣いが乱暴なのは確かにNGだろう。だけど数が多く、短時間のうちに連続的・継続的に行われるコメントは「すべて不当だ」と断定できるのだろうか?

 この点について小倉さんはエントリ『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』の中でも、次のように述べている。少し長くなるが引用しよう。

 また、社会人は限られた時間の中でブログを開設していますので、それに答えたり再反論をしたりするためには過度の時間や労力がかかるような質問や批判というのは正当な範囲を超えることになりがちです。ですから、短期間に沢山のネガティブコメントを特定のブログ主に投げつけるコメントスクラムは、その内容にかかわらず、批判としての正当性を失うことになります。

 また、同様にブログ主の時間には限りがありますから、沢山の質問や批判を投げつけられても、これらすべてに答えることは困難です。従って、ネガティブコメントの分量が多くなっていけばなるほど、批判としての正当性は薄れていきます。


 短時間にたくさん寄せられた反論コメントは、「内容にかかわらず」不当であり、数が多くなればなるほど不当性が高まると言う。

 小倉さんの定義では、いくら内容がマトモでも同時にたくさんくると有罪なのだ。

■インターネットの構造を無視した定義では?

 だけど私は「その内容にかかわらず」なんて付帯項目をつけ、前述の4分類を解釈改憲するのは反対だ。この調子であちこちに付帯項目をつけて拡大解釈していけば、憲法(4分類)が骨抜きになるのは目に見えてるからだ。
(事実、小倉さんは骨抜きにしている。後述しよう)

 もうひとつ感じる疑問は、「これは要するに小倉さんご自身が、書き込まれた反論にいちいち反駁しないと気がすまない性分だからそう言ってるだけなんじゃないか?」という点だ。

 異論を唱えるコメントは、確かに「相手(元の発言者)の反論権を担保した状態で行われるべきだ」という小倉さんの論旨は理解できる。コメントがあまりにも大量だと、物理的に反駁できなくなるだろう。

 だけど肝心のインターネットは、自分自身から見れば1:nのコミュニケーションなのだ。

 だから「友だち以外には公開しない」とか、「1時間当たり1件しかアクセスを受け付けない」なんていう何らかのアクセス制限をかけてない限り、短時間でコメントが集中することは常にありえる。

 しかもこれはインターネットの構造的な特徴だから、仮に小倉さんが唱える実名制度を採用したとしても避けられるわけじゃない。もし短時間で大量に、内容が正当な実名の反論コメントがきたらどうするのか? 結局、実名制度は解にならないのだ。

■システムや技術はどこまで介入すべきか?

 そもそも単なる揚げ足取りの書き込みや、明らかに悪意のあるネガティブコメントに逐一、反応しなきゃいけないなんて法はない。また内容は正当でも数が多くてレスし切れないならスルーすればいいし、逆に悪質なものは削除すればすむ話だ。

 ところが小倉さんは以下のエントリで、発言者に心理的な圧迫感削除・スルーなどの負担を強いるシステムや環境には問題がある、という趣旨の論述をされている。

『Balance-Toi』
・『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』(前出)
・『ekkenさんはブログ主に課すハードルが高すぎる』(同)

 おっしゃる意味はわかるが、じゃあスルーする以外にシステム的・技術的な解決策はあるのだろうか? 実名制度では、コメントの同時多発性を避けられないのは前述の通りだ。

 また仮にシステム的・技術的な対策があったとしても、それはインターネットの(責任ある)自由と創造性を損なう可能性はないだろうか?

 本来なら個のモラルに帰すべき問題に対し、システムや技術が必要以上に介入する危険性はないのか? 

 この点に大きな疑問が残る。

■筆者が返答に困る書き込みは「不当なコメント」?

 さらに小倉さんはエントリ『コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準』を、次のように締めくくっている。

「ブログ主の見解が間違っていた」という以外の理由でブログ主が質問に回答したり批判に答えたりということを回避してしまうような状況を作り出すネガティブコメントは、「正当な批判」とは言えなくなっていくということです。


 前回、私が書いたエントリ『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』でも指摘したが、小倉さんお得意の極論である。

 まず第一にこの定義は、書き込みの内容が正当でも「オレ様の気に入らないコメントは拒否する」というご都合主義とどうちがうのか?

