- 松永史談会 -

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それは浦崎梅林だった

2019年08月08日 | ローカルな歴史(郷土史)情報

安政4年雲山山人作「松永湾岸風景図屏風」(福山城博物館蔵)に描かれた戸崎付近に咲き乱れる花 わたしは桜だと思っていたが、実はどうもそうではなかったようだ。



市立園芸センター(福山市金江町藁江609)から見た松永湾の風景(Xは戸崎)↑


昨日小畑正雄『浦崎村史』、1980を見ていて山路機谷の漢詩「遺芳湾雑景」(浦崎八景)に菅茶山が使わなかった「戸崎梅林」の表現をとっていることを知った(『沼隈郡誌』からの孫引きヵ)。わたしは桜かなと思っていたのだが、屏風絵の作者:雲山山人がそのことを認識していたかどうかは判らぬが、戸崎=梅の名所(風景写真のX地点、その向かって右側、山頂を低く削平した場所が古城跡)+海中につきだした古城跡ということをわきまえていたことが判る。

小畑正雄『浦崎村史』だが、千年藤に関して独自に自説(内容的にはfakelore)を展開していた(論証方法が普通に恣意的)

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