6月23日の日曜日に久しぶりに東京に出かけてきた。
午前中は、有楽町駅前の東京交通会館の2Fで、この日から29日まで、元の職場のOBによる作品展が行われるので、その展示作業を行うためであった。作品の内容としては、絵画が多いがその他に、写真、書道、陶芸、木彫、ステンドグラスなどが展示される。年1回の開催であり、どれも力作ぞろいである。
この展覧会は、今年で16回目を数えるもので、今年の出展者数は41名、初回から連続出展の方もいる。写真の部には14名、27作品が集まっていた。私は、2年前に誘われて写真を2点出展したものの、昨年は多忙を理由に不参加になっていた。今年はまた復活して、チョウの写真を2点出展した。
いずれも、このブログにすでに掲載したものであるが、前回と今回の出展作品は次の4点である。
2017年出展作品「雪の朝」
2017年出展作品「赤い実」
2019年出展作品「クジャクチョウ」
2019年出展作品「クモマツマキチョウ」
当日、予定の時刻に会場に行くと、すでに大勢の人が集まり、作業が始まっていたが、写真担当の世話役の方々の準備はとてもよく、写真展示用に割り当てられた壁面に合わせた長さの紐が準備されていて、各人が作品を掛ける位置の印があらかじめこの紐に付けられている。また、壁面の各人の展示位置には番号が示されていて、場所が判るようになっている。
この紐を、所定の高さに張り巡らせてあるので、出展する各人は自分の番号の場所に作品を掛ければいいようになっている。作品は額縁に納められているが、その額縁の上辺の高さは、額縁についている紐または、天井から下げられた金具の位置調整ネジにより、先に張り巡らせた紐と同じ高さに揃うように高さを合わせる。最後に天井からの照明具合を調整し、短時間に整然とした展示を完了することができた。
写真の部の展示コーナー(2019.6.23 撮影)
また、今回から額縁のガラス板は展示期間中、取り外しておくように世話役から要望があった。反射して見づらくなることを防ぐためであるが、細やかな指示である。最近、美術館などでは絵画などのカバーガラスに反射防止処理をしたガラスを用いることが多くなってきているが、市販の額縁ではまだそこまでは行かない。
ガラスを取り外すことで、作品が傷ついたり汚れたりするリスクは生じるが、その点は展示会場に詰める当番員が、来客に注意を促すことで回避しようということとなった。
液晶TVやモニターの最外面は、最近ではほとんどが反射防止処理やノングレア(拡散)処理をするようになっている。この場合、裏面は粘着剤で貼られているために反射防止処理やノングレア処理は片面でよいが、額縁の場合には、ガラスの表裏両面を処理しなければならないので、さらに割高になり、採用の妨げになっているのかと思う。
展示作業が終わると、参加者全員で昼食兼懇親会を行った。この時、連続16回出展者、今回の初参加者、そしてヌード作品をいつも出品している、絵画部門参加の長老からの挨拶などが行われ、楽しい雰囲気に包まれた。懇親会の後は三々五々解散し、この日の当番の方が残り、午後からの開場に備えた。
懇親会であいさつする今回初参加のOさん(2019.6.23 撮影)
午後、私は上野公園にある東京文化会館に向かった。この日、この小ホールで開催される「REN・10周年記念・天満敦子・難民自立支援コンサート~望郷~」を聴くためであるが、元の職場の1年先輩に当たるKTさんから紹介されて、チケットを入手していた。KTさんは、このコンサートを主催している「難民自立支援ネットワーク〔REN〕」の理事を務めている。
東京文化会館に着くと、すでに1階のホールにはコンサートを聴きに来た人の列ができていて、これに並ぶことになった。開場になるとすぐに場内は満員になったが、中にチラホラ、私と同様、KTさんからチケットを入手したと思える元同僚の姿が見えた。
