
✴︎国民の祝日に日の丸を掲げるのは「ふつうだ」と母は思っていたが……。
母いわく「日本人が日の丸を掲げて何が悪い!」
先日、「今日は憲法記念日だ」と聞いて、ピンと弾けるように「記憶の扉」が開いた。
え? 「記憶の扉」っていったい何か?
SF作家の故・小松左京氏によれば、人間の記憶というものは実は無くなるなんてことはない。
記憶は必ず脳のどこかの引き出しに大切にしまわれており、単にその引き出しが開かなくなるだけなのだという。これが「思い出せない」という状態だ。
先日、「今日は憲法記念日だ」と聞いて、ピンと弾けるように「記憶の扉」が開いた。
え? 「記憶の扉」っていったい何か?
SF作家の故・小松左京氏によれば、人間の記憶というものは実は無くなるなんてことはない。
記憶は必ず脳のどこかの引き出しに大切にしまわれており、単にその引き出しが開かなくなるだけなのだという。これが「思い出せない」という状態だ。
つまり脳内の「記憶の扉」の向こう側に確かに格納されており、その「扉」さえ開けば隠された記憶を思い出せるわけだ。
ああ、それはともかく。
たぶん母のおじいちゃんちではマメに「国旗掲揚」してたんだろう
さて記憶の扉が開き、そういえば亡くなった母がその昔、こんな話をしていたことを思い出した。
あるとき祝日に、母が家の塀に国旗を掲げていたら、通りすがりのおばさんが怪訝そうに我が家の中を覗き込んで来て、
「お宅、右翼なんですか?」と聞いたらしい。
後日、母はそのときの様子を、とても心外そうに私にこう言った。
「日本人が日の丸掲げて何が悪いんだ?」って話なんだよねぇーー。
いや、これは極めて純朴な心象を、ただ吐露しただけだ。別にこの母の言動には、政治的な確たる主張は込められていない。
なぜって彼女はたぶん、レフト・サイドの洗礼をあまりにも受けすぎた状態にある当時の日本(たぶん1960~70年代)の有り様を、母はちょっとシニカルに嘆いて見せただけなんだろうと思う。
さて記憶の扉が開き、そういえば亡くなった母がその昔、こんな話をしていたことを思い出した。
あるとき祝日に、母が家の塀に国旗を掲げていたら、通りすがりのおばさんが怪訝そうに我が家の中を覗き込んで来て、
「お宅、右翼なんですか?」と聞いたらしい。
後日、母はそのときの様子を、とても心外そうに私にこう言った。
「日本人が日の丸掲げて何が悪いんだ?」って話なんだよねぇーー。
いや、これは極めて純朴な心象を、ただ吐露しただけだ。別にこの母の言動には、政治的な確たる主張は込められていない。
なぜって彼女はたぶん、レフト・サイドの洗礼をあまりにも受けすぎた状態にある当時の日本(たぶん1960~70年代)の有り様を、母はちょっとシニカルに嘆いて見せただけなんだろうと思う。
つまり具体的には、このときのおばさんが日の丸を見たときの「オーバーで反射的にすぎる拡大解釈の反応や発想」をだ。それを「日本人はこれでいいんだろうか?」と、子供の私に問題提起してみせたんだ。
いや、なぜって母は本当はリベラルな人だったのだが、そんな当時の日本の現状に対する素朴な思いや疑問をただ素直に言葉に表しただけなんだと思う。
おじいちゃんは日本を「神国」だと思っていた
もっとも彼女のお父さんに当たる家具職人だったおじいちゃんは、
もっとも彼女のお父さんに当たる家具職人だったおじいちゃんは、
先の終戦時には、
「神国が負けたぁ!」
と言ってわんわん泣いたらしい。
そんな父親に育てられたのだから、推して知るべし。その影響があるのはもちろん隠せないだろう。
実際、母はおじいちゃんが大好きで、いつも「竹を割ったような性格」のおじいちゃんの自慢話ばかりしていた。
だが彼女は(おそらく思想的には)逆に戦後民主主義の洗礼を強く受け、ずっと朝日新聞を家で購読していた(現にその血を引く私も、子供の頃から朝日をスミズミまで隈なく読んで育った少年だった)。
しかし、その一方でおじいちゃん譲りの復古的な要素に加え、現代民主主義的な色彩とが、あれこれアンバランスに入り混じり彼女というヒトができ上がっていたのだと思う。
今から思えば、そんな母ともうちょっと政治の話でもしてみたかったなぁ、と感じる。
【余談】
「神国が負けたぁ!」
と言ってわんわん泣いたらしい。
そんな父親に育てられたのだから、推して知るべし。その影響があるのはもちろん隠せないだろう。
