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ガラスの話(5)ローマン・グラス

2018-01-19 09:53:03 | ガラス
 ガラス工芸のことについて、まだそれほどよく知らなかったころ、有楽町の駅近くにあるアンティークショップ街を歩いていて、古いガラス器に目が留まった。表面が虹色に輝いていて、昆虫の玉虫色のように見えるもので、これがローマン・グラスであった。とても高価なもので、その時は通り過ぎてきたが、その後、骨董市やミネラルショウなどに出かけると、意識してローマン・グラスを見るようになった。

 それからしばらくして、このローマン・グラスを思いがけず手に入れることができた。妻が私の誕生日にプレゼントしてくれたのであった。そんなに物欲しそうな目で見ていたのかと反省させられたが、実際に手にしてみるとなかなか嬉しく楽しいものである。

 思えば、私のガラス器への興味はここから始まったように思う。元々ガラスという素材への興味は強く、ガラスの研究ができればと思い就職先にガラス会社を選んだのであったが、ガラス器に対してはそれほどの関心は無かった。

 それが、ここにきてにわかに興味の対象範囲が広がってきたようであった。それからしばらくして、我が家にローマン・グラスの仲間がもう1個増えた。今度のものは大きさは同じくらいで、よく似ているが、首の横に持ち手がついているものであった。これも妻が買ってきたもので、最初にプレゼントにと買ったものとよく似たものが、とても安く売られていたので・・と言うのがその理由であった。

 ローマン・グラスとは文字通りローマ帝国時代のガラスと言うことであるが、厳密には帝政ローマが始まった紀元前30年から東西分裂の395年までの期間に、ローマ帝国の領内で作られたガラス器を指す。

 この時期、日本はどうであったかというと、弥生式土器時代から古墳時代に相当し、この頃の遺跡からはガラスの小玉は発掘されるものの、ガラス器はまだもう少し先のことで、わが国でガラス器が最初に見られるのは、5世紀頃の古墳からとされている。

 ローマン・グラスのこの時代に、紀元前4000年まで遡るといわれるガラス工芸技術の歴史に革命的な進展があったが、それは現在まで、延々と用いられ続けている「吹きガラス」の発明であった。

 それまでのガラス器製作技術の中心はコア・テクニックと呼ばれるもので、砂質粘土で作った内型の周りを溶解したガラスの帯で覆ってから均(なら)して一体化させ、固化した後、内部の粘土を掻き出して容器を作る方法であった。


コア・テクニックによるガラス器の製造方法

 これに対して、「吹きガラス」の技法は、たった一本の鉄製のパイプの先に溶けたガラスを巻き取り、丸く整えてから、もう一方の端から息を吹き込んでガラス玉を膨らませる方法である。


「吹きガラス」作業の様子(ウィキペディア「吹きガラス」、2016年8月23日より)

 この技法により、紀元1世紀には、ほとんどあらゆる種類の器物が作られるようになっていた。

 紀元2~3世紀のギリシャ人アテナエウスは「ダイプノソフィスト」に、次のように書き記している。

 「アレキサンドリアの人々は、いろいろの地域から輸入されたあらゆる形式の焼きものを模倣して、ガラスでいろいろな種類の杯類を作っているという。(「ガラスの道」由水常雄著 昭和48年徳間書店発行より引用)」

 また、紀元5世紀のテオドレトは、「先見論」の中で、次のように述べている。

 「このような固まりから、火と息を使って、あのさまざまな杯や、皿や、足つき杯や、鶴首瓶や、小さなアンフォーラ(*)や、道具や、肉や飲み物用に使えるそれぞれに適った器を作るすべを、一体どこから覚えるのであろうか。(「ガラスの道」より引用、*:2つの取っ手のある器)」

 新たに発明された、この「吹きガラス」技術が当時どれほど大きな影響を与えたかというと、それまでの、100年間の生産量が、僅か1年もかからないで作れてしまうと言われるほどである。

 また、この吹きガラス技術により、従来とは比べ物にならないほど大型のものができるようになり、様々な形を、非常に速く作りだすことができるようになった。

 古代ギリシャの地理学者であるストラボンが記した「地理志」巻16には、この状況について次のようなことを述べられている。

 「アチェとティロスの間には砂浜があって、そこでガラス製造用の原料砂が採れる。今日ではこの砂はシドンに運ばれて、そこで熔解され、型に入れられるという。

 熔解できるガラス用の砂は、多くの地方の中でもシドンだけにあるという人もいるが、他の人々の話では、どこのどんな砂でも熔解できるという。私がアレキサンドリアのガラス職人に聞いたところでは、一種のガラス性の砂があって、これがなくては多くの色のついた豪華な模様(ガラス)はできないという。

 他の諸国にもそれぞれ独特の混和剤がある。ローマではガラスの発色や能率的な作業について数々の発明が行われた。その結果、ガラスの瓶やコップが銅貨1個で買えるようになった。(「ガラスの道」より引用 )」