 第二に、元記事がまちがってるとまではいえなくても、論理的に矛盾していたりする場合はどうか? で、その矛盾を指摘する正当なコメントが書き込まれたら?

 このとき書いた本人(サイト管理者)が「こりゃ自分に都合が悪いな」と考え、「批判に答えることを回避」(小倉さん)したら、それは不当なコメントになるんだろうか?

 結局、小倉さんがおっしゃることは、「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」というのとどうちがうのか? だんだんワケがわからなくなってくる。

■小倉式の定義では「正解のない議論」ができない

 あるいはこんな例も考えられるだろう。記事を書いたブロガーの考えがまちがっていなくても、複数の異論が成立するケースだ。

 数学みたいに1+1が必ず2になるテーマならともかく、正解のない議論はありえる。その典型は哲学みたいに、人によってものの見方がちがうテーマだ。

 そんなお題のときに異論が寄せられたとしよう。で、ブログ主が回答したり異論に答えるのを避けたとする。この場合も小倉さんの定義では、投稿されたコメントは不当なのだろうか?

 第一、第二のポイントと同じく、これも「オレは言いたいことを言う。だけど他人がオレ様に異論を述べるのは許さない」のとどうちがうんだ? ということになる。
  
 結局、小倉さんが提示されている不当なコメントの定義は曖昧すぎ、グレーゾーンが広すぎる。そのせいでなんでもかんでも有罪にできるのだ。これではお話にならないだろう。

 さて私の対案を言おう。まず基本は前述の4分類とする。その上で議論系や主張系のブログは、1:「事実確認」と2:「異論・反論・批判」にも対応すべきだ。ここまではekkenさんと同じである。ただし1と2に当たるものでも、以下は不当なコメントとする。

・A 表現の仕方が社会的モラルを逸脱しているもの(乱暴、その他)

・B 明らかな悪意があるもの(正当な議論が成立しないため)

・C 議論に勝つことだけを目的にしたもの(ためにする議論)

 そして3:「誹謗・中傷・侮辱」、4:「コピペ(荒らし)」をスルーするか、削除するかはサイト管理者の裁量にまかせる。この定義ならスッキリしていると思うが、どうだろうか? 

■実名でなければ、あなたには存在価値がない?

 最後に、私が小倉さん的な実名制度に反対する最大の理由を書こう。

 たとえば小倉さんの定義では、ekkenというハンドルは「匿名」に相当するらしい。

 出典●『「匿名」に関するekkenさんからの質問』

 とすれば小倉さん的な実名主義に立てば、ekkenさんが何を書こうがその意見は存在しないことになる

 いや、ekkenさんに限った話じゃない。

 どんなにすばらしい論述や分析をしようが、どれだけおもしろいセンス、ユニークな発想、芸術的な才能があろうが、本人が実名でなければその瞬間に価値がゼロになる世界──。

 私は中世ヨーロッパの暗黒時代に等しいと思う。

 小倉さんの実名主義はデメリットが大きすぎる、と私が感じる最大のポイントはこの点だ。

 小倉さんは7月23日付のエントリ『既得権を打破しようとする声に対する反発なんてそんなものでしょう。』の中で、「匿名者が跋扈する今のネット社会」を、金正日が独裁支配する北朝鮮に例えている。多数の匿名者が実名主義者をリンチする圧制社会だ、てなわけだ。

 だけどちょっと待ってほしい。

 インターネットは有名・無名にかかわらず、ネットユーザの創造性を育ててきたクリエイティブな世界である。なのに前述の通り小倉さんによる実名の定義では、どんなに才能があろうが実名でなければその人の能力は認められない。とすれば小倉さんの主張は、インターネットの根幹にかかわる問題といえるだろう。

 実名制度のメリット、デメリットを秤にかけるとどちらが重いか? クリエイティビティの問題を考えた場合、私は実名主義の世界こそ金正日が独裁支配する北朝鮮と同列に論じるにふさわしいと考える。

 さて、あなたはどう思いますか?

【関連エントリ】

『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』

『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』

『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』

『小倉さん、印象操作はほどほどに』

『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
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