一葉女史碑@山梨県、山梨県立文学館編『樋口一葉と甲州』、2009より転載
幸田露伴の文章だ。漢字・ひらがな混じりの新しい文体で書かれている。
賛助人
本記念碑の建碑について賛助人に名を連ねたのは、京浜地方の103人、地方の21人、親戚15人、そして発起人20人。
その賛助人の中には、幸田露伴・与謝野鉄幹・与謝野晶子・平塚雷鳥・坪内逍遥・森鴎外・島崎藤村・馬場孤蝶・田山花袋・佐藤春夫・徳冨蘆花と並んで高島米峰・高島平三郎、阪本三郎・樋口虎之助・樋口邦子(一葉の妹クニ)が。
この辺のことに関しては荻原留則「樋口一葉と甲州」、甲陽書房、1989。改訂版の山梨ふるさと文庫刊(2005)が大変詳しい。
当時の記念碑除幕式とその前日の地元新聞社主催記念講演会の模様は「山梨日日新聞 大正11年10月15日」の記事が詳しいらしい。高島は樋口一葉とは面識はなかったが妹クニとは、半井を通じて交流が始まったようだ。ここでの高島は樋口家側から招かれた戸川秋骨・半井桃水・関如来らのグループに属し、ことにクニ一家(クニの子孫)と高島とは個人的に懇意な関係を築いていったようだ。
高島講演の中身は当時の新聞でも紹介され、ある雑誌(佐佐木信綱ゆかりの短歌雑誌「心の花」 第二十六巻第十二号 一葉女史記念号、大正11年)にも掲載されているが、日記を素材とした一葉の人物像に関するもので、なかなか好評だったらしい(雑誌「心の花」に掲載された高島の講演要旨を読んでみたが・・・・特にどうってことはなかった)。
若いころから貧困と闘い、自らの運命を切り開くべく雑誌への論文投稿を繰り返してきた高島は樋口に対しては自分の壮絶な生き方とを重ね合わせながら共感の念を抱きつつの一葉研究を心がけたことだろ。
その後、児童心理学者倉橋惣三が和田芳恵編『樋口一葉研究』(昭和17年)において一葉作品中の「こども」ついて論じている。これなどは女子教育・女性問題に関する専門家だった心理学者高島に続いた研究といえようか。
なお、高島は前年(大正10年2月)に妻寿子を失っており、高島平三郎(56歳)にとってはそういう時代状況下での出来事だった。大正11年2月に高島は「女心と世の中」を刊行している。
一葉展での展示物と文学碑の除幕式後の記念写真(特定は出来ないが立ち姿の人物の中に高島平三郎も写っているらしい) 関連記事
前掲雑誌「心の花」の扉写真
樋口一葉全集 別巻 新世社,s17
[目次]
標題
目次
序跋略傳
「通俗書簡文」凡例 / 3
事のついでに(大橋乙羽) / 5
「校訂一葉全集序」 / 8
「一葉全集序」(幸田露伴) / 9
一葉歌集のはじめに(佐佐木信綱) / 12
「眞筆版たけくらべ」序(幸田露伴) / 16
同(島崎藤村) / 18
一葉全集の末に(馬場孤蝶) / 21
「眞筆版たけくらべ」跋(馬場孤蝶) / 45
一葉女史日記の後に書す(幸田露伴) / 72
樋口一葉君略傳(馬場孤蝶) / 74
新聞雜報 / 81
日誌鈔(副島八十六) / 84
碑文 / 94
硏究批評
一葉女史(小島烏水) / 99
樋口一葉 / 119
樋口一葉論(相馬御風) / 126
樋口一葉論(平林たい子) / 151
結ばれざりし一葉の初戀(神崎淸) / 183
樋口一葉(鹽田良平) / 212
樋口一葉について(齋藤淸衞) / 238
天才女(小島政二郞) / 262
一葉女史とその遺稿に就て(佐藤春夫) / 285
樋口一葉の一資料(吉田精一) / 289
一葉女史の日記について / 295
一葉の日誌文學(日夏耿之介) / 299
一葉女史とその和歌(佐佐木信綱) / 310
一葉と其師(戶川殘花) / 317
一葉の作品に現はれた女性(湯地孝) / 319
一葉女史の小說に現れたる子供(倉橋惣三) / 335
三人冗語(脫天子・登仙坊・鐘禮舍) / 355
追憶感想
一葉女史(半井桃水) / 365
女文豪が活躍の面影(三宅花圃) / 373
故樋口一葉女史(幸田露伴) / 382
一葉女史の追憶(戶川秋骨) / 386
二十三囘忌の秋に(平田秃木) / 391
一葉女史を憶ふ(三宅花圃) / 395
一葉の墓(泉鏡花) / 398
わが友樋口一葉のこと(田邊夏子) / 400
藝能界と一葉(正岡容) / 417
年譜書誌
一葉の生きた時代 / 425
一葉硏究への手引 / 439
後記(和田芳惠) / 449
半井桃水は西片町の住人で誠之舎長時代の高島平三郎とはご近所さん?