開演になるとすぐにヴァイオリン奏者の天満敦子(てんま あつこ)さんが現われ、演奏が始まった。前半のプログラムは次のようであり、途中からはピアニストの勝呂真也(すぐろ まや)さんとの共演になった。
1.アダージョ(J.S.バッハ)
2.鳥の歌(カタロニア民謡/カザルス編曲)
3.トロイメライ(R.シューマン)
4.タイスの瞑想曲(F.マスネ)
5.祈り(E.ブロッホ)
6.オンブラマイフ(G.ヘンデル)
7.白鳥(サン=サーンス)
8.望郷のバラード(C.ポルムベスク)
9.ホーム・スイート・ホーム(H.ビショップ/H.ファーマー編曲)
約1時間の演奏の後、休憩に入ったが、後半のプログラムが始まる前に、主催者の挨拶があり、続いて、難民のひとりの青年が自己紹介と共に詩の朗読を行った。
今回のこのコンサートの主催者である「特定非営利活動法人・難民自立支援ネットワーク(通称REN⦅レン⦆)」については、配布されたパンフレットから紹介すると、以下のようである。
「設立の経緯:ケニア北部のカクマ難民キャンプの難民が書いた詩集『ママ・カクマ』を出版したのを機に、2003年に結成し、2007年まで『カネブ支援グループ』の名称で、カクマの難民が出版する雑誌『KANEBU』の支援をしてきました。その後、支援先を拡大し、アフリカや日本の難民・帰還難民・第三国定住難民・難民認定申請者・庇護希望者・国内避難民とネットワークを作り、2007年5月、名称も『難民自立支援ネットワーク』(Refugee Empowerment Network 通称REN)と改め、新たな活動に入りました。2009年9月には、特定非営利活動法人に認定されました。」
「活動理念:難民にはそれぞれ顔があり、名前があり、それぞれが意思、感情を持っています。
支援にあたっても、難民自身の意思や意見、感情を尊重するよう留意しています。
衣食住が足りているからといって、それだけでは人間らしい生活とは言えない。
上記の考えのもと、難民の知的活動や情操面の活動を応援しながら、経済的・社会的自立を支援。難民の人間としての尊厳を守ること(エンパワーメント)を目標にしています。
難民と支援者が仲間として支え合いながら難民の自立に向けて活動し、世界平和に貢献します。」
「主な活動実績:
● ビーズ・プロジェクト・・・日本在住の難民と日本支援者が一緒にビーズ・アクセサリーを作って販売しています。
● 千代子スカラシップ(奨学金)・・・日本とケニアで、”優秀で学習意欲がありながら経済的理由で上級教育を断念せざるを得ない難民”に奨学金を支給しています。
● 難民のための日本語教育・・・日本をより深く知ること、母国のことや自分のことをうまく伝えられること、仕事をする上で必要な日本語を身に付けることを狙いとして、教室を開催しています。
● ヨガ教室の開催・・・ボランティアにより毎週実施しています。ストレスの多い難民たちがリラックスできると大好評です。
・・・」
また、登壇した難民の青年は、父親が現政権に反対意見を持っていたため捕えられ、拷問の末に死亡したこと、そして、自身にも身の危険が迫ってきたため、国外に脱出してきたことを語り、次の詩を朗読した。
「アフリカ、俺のアフリカよ
俺の先祖の土地、俺の揺りかご、俺が生まれた場所
愛に満ちあふれ、善につつまれた国
祖国よ、おまえがいない、俺の体がそう訴えているんだ
夢も希望も、もうとっくに吹っ飛んでしまった
いつになったら、もう一度あの土地を踏めるのか
俺を自由にしてくれ、間違いを正してくれ
祖国にかえりたい、それだけなんだ
なぜ戦争をする?
なぜ争いにノーと言わない?
なぜ? どうして?
