- 松永史談会 -

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丁酉(ていゆう)倫理会

2014年06月03日 | 断想および雑談
丁酉倫理会
以下全文引用
□「日本で最初の倫理学研究会。1897(明治30)年に姉崎正治・大西祝・横井時雄・浮田和民・岸本能武太らが設立した丁酉懇話会を母体として、1900年に発足した。「保守的国家主義に対して人格主義を主張し、宗派争いや神学や教理論争以外に人間の道を求める」(姉崎)★をモットーとした。月1回の研究会や講演会を開催し、さらに全部で535集にも及ぶ講演集を発行した。02年の哲学館事件では罷免された中島徳蔵の弁護をするなど、穏健な立場を維持していた。47年(昭和22)に解散したが、会員の多くは50年設立の日本倫理学会に引き継がれた」(日本思想史辞典[2009:674])

「イデオロギー的には国家権力による忠君愛国思想の国民への注入に呼応する姿勢をしめしながら、しかしそれを単に受注するだけではなく、「人生の本然に稽(かんが)へて」国民個々の《自然支配》の自律的要求へと切り換えていこうとする日本の知識階層の姿勢を示しているという点である」(宮川透、1980『日本精神の課題 〔新装版〕』紀伊國屋書店. 137頁)
茅野 良男 「井上円了と東洋大学(1)」、井上円了センター年報16,2007

「丁酉倫理会は明治三十年一月に姉崎正治・大西祝等により、「宗派に拘泥しない倫理運動〔56)」を起そうとして発会し、三十三年五月卜一、百から講演会の記録を「倫理講演集」として発行、三十七年以来監事を中島徳蔵に委託、中島は同年一月以来、毎月講演集を編集、昭和五年一月末まで編集主任(57)を続けた。丁酉倫理会の倫理講演集は昭和二十年度第五一六輯まで続き、昭和二十二年度から丁酉倫理、昭和二十二年三月から倫理と改題、少なくとも昭和ニ十四年三月号の第五四八輯までは発行されている。」(本論文、17頁)



高島平三郎は丁酉倫理会の発足時からのメンバーのようだ。


明治32年丁酉倫理会のメンバーとの集合写真(『藤井博士全集・第三巻』扉写真)

彼の論文(「満36年の思い出」)は後日ゆっくりと検討してみよう。
葛原しげるの述懐によれば「姉崎正治、木下尚江、洋行帰りの誰やらも、新学説のだれやらも」高島平三郎の家(荏原郡大崎の「梅屋敷」)で催された楽之会の集いに招かれて講演(スピーチ)をやらされていたようだ(『高島先生教育報国60年』、275頁)
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