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困ったひと・石川啄木

2014-07-26 09:06:19 | 歌う

          { 困ったひと・石川啄木 }

 石川啄木は「困った人」である。と書きはじめる小山田泰裕さんの文を一気に読んだ。詩歌文学館の館報 「詩歌の森」 の最新号に掲載されている ✿ 啄木と 「うたの風景」 ✿

 新聞記者の仕事をしている小山田さんは、取材対象の相手に近づかなければその人の心の奥を知ることができないが、近づきすぎれば客観性を失いかねないという意識が常にある。2012年は啄木の没後百年であり、岩手日報誌上に 『啄木 うたの風景』を8か月連載。そして 『啄木 うたの風景~碑でたどる足跡』 を刊行した。 
 26歳の若さで亡くなった啄木の後半生は、彼の日記で追うことができたらしい。朝起きると、仕事に行きたくなくなり怠けてしまう。上司とケンカして会社を辞め、お金が入っても借金を返さず、すぐ使う。こんな男とは友達になりたくない。しかし小山田さんは啄木の人間的な弱さに親しみを持つ。啄木はこいう弱さと真摯に向き合ったから、多くの人々の共感を誘う歌が詠めたのだと。

 啄木が夭折したのは100年余も前である。しかし今でも 「はたらけどはたらけど」 の歌はまるで懐メロのように、短歌に関わらない人々にも愛誦されている。明治末期も経済不況だったらしいが、大正も昭和も平成も、富める人はごく少数であり、大多数は経済的に恵まれていない。「はたらけどはたらけど」は庶民の嘆きであり、実感がこもり調べのよいこの歌に、私たちはすぐに酔ってしまう。啄木は夭折したが、この歌は不滅だ。

 小山田泰裕さんは、「啄木は好きではない。あえて言えば仕事上の付き合い」 しかし人間啄木を知れば知るほど意識し、親しみを感じてしまう。だから 「困った人」なのだ」。でも、私はもっと困ったのは啄木の妻だっただろうと思う。彼の我儘に振り回された妻をおもうと切ない。啄木はキライな男だが、好きな歌がたくさんあり、私もやはり「困った人」である。

♥ 啄木がじっと見たのは左手か右手かあるいは冬の妻の手   松井多絵子

 わたしたちは辛いとき、悲しいとき、寂しいときになぜか手を見ていますね。俯きながら。

  現代詩歌文学館さま  「詩歌の森」 をありがとうございます。楽しく読んでおります。

                                         7月26日  松井多絵子