隣人もナタと短刀を手に
互いに立ち向かう
無残にも牧草が赤く染まって
ああ! 世界には、もっといい場所が
人間が生きるのにふさわしい場所があるはずだ
死んだらどうなるんだろう
死んだら難民じゃなくなるんだよね
私の空は暗い
私の空は雲で隠れている
私の世界は暗い
私は光を見たことがない
でも、私は戦い続ける
光を見つけるまで
私は光を見る日が必ず来ると信じている(詩集『ママ・カクマ』よりより)」
詩集「ママ・カクマ」
続いて登壇した天満敦子さんからも、メッセージが述べられた。直接語られた言葉は書き留められなかったが、パンフレットにある同様の趣旨の文を紹介すると、
「もう20年以上になりますが、ある方に依頼されて始めたのがチャリティー・コンサートでした。海外の恵まれない子供たち、災害や紛争で苦しんだり差別を受けている人々、国内では主に自然災害を中心に、精神的に追いつめられている方々や盲導犬への支援等の活動も微力ながら幅広く続けてまいりました。・・・お話を伺うと、RENの皆様が支援されている難民の人たちは今、切迫し、より深刻な問題に直面しているようです。私のヴァイオリンが少しでもお役に立つのでしたらと願っております。」とある。
天満敦子さんについては、同じパンフレットに次のプロフィールが紹介されている。
「東京芸術大学大学院修了。海野義雄、故レオニード・コーガン、故ヘルマン・クレッバースらに師事。在学中に日本音楽コンクール第1位ロン=ティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞。以来、国際的に活躍中。1993年にルーマニアの夭折の作曲家ポルムベスクの「望郷のバラード」を日本に紹介。クラシック界では異例の10万枚を超える大ヒットとなり、以後、この作品は天満の代名詞ともいわれるようになった。・・・2016年8月には長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館“無言館”にて録音した『天満敦子in無言館』を発売。現在、東邦音楽大学大学院教授。」 とあり、長野県とも縁のある方であった。
当日のパンフレット
さて、後半のプログラムは次の通りであった。
10.アルマンド(J.S.バッハ)
11.アヴェ・マリア(J.S.バッハ/C.グノー編曲)
12.アヴェ・マリア(F.シューベルト)
13.カンタービレ(N.パガニーニ)
14.五木の子守歌(熊本県民謡)
15.中国地方の子守歌(岡山県民謡/和田薫編曲)
16.この道・城ヶ島の雨(山田耕筰/梁田貞・竹内邦光編曲)
17.落葉松(小林秀雄)
18.ジュピター(G.ホルスト)
いつも、ショップでBGMとして流しているおなじみの曲もあり、アンコールで演奏された「なだそうそう」と「チャールダーシュ(モンティ)」も含めて、天満さんの超技巧がいかんなく発揮された、素晴らしいコンサートであった。この日は午前・午後と「芸術な一日」になった。
午前中は、有楽町駅前の東京交通会館の2Fで、この日から29日まで、元の職場のOBによる作品展が行われるので、その展示作業を行うためであった。作品の内容としては、絵画が多いがその他に、写真、書道、陶芸、木彫、ステンドグラスなどが展示される。年1回の開催であり、どれも力作ぞろいである。
この展覧会は、今年で16回目を数えるもので、今年の出展者数は41名、初回から連続出展の方もいる。写真の部には14名、27作品が集まっていた。私は、2年前に誘われて写真を2点出展したものの、昨年は多忙を理由に不参加になっていた。今年はまた復活して、チョウの写真を2点出展した。
いずれも、このブログにすでに掲載したものであるが、前回と今回の出展作品は次の4点である。
2017年出展作品「雪の朝」
2017年出展作品「赤い実」
2019年出展作品「クジャクチョウ」
2019年出展作品「クモマツマキチョウ」
当日、予定の時刻に会場に行くと、すでに大勢の人が集まり、作業が始まっていたが、写真担当の世話役の方々の準備はとてもよく、写真展示用に割り当てられた壁面に合わせた長さの紐が準備されていて、各人が作品を掛ける位置の印があらかじめこの紐に付けられている。また、壁面の各人の展示位置には番号が示されていて、場所が判るようになっている。
この紐を、所定の高さに張り巡らせてあるので、出展する各人は自分の番号の場所に作品を掛ければいいようになっている。作品は額縁に納められているが、その額縁の上辺の高さは、額縁についている紐または、天井から下げられた金具の位置調整ネジにより、先に張り巡らせた紐と同じ高さに揃うように高さを合わせる。最後に天井からの照明具合を調整し、短時間に整然とした展示を完了することができた。
写真の部の展示コーナー(2019.6.23 撮影)
また、今回から額縁のガラス板は展示期間中、取り外しておくように世話役から要望があった。反射して見づらくなることを防ぐためであるが、細やかな指示である。最近、美術館などでは絵画などのカバーガラスに反射防止処理をしたガラスを用いることが多くなってきているが、市販の額縁ではまだそこまでは行かない。
