えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

岡井隆と小高賢と

2014-03-17 14:27:25 | 歌う

         ❤ 「岡井隆と小高賢と」 ❤

 私の所属する歌誌「未来」に連載の「それぞれの晩年」は今月で34回。主宰の岡井隆の評論である。かなり長い文なので3月号から一部を引用させていただくことにする。

 「小高賢さんが急逝された。事務所にて亡くなられたとのことだ。まさに仕事中に亡くなられたわけだ。わたしにとっては『私の戦後史・岡井隆』(角川書店209年刊)として忘れがたい人であったが、その以前から小高さんとは、激論をかわす相手だった。」

 これは冒頭の文である。小高賢は岡井隆より15歳も若い、しかも短歌をはじめたのが遅く、岡井隆は大先輩、しかし対等に論じ合い、時には激論を交わすとはスゴイ。講談社の編集者だったから文学、哲学などの蓄積は十分あったであろう。

 「清水幾太郎とか、とりわけ、小高さんもわたしも関心を深くもった思想家・丸山真男とか、ずい分と話題にして話し合ったものだ。短歌の話などそっちのけで話しあったのだ」。

 「小高さんの訃報と、ほとんど同時に日本経済新聞の書評欄に、わたしの『木下杢太郎を読む日』(幻戯書房)の小高さんによる書評が載った。ありがたく読むうちに、翌日訃報に接した。たぶん小高さんが書いた、ほとんど最後の、書評だったに違いない」。

 岡井隆は小高賢の歌を5首抄出しているがあまり引用されない2首を記し他は割愛する。

 ★暴力は家庭の骨子、、、、子を打ちて妻を怒鳴りて日々を統べいる

 ★居直りをきみは厭えど組織では居直る覚悟なければ負ける

※小高さんが亡くなられたのは2月10日、そのころ岡井先生は体調を崩されていた。
○ 二月はじめから、胃腸をわるくして通院点滴をうけたり、毎日、流動食で床に伏していられたそうである。小高さんの急死は衝撃だったであろう。岡井先生の速やかなご快復を願う。そして小高賢さんのご冥福をお祈りする、    3月17日  松井多絵子

 

 


コメントを投稿