実際、母はおじいちゃんが大好きで、いつも「竹を割ったような性格」のおじいちゃんの自慢話ばかりしていた。
だが彼女は(おそらく思想的には)逆に戦後民主主義の洗礼を強く受け、ずっと朝日新聞を家で購読していた(現にその血を引く私も、子供の頃から朝日をスミズミまで隈なく読んで育った少年だった)。
しかし、その一方でおじいちゃん譲りの復古的な要素に加え、現代民主主義的な色彩とが、あれこれアンバランスに入り混じり彼女というヒトができ上がっていたのだと思う。
今から思えば、そんな母ともうちょっと政治の話でもしてみたかったなぁ、と感じる。
【余談】
なんだか長くなってしまった。
最後に余談だが……ここでまた別の「記憶の扉」が開き、昔のあることを思い出したので書こう。ウチの母って、実は「れいわ新選組」の奥田ふみよさんにそっくりな闘士だったんだ。
以下は、はるかな昔話になる。
私は学校の言うことなんて、聞くワケがない自由奔放な生徒だった。
小学生のときには校則を堂々と破り、前髪をとんでもなく長く伸ばしていた。前髪を下までまっすぐ垂らすと、前髪の先端がなんとアゴより長かった。
それが何より自慢で、いつも友達と髪の長さを競っていたものだ。
誰かが「おい、あのクラスには髪が長いヤツがいるらしいぞ」と言ってライバルを連れてくるのだが、私と前髪の「長さ競争」をすると決まって勝つのは私だった。
実際、子供の頃の私は(マンガの中で花形満が所属する)「阪神タイガース」の熱烈なファンだった。
中学へ上がるとき坊主頭になるハメに
ところが悪夢は、中学校へ入るときに起こった。
なんとその中学では「坊主」にしなきゃならない、それが義務だ、というルールだったのだ。当時の坊主って、それはもう典型的な今でいう「カルト校則」の走りみたいな存在だった。
今でこそ「おしゃれ坊主」なんて髪型のカテゴリーがあり、私は気に入ってずっとそれにしているが。
しかし当時、もちろん私が髪を伸ばすことを何よりも(子供なりに)誇りや生きがい、自己実現の証しにしていることを知る母は、そこで猛然と激しい行動に出た。
彼女はまんま、奥田ふみよさん並み(笑)に、えらく気が強い人だったのだ。
もちろん母は学校に直接抗議しに行き、「なぜ坊主にすることが必要なのか?」「学校には正当な理由を説明する義務がある」と強く迫った。
もちろん母は学校に直接抗議しに行き、「なぜ坊主にすることが必要なのか?」「学校には正当な理由を説明する義務がある」と強く迫った。
おまけにこれを「正式な書状」にして学校へ提出した。
果ては教育委員会へも怒鳴り込んだらしい。
だがそんな母の奔走もむなしく、「私が坊主頭になる宿命」は変えられなかった。
果ては教育委員会へも怒鳴り込んだらしい。
だがそんな母の奔走もむなしく、「私が坊主頭になる宿命」は変えられなかった。
議論が無限ループしそうな「坊主は是か否か?」
ここで観念論をこねくり回すと、もうキリがなくなる。坊主の歴史的な意味っていったい何だ? 特に日本人の場合は「清める」という意味がありそうだが……。とか。
だけど先の戦争ではみんな坊主にしたし、それにはまたそれなりの意味があったよね? こんなふうに肯定論、否定論を上げ始めるとキリがないのでここでは置く。
ただひとつ言えることは、少なくとも「私は」絶対に金輪際、坊主にするなんてあり得なかった、と言うだけの話だ。
もっとも実際に坊主頭にしてみると、本人は思ったほどのショックはなかったが……。
だが母はとても残念がり、「私はこう抗議したんだ」「それからこれもやった」「でもダメだったんだ」としきりに私に訴えた。
実際、とんでもない活動量で私のために必死で動いてくれたのがわかった。
すごいなぁ、この人は……。
すごいなぁ、この人は……。
亡くなったいまでも彼女を尊敬している。
「自分の頭で考える」ことを教わった
そしてもちろん強く母に感謝しながらも、子供の自主性を重んじ「本人の意志に任せる」というのはこういうことなんだなぁ、と子供心に強く思った。
上から目線で機械的に管理するんじゃなく、「本人の自由意志に任せる」「肝心のお前さん自身は、どう考えるんだ?」と問うことって、すごく勇気がいることだよね?
「自分の頭で考える」って、実は人生でいちばん大事なことなんだ。
私はそういうことを母から学んだ。
私はそういうことを母から学んだ。