ガラスを取り外すことで、作品が傷ついたり汚れたりするリスクは生じるが、その点は展示会場に詰める当番員が、来客に注意を促すことで回避しようということとなった。
液晶TVやモニターの最外面は、最近ではほとんどが反射防止処理やノングレア(拡散)処理をするようになっている。この場合、裏面は粘着剤で貼られているために反射防止処理やノングレア処理は片面でよいが、額縁の場合には、ガラスの表裏両面を処理しなければならないので、さらに割高になり、採用の妨げになっているのかと思う。
展示作業が終わると、参加者全員で昼食兼懇親会を行った。この時、連続16回出展者、今回の初参加者、そしてヌード作品をいつも出品している、絵画部門参加の長老からの挨拶などが行われ、楽しい雰囲気に包まれた。懇親会の後は三々五々解散し、この日の当番の方が残り、午後からの開場に備えた。
懇親会であいさつする今回初参加のOさん(2019.6.23 撮影)
午後、私は上野公園にある東京文化会館に向かった。この日、この小ホールで開催される「REN・10周年記念・天満敦子・難民自立支援コンサート~望郷~」を聴くためであるが、元の職場の1年先輩に当たるKTさんから紹介されて、チケットを入手していた。KTさんは、このコンサートを主催している「難民自立支援ネットワーク〔REN〕」の理事を務めている。
東京文化会館に着くと、すでに1階のホールにはコンサートを聴きに来た人の列ができていて、これに並ぶことになった。開場になるとすぐに場内は満員になったが、中にチラホラ、私と同様、KTさんからチケットを入手したと思える元同僚の姿が見えた。
開演になるとすぐにヴァイオリン奏者の天満敦子(てんま あつこ)さんが現われ、演奏が始まった。前半のプログラムは次のようであり、途中からはピアニストの勝呂真也(すぐろ まや)さんとの共演になった。
1.アダージョ(J.S.バッハ)
2.鳥の歌(カタロニア民謡/カザルス編曲)
3.トロイメライ(R.シューマン)
4.タイスの瞑想曲(F.マスネ)
5.祈り(E.ブロッホ)
6.オンブラマイフ(G.ヘンデル)
7.白鳥(サン=サーンス)
8.望郷のバラード(C.ポルムベスク)
9.ホーム・スイート・ホーム(H.ビショップ/H.ファーマー編曲)
約1時間の演奏の後、休憩に入ったが、後半のプログラムが始まる前に、主催者の挨拶があり、続いて、難民のひとりの青年が自己紹介と共に詩の朗読を行った。
今回のこのコンサートの主催者である「特定非営利活動法人・難民自立支援ネットワーク(通称REN⦅レン⦆)」については、配布されたパンフレットから紹介すると、以下のようである。
「設立の経緯:ケニア北部のカクマ難民キャンプの難民が書いた詩集『ママ・カクマ』を出版したのを機に、2003年に結成し、2007年まで『カネブ支援グループ』の名称で、カクマの難民が出版する雑誌『KANEBU』の支援をしてきました。その後、支援先を拡大し、アフリカや日本の難民・帰還難民・第三国定住難民・難民認定申請者・庇護希望者・国内避難民とネットワークを作り、2007年5月、名称も『難民自立支援ネットワーク』(Refugee Empowerment Network 通称REN)と改め、新たな活動に入りました。2009年9月には、特定非営利活動法人に認定されました。」
「活動理念:難民にはそれぞれ顔があり、名前があり、それぞれが意思、感情を持っています。
支援にあたっても、難民自身の意思や意見、感情を尊重するよう留意しています。
衣食住が足りているからといって、それだけでは人間らしい生活とは言えない。
上記の考えのもと、難民の知的活動や情操面の活動を応援しながら、経済的・社会的自立を支援。難民の人間としての尊厳を守ること(エンパワーメント)を目標にしています。
難民と支援者が仲間として支え合いながら難民の自立に向けて活動し、世界平和に貢献します。」
「主な活動実績:
● ビーズ・プロジェクト・・・日本在住の難民と日本支援者が一緒にビーズ・アクセサリーを作って販売しています。
● 千代子スカラシップ(奨学金)・・・日本とケニアで、”優秀で学習意欲がありながら経済的理由で上級教育を断念せざるを得ない難民”に奨学金を支給しています。
● 難民のための日本語教育・・・日本をより深く知ること、母国のことや自分のことをうまく伝えられること、仕事をする上で必要な日本語を身に付けることを狙いとして、教室を開催しています。
● ヨガ教室の開催・・・ボランティアにより毎週実施しています。ストレスの多い難民たちがリラックスできると大好評です。
・・・」
また、登壇した難民の青年は、父親が現政権に反対意見を持っていたため捕えられ、拷問の末に死亡したこと、そして、自身にも身の危険が迫ってきたため、国外に脱出してきたことを語り、次の詩を朗読した。
「アフリカ、俺のアフリカよ
俺の先祖の土地、俺の揺りかご、俺が生まれた場所
愛に満ちあふれ、善につつまれた国
祖国よ、おまえがいない、俺の体がそう訴えているんだ
夢も希望も、もうとっくに吹っ飛んでしまった
いつになったら、もう一度あの土地を踏めるのか
俺を自由にしてくれ、間違いを正してくれ
祖国にかえりたい、それだけなんだ
なぜ戦争をする?
