すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【ロシアW杯最終予選】豪州戦はハリル・スタイルの完成形だった

2017-09-04 07:11:36 | サッカー戦術論
彼らのカウンターサッカーはW杯本大会でこそ生きる

 奇妙な仮定をしよう。もしあのロシアW杯最終予選のオーストラリア戦で浅野と井手口によるあの2本のシュートが入っていなかったら、どうだったか? 日本は単に守っただけで、何の意味もない。ただの引き分けだ。ウラを返せばあの2点があったからこそ、サッカーの神様は日本に微笑んだのだ。

 点を取って勝つことの重要性はそこにある。

 これが昔の日本、例えばジーコ・ジャパンやザック・ジャパンなら、豪州戦とはまるで逆の結果になっていただろう。ポゼッション率こそ6:4や7:3で日本は敵を圧倒していたはずだ。だがシュートが入らず(あるいは「シュートを打つ発想」そのものがなく)、逆に2-0で負けていた。あるいは引き分けで終わっていた。

 サッカーは「パスが何本つながったか?」で勝敗を争うボールキープゲームではない(逆に言えば昔の日本は今のタイのサッカーみたいに単なるボールキープゲームをしていた)。だから勝てなかった。

 つまりハリル・ジャパンはポゼッション率を意図的に敵に譲ったが、点を取ったからこそ勝てたのだ。しかもオーストラリア戦、ポゼッション率は4:6で劣っているが、なんと日本は敵の3倍のシュートを打っている。非常に効率的である。ひとことで言えば、ハリルのサッカーがハマったわけだ。

 いや細かく分析すれば豪州戦は別にデキがよかったわけじゃないが、少なくとも狙いはズバリ当たっていた。まず守って敵を引き出し、攻めてはカウンターで2点取って勝った。その意味においてはハリル構想の完成形といってもいい。

敵を引きつけウラにスペースを作る️

 ではハリル・ジャパンはなぜ昔の日本と違って点が取れるのか? それはいったんゾーンを下げて敵を引きつけて守り、相手のウラに十分なスペースを作らせてからカウンターを仕掛けているからだ。

 敵のウラにはぽっかり空いた空間があり、しかも相手は自分たちが攻めた直後だ。当然、日本がボールを奪った瞬間には、敵は前にかかって陣形が乱れている。

 日本はそこでポジティブ・トランジションを発動し、素早くタテに早いショートカウンターを見舞う。するとポゼッション率では敵に譲っていながら、3倍のシュートが打てる。すなわち「勝ちやすいサッカー」になる。非常に理にかなっている。

 しかも彼らがやっているサッカーは、相手が強くてポゼッションしバリバリ攻め込んでくるW杯本大会に向いている。W杯本大会でこそ敵のスタイルとガッチリ噛み合う。

リアリズムに徹している。だから勝たなければ意味がない

 ぶっちゃけ、ハリル・ジャパンのサッカーはゴツゴツしていて不恰好で汗臭い。リアリズムに徹している。子供たちが見て「僕らもあんなサッカーがやりたい」とあこがれるような華麗なサッカーではない。だから一部のメディアやサポーターは「あんな夢のないスタイルでいいのか?」と疑問を投げかける。

 だからこそW杯本大会で勝たなければ意味がない。いや実際、W杯本大会で勝つために仕込んできたサッカーなのだ。相手が強い本大会でこそ日本は強みを発揮する。もちろんジーコ・ジャパンやザック・ジャパンのときマスコミが騒いだように、「日本は当然決勝トーナメントに進みベスト4、いや優勝も夢じゃない!」などとバカみたいに煽るつもりなどまったくない。

 だが吉田中心のディフェンスラインがしっかり守り、サイドでアグレッシブに泥臭く粘って上下動しプレスバックをサボらない原口や乾、浅野、久保、武藤らが機能し、はたまた中央で長谷部や井手口、山口が閂に鍵をかけ、柴崎や清武が敵を切り裂くキラーパスを出して大迫が最前線で鉄板のポストプレイをすれば? 結果は自ずとついてくる。

 絶対に優勝はしないが、決勝トーナメントでおもしろい存在になれる可能性はある。

 なぜならハリルが仕込みを入れた無骨なショートカウンターは、W杯本大会でこそ生きるのだから。

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