生きていたら82歳か、私が近づき、でもすぐ嫌になった男・寺山修司。わたしが短歌をはじめた時は彼は他界していた。40代で亡くなっので未だに寺山修司は壮年である。「短歌研究6月」では寺山修司の「手紙をよむ」特集、18名の新人賞受賞者がそれぞれ彼の「気になる一首」を取り上げている。
寺山修司は10代半ばから俳句を、その後は短歌、自由詩、演劇、映画などで活躍したが、短歌では虚構が目立つた、私は健在の彼の母を亡き人にした歌など彼が疎ましくなり読まなくなってしまった。でも嘘が旨い男は魅力があるように彼の作品は愉しい。
麦わら帽子
よれよれの麦わら帽を手にとれば寺山修司の歌が聞こえる
古きこの麦わら帽は捨てられぬ寺山修司の遺品に見えて
ここのみに人の群がる展示室、修司のハガキは金銭を乞う
あんなにも人がいたのにもう誰もいない、いえいえ修司と我が
寺山修司は10代半ばから俳句を、その後は短歌、自由詩、演劇、映画などで活躍したが、短歌では虚構が目立つた、私は健在の彼の母を亡き人にした歌など彼が疎ましくなり読まなくなってしまった。でも嘘が旨い男は魅力があるように彼の作品は愉しい。
麦わら帽子
よれよれの麦わら帽を手にとれば寺山修司の歌が聞こえる
古きこの麦わら帽は捨てられぬ寺山修司の遺品に見えて
ここのみに人の群がる展示室、修司のハガキは金銭を乞う
あんなにも人がいたのにもう誰もいない、いえいえ修司と我が