なぜ争いにノーと言わない?
なぜ? どうして?
隣人もナタと短刀を手に
互いに立ち向かう
無残にも牧草が赤く染まって
ああ! 世界には、もっといい場所が
人間が生きるのにふさわしい場所があるはずだ
死んだらどうなるんだろう
死んだら難民じゃなくなるんだよね
私の空は暗い
私の空は雲で隠れている
私の世界は暗い
私は光を見たことがない
でも、私は戦い続ける
光を見つけるまで
私は光を見る日が必ず来ると信じている(詩集『ママ・カクマ』よりより)」
詩集「ママ・カクマ」
続いて登壇した天満敦子さんからも、メッセージが述べられた。直接語られた言葉は書き留められなかったが、パンフレットにある同様の趣旨の文を紹介すると、
「もう20年以上になりますが、ある方に依頼されて始めたのがチャリティー・コンサートでした。海外の恵まれない子供たち、災害や紛争で苦しんだり差別を受けている人々、国内では主に自然災害を中心に、精神的に追いつめられている方々や盲導犬への支援等の活動も微力ながら幅広く続けてまいりました。・・・お話を伺うと、RENの皆様が支援されている難民の人たちは今、切迫し、より深刻な問題に直面しているようです。私のヴァイオリンが少しでもお役に立つのでしたらと願っております。」とある。
天満敦子さんについては、同じパンフレットに次のプロフィールが紹介されている。
「東京芸術大学大学院修了。海野義雄、故レオニード・コーガン、故ヘルマン・クレッバースらに師事。在学中に日本音楽コンクール第1位ロン=ティボー国際コンクール特別銀賞等を受賞。以来、国際的に活躍中。1993年にルーマニアの夭折の作曲家ポルムベスクの「望郷のバラード」を日本に紹介。クラシック界では異例の10万枚を超える大ヒットとなり、以後、この作品は天満の代名詞ともいわれるようになった。・・・2016年8月には長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館“無言館”にて録音した『天満敦子in無言館』を発売。現在、東邦音楽大学大学院教授。」 とあり、長野県とも縁のある方であった。
当日のパンフレット
さて、後半のプログラムは次の通りであった。
10.アルマンド(J.S.バッハ)
11.アヴェ・マリア(J.S.バッハ/C.グノー編曲)
12.アヴェ・マリア(F.シューベルト)
13.カンタービレ(N.パガニーニ)
14.五木の子守歌(熊本県民謡)
15.中国地方の子守歌(岡山県民謡/和田薫編曲)
16.この道・城ヶ島の雨(山田耕筰/梁田貞・竹内邦光編曲)
17.落葉松(小林秀雄)
18.ジュピター(G.ホルスト)
いつも、ショップでBGMとして流しているおなじみの曲もあり、アンコールで演奏された「なだそうそう」と「チャールダーシュ(モンティ)」も含めて、天満さんの超技巧がいかんなく発揮された、素晴らしいコンサートであった。この日は午前・午後と「芸術な一日」になった。
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