宗教史が専門らしい引野亨輔さん(広島大学大学院出身、1974~)の研究論文
横田冬彦さんらの研究グループの人らしい。あたらしい感性を持った人だと感じたが、どことなくのんびりした内容の論文が多い。
広島県関係では福山大学人間文化学部紀要 10, 61-81, 2010-03-01に掲載されたものがあった。
ここの大学の学部紀要論文はオープンアクセスなので簡単にDLし読める。この論文はほんわか温(ぬるめ)めだが、近世地誌(民衆的知の発露だと捉える)を手掛かりとして暴君の福島正則(和田石井又兵衛家の「おややの鬼火伝承」などは福島丹波がらみのその派生形ではないかとわたしなどは考えている)と名君の水野勝成という後世に作られたイメージの独り歩きを考えている。
引野の論文を読むと暴君福島・名君水野はfakeな言説だとしても、それではどこに真実があったのかは語られておらず、そういう面では言葉足らずの面が感じられた。
引野「鎮守のご本尊ー江戸時代における神仏習合の一事例ー」は沼隈分郡山手村の話題。鎮守管理を巡る山手村の俗人神主と京都吉田家から免許状を交付された禰宜との二人体制と真言宗寺院所属の社僧とのささやかな"勢力争いor競争"関係など興味深い問題に言及している。
安芸門徒を特殊ー普遍という基軸の中で整理するなど、引野の分析は視点が高い、割とフワーッとした俯瞰的な解釈の出来る人だ。この単著(200頁未満)は千葉大・文学部への就職を有利にするために出版されたものだろ。
"暴君"と"名君"のあいだ-民間地誌にみる近世民衆の政治意識-
福山藩の近世地誌類に言及した論考もある。
「江戸時代の地誌編纂と地域意識」だ。これもちょっと温(ぬる)めの内容だ。雑誌の性格も関係するのか40歳代の引野先生だがシャープさはちょっと少な目かな~。ただ私的には興味のある論考だった。
「堀新によれば江戸時代の初めに領主が荒れ地を切り開いたという伝承は、近世城下町の開創をめぐる定番の語り口であり、福山城築城伝説もその一変種であろう」という。ってことはこの辺の話題は史実を反映したものではなく、作られたイメージだということらしい
論文リスト
学会の中では旗手の一人なのかどうか知らないが、引野氏の場合「歴史研究」820(2006年10月)掲載論文「近世後期の地域社会における藩主信仰と民衆意識」76-86頁と歴史評論790(2016年2月)掲載の「江戸時代の地誌編纂と地域意識」、5-18頁だが、10年間の隔たりの中で不勉強というか、論考にピカッと光るものとかシャープさとかがまるでない代わり映えのしない内容。この学会での評価は恐らく期待外れ、ちょっとがっかりといったところではなかっただろうか。
このような領域では『備後叢書』をまとめ上げた得能の地誌研究の再チェックや『備陽六郡誌』・『福山志料』、『水野記』を本文研究を含めてもっと深く徹底して研究するといった部分が一番大切。
雑誌「備後史談」に猪原薫一のエッセイ(”筆のまにまに”)を掲載。その中で猪原は福山志料とか備後郡村誌のことに言及(昭和5年5月30日)。
横田冬彦さんらの研究グループの人らしい。あたらしい感性を持った人だと感じたが、どことなくのんびりした内容の論文が多い。
広島県関係では福山大学人間文化学部紀要 10, 61-81, 2010-03-01に掲載されたものがあった。
ここの大学の学部紀要論文はオープンアクセスなので簡単にDLし読める。この論文はほんわか温(ぬるめ)めだが、近世地誌(民衆的知の発露だと捉える)を手掛かりとして暴君の福島正則(和田石井又兵衛家の「おややの鬼火伝承」などは福島丹波がらみのその派生形ではないかとわたしなどは考えている)と名君の水野勝成という後世に作られたイメージの独り歩きを考えている。
引野の論文を読むと暴君福島・名君水野はfakeな言説だとしても、それではどこに真実があったのかは語られておらず、そういう面では言葉足らずの面が感じられた。
引野「鎮守のご本尊ー江戸時代における神仏習合の一事例ー」は沼隈分郡山手村の話題。鎮守管理を巡る山手村の俗人神主と京都吉田家から免許状を交付された禰宜との二人体制と真言宗寺院所属の社僧とのささやかな"勢力争いor競争"関係など興味深い問題に言及している。
安芸門徒を特殊ー普遍という基軸の中で整理するなど、引野の分析は視点が高い、割とフワーッとした俯瞰的な解釈の出来る人だ。この単著(200頁未満)は千葉大・文学部への就職を有利にするために出版されたものだろ。
"暴君"と"名君"のあいだ-民間地誌にみる近世民衆の政治意識-
福山藩の近世地誌類に言及した論考もある。
「江戸時代の地誌編纂と地域意識」だ。これもちょっと温(ぬる)めの内容だ。雑誌の性格も関係するのか40歳代の引野先生だがシャープさはちょっと少な目かな~。ただ私的には興味のある論考だった。
「堀新によれば江戸時代の初めに領主が荒れ地を切り開いたという伝承は、近世城下町の開創をめぐる定番の語り口であり、福山城築城伝説もその一変種であろう」という。ってことはこの辺の話題は史実を反映したものではなく、作られたイメージだということらしい
論文リスト
学会の中では旗手の一人なのかどうか知らないが、引野氏の場合「歴史研究」820(2006年10月)掲載論文「近世後期の地域社会における藩主信仰と民衆意識」76-86頁と歴史評論790(2016年2月)掲載の「江戸時代の地誌編纂と地域意識」、5-18頁だが、10年間の隔たりの中で不勉強というか、論考にピカッと光るものとかシャープさとかがまるでない代わり映えのしない内容。この学会での評価は恐らく期待外れ、ちょっとがっかりといったところではなかっただろうか。
このような領域では『備後叢書』をまとめ上げた得能の地誌研究の再チェックや『備陽六郡誌』・『福山志料』、『水野記』を本文研究を含めてもっと深く徹底して研究するといった部分が一番大切。
雑誌「備後史談」に猪原薫一のエッセイ(”筆のまにまに”)を掲載。その中で猪原は福山志料とか備後郡村誌のことに言及(昭和5年5月30日)。