日時:7月10日(月曜日)、午前10-12
場所:喫茶「蔵」本宅or2階
論題:歴史・民俗面から「葛原勾当日記」を読み解く
この日記は江戸末から明治初期にかけて活躍した、京都以西では並ぶものなしと言われた生田流筝曲(琴)の名人で、童謡作家葛原しげるの御祖父さんに当たる人物の、文政10(1827)年から明治15(1882)年までの出稽古記録だ。
校訂者小倉豊文は広島文理科大学助教授時代に被爆し、唯一生き残り戦後教室の再建に尽力された方。専門は歴史・文学。少年時代に葛原しげる(箏曲家宮城道雄の支援者)から感化を受けた人物で、人生最後の大仕事として齢80歳前後のころ全身全霊を傾けながら校訂作業に取り組んだと記している。巻末の地名・用語解説など有用(印象では研究次元の問題としてはかなりやり残しというか後学のものにゆだねられた課題山積)だ。
記述の中心はお稽古日誌そのものだが、そのおりおりのエピソードなど短歌なども織り交ぜながら独特の言葉使いでメモされている。
緑地社(休業状態)、1980年刊だがここにまだ新本在庫(出版社の話では新本・美本が100冊、経年劣化状態の新本50冊程度在庫あり)がある。
参考文献:例えば『日記で読む日本史』 全20巻
葛原勾当の「誠」(国語的な意味では”自他ともに偽らない純真な心”)については和歌を詠んでいるが、福山藩内に流通した「誠」概念理解の一助のため参考文献を付す。
大橋健二『良心と至誠の精神史-日本陽明学の近現代-』、勉誠社、1999、318頁。
大橋健二『日本陽明学、奇蹟の系譜』、叢文社、2006、445頁。
場所:喫茶「蔵」本宅or2階
論題:歴史・民俗面から「葛原勾当日記」を読み解く
この日記は江戸末から明治初期にかけて活躍した、京都以西では並ぶものなしと言われた生田流筝曲(琴)の名人で、童謡作家葛原しげるの御祖父さんに当たる人物の、文政10(1827)年から明治15(1882)年までの出稽古記録だ。
校訂者小倉豊文は広島文理科大学助教授時代に被爆し、唯一生き残り戦後教室の再建に尽力された方。専門は歴史・文学。少年時代に葛原しげる(箏曲家宮城道雄の支援者)から感化を受けた人物で、人生最後の大仕事として齢80歳前後のころ全身全霊を傾けながら校訂作業に取り組んだと記している。巻末の地名・用語解説など有用(印象では研究次元の問題としてはかなりやり残しというか後学のものにゆだねられた課題山積)だ。
記述の中心はお稽古日誌そのものだが、そのおりおりのエピソードなど短歌なども織り交ぜながら独特の言葉使いでメモされている。
緑地社(休業状態)、1980年刊だがここにまだ新本在庫(出版社の話では新本・美本が100冊、経年劣化状態の新本50冊程度在庫あり)がある。
参考文献:例えば『日記で読む日本史』 全20巻
葛原勾当の「誠」(国語的な意味では”自他ともに偽らない純真な心”)については和歌を詠んでいるが、福山藩内に流通した「誠」概念理解の一助のため参考文献を付す。
大橋健二『良心と至誠の精神史-日本陽明学の近現代-』、勉誠社、1999、318頁。
大橋健二『日本陽明学、奇蹟の系譜』、叢文社、2006、445頁。