幸田露伴の文章だ。漢字・ひらがな混じりの新しい文体で書かれている。
賛助人
本記念碑の建碑について賛助人に名を連ねたのは、京浜地方の103人、地方の21人、親戚15人、そして発起人20人。
その賛助人の中には、幸田露伴・与謝野鉄幹・与謝野晶子・平塚雷鳥・坪内逍遥・森鴎外・島崎藤村・馬場孤蝶・田山花袋・佐藤春夫・徳冨蘆花と並んで高島米峰・高島平三郎、阪本三郎・樋口虎之助・樋口邦子(一葉の妹クニ)が。
この辺のことに関しては荻原留則「樋口一葉と甲州」、甲陽書房、1989。改訂版の山梨ふるさと文庫刊(2005)が大変詳しい。
当時の記念碑除幕式とその前日の地元新聞社主催記念講演会の模様は「山梨日日新聞 大正11年10月15日」の記事が詳しいらしい。高島は樋口一葉とは面識はなかったが妹クニとは、半井を通じて交流が始まったようだ。ここでの高島は樋口家側から招かれた戸川秋骨・半井桃水・関如来らのグループに属し、ことにクニ一家(クニの子孫)と高島とは個人的に懇意な関係を築いていったようだ。
高島講演の中身は当時の新聞でも紹介され、ある雑誌(佐佐木信綱ゆかりの短歌雑誌「心の花」 第二十六巻第十二号 一葉女史記念号、大正11年)にも掲載されているが、日記を素材とした一葉の人物像に関するもので、なかなか好評だったらしい(雑誌「心の花」に掲載された高島の講演要旨を読んでみたが・・・・特にどうってことはなかった)。
若いころから貧困と闘い、自らの運命を切り開くべく雑誌への論文投稿を繰り返してきた高島は樋口に対しては自分の壮絶な生き方とを重ね合わせながら共感の念を抱きつつの一葉研究を心がけたことだろ。
その後、児童心理学者倉橋惣三が和田芳恵編『樋口一葉研究』(昭和17年)において一葉作品中の「こども」ついて論じている。これなどは女子教育・女性問題に関する専門家だった心理学者高島に続いた研究といえようか。
なお、高島は前年(大正10年2月)に妻寿子を失っており、高島平三郎(56歳)にとってはそういう時代状況下での出来事だった。大正11年2月に高島は「女心と世の中」を刊行している。
一葉展での展示物と文学碑の除幕式後の記念写真(特定は出来ないが立ち姿の人物の中に高島平三郎も写っているらしい) 関連記事
前掲雑誌「心の花」の扉写真
樋口一葉全集 別巻 新世社,s17
[目次]
標題
目次
序跋略傳
「通俗書簡文」凡例 / 3
事のついでに(大橋乙羽) / 5
「校訂一葉全集序」 / 8
「一葉全集序」(幸田露伴) / 9
一葉歌集のはじめに(佐佐木信綱) / 12
「眞筆版たけくらべ」序(幸田露伴) / 16
同(島崎藤村) / 18
一葉全集の末に(馬場孤蝶) / 21
「眞筆版たけくらべ」跋(馬場孤蝶) / 45
一葉女史日記の後に書す(幸田露伴) / 72
樋口一葉君略傳(馬場孤蝶) / 74
新聞雜報 / 81
日誌鈔(副島八十六) / 84
碑文 / 94
硏究批評
一葉女史(小島烏水) / 99
樋口一葉 / 119
樋口一葉論(相馬御風) / 126
樋口一葉論(平林たい子) / 151
結ばれざりし一葉の初戀(神崎淸) / 183
樋口一葉(鹽田良平) / 212
樋口一葉について(齋藤淸衞) / 238
天才女(小島政二郞) / 262
一葉女史とその遺稿に就て(佐藤春夫) / 285
樋口一葉の一資料(吉田精一) / 289
一葉女史の日記について / 295
一葉の日誌文學(日夏耿之介) / 299
一葉女史とその和歌(佐佐木信綱) / 310
一葉と其師(戶川殘花) / 317
一葉の作品に現はれた女性(湯地孝) / 319
一葉女史の小說に現れたる子供(倉橋惣三) / 335
三人冗語(脫天子・登仙坊・鐘禮舍) / 355
追憶感想
一葉女史(半井桃水) / 365
女文豪が活躍の面影(三宅花圃) / 373
故樋口一葉女史(幸田露伴) / 382
一葉女史の追憶(戶川秋骨) / 386
二十三囘忌の秋に(平田秃木) / 391
一葉女史を憶ふ(三宅花圃) / 395
一葉の墓(泉鏡花) / 398
わが友樋口一葉のこと(田邊夏子) / 400
藝能界と一葉(正岡容) / 417
年譜書誌
一葉の生きた時代 / 425
一葉硏究への手引 / 439
後記(和田芳惠) / 449
半井桃水は西片町の住人で誠之舎長時代の高島平三郎とはご近所さん?