 それ以前は、ガラスと金とはほとんど同価値に考えられていたと言うから、銅貨一個で買えるようになったことで、貴族対象であったものが当時の一般民衆の間にも急速に広まっていったと考えられる。

 ローマン・グラスには、それ以前およびそれ以降のものとは異なる特徴があるとされる。それらは次のようなものである。

 1. 吹きガラス法で作られていること(押型ガラスも若干あった)。
 2. 素材がソーダ・ガラスであること。
 3. 素地の色が、主として天然原料の発色による青、緑、茶系統色およびコバルト青であること。
 4. ガラスの素材の性質を生かした、非常に素直な形態に作られていること。

 私たちが得た2個のローマン・グラスがいつごろ、どこで作られたかは、はっきりしないが、遺跡から発掘されたままと思われる土が乾いてこびりついており、ガラスの厚みはとても薄く、軽く作られていて、上記の内容にも合致している。また、ガラス器の表面はいわゆる「銀化」状態にあって、虹色の光沢がある。


ローマン・グラスの小瓶-1(2018.1.12 撮影)


ローマン・グラスの小瓶-1(2018.1.12 撮影)


ローマン・グラスの取ってつき小瓶-2(2018.1.12 撮影)

 この銀化現象は、2000年近く地中にあって、この間に基質であるソーダ(ナトリウム)ガラス表面からナトリウム成分が溶け出したために、基質とは異なる、屈折率の小さな層が形成されたために起きているものと考えられている。実験室などでこの再現ができそうに思うのだが、まだ成功したという話は報告されていないようである。単に温度・湿度と時間だけでない別の要因がからんでいるのであろうと思う。

 先に、昆虫などが持つ色のようだと書いたが、まさに同じ原理である構造色で、光の干渉により生じているものである。

 私もそうだが、日本人の多くはこのローマン・グラスの瓶などの銀化色を好ましいものと感じ、大切に扱うのであるが、ドイツ人などはこの表面の層を削り取って瓶本体の形や色を楽しむのだと、どこかで読んだ記憶がある。人の感じ方にはずいぶんと差があるものである。

 約400年間にわたり作り続けられたローマン・グラス、その量は膨大で、古代ローマ帝国領域内の出土点数や出土遺跡の数は他を圧倒して多くなっているが、その出土分布はユーラシアの全体に広がっている。さらには、当時の交易ルートを通じて中国を経て日本にも渡ってきていたことが、5世紀ころの古墳からガラス器が発掘され、確認されている。

 ローマン・グラスが作られていたこの時代に、現代に繋がる以下のような多くのガラス工芸技法が開発されていることもまた驚きである。

 1. カット加工
 2. エナメル彩画
 3. カメオ・カット
 4. 線描画
 5. ゴールド・サンドウィッチ(2層のガラスで、金箔に描いた文様を挟み込む)
 6. ディアトレッタ(厚手のガラス器の表面を削り、透かし彫文様をつけたもの)
 7. ミルフィオリ
 8. 吹き型装飾

 「吹きガラス」の技法は現在も多くのガラス器製作現場で採用されている方法であるが、20世紀初頭にはこの手吹き法で「窓ガラス」が生産されていた。その様子は次のようなものであった。

 「激しい熱気を発して燃えさかっているルツボ炉の近くに、窓ガラス(厚さ2~3mm)を吹く職人たちの足場が作られている。この職人たちは、彼らが宙吹きするもの――ガラスの円筒状のたま――にちなんで、円筒工(ハリャーヴァ)と呼ばれた。

 足場のそばに、深く狭い溝のような空所が設けられている。円筒工は、ルツボから数回にわたって、20キログラムもある溶融ガラスのかたまりを吹き竿の先に巻き取る。できるだけ多量の空気を吹き込んで、職人はガラスのたま――筒をしだいに大きく膨らます。息を吹き込みながら彼らは、たえずたまのついた吹き竿をまわし、また溝に沿って振り子のようにそれを振りまわす。

 職人は重くて熱いガラスのたまといっしょに溝の中に落ち込まないように、作業中はいつも鎖で柱にむすびつけられている。(「ガラスの科学」クリュチニコフ著 東京図書1967年発行より引用)」 

 これはソビエトでの様子を記したのもであるが、日本でも同様であって、当時の日本ではこの円筒工は元相撲取りが多く行っていた。

 
筒から窓ガラスを作る方法を示す図(「ガラスの科学」)

 現在「窓ガラス」と言う言葉は生産現場では使われなくなり、大面積の平坦なガラスは「板ガラス」と呼ばれるようになっている。この最新の「板ガラス」は、いくつかの技術を経てきてはいるが、ほとんどが英国ピルキントン社で開発されたフロート法で造られている。

 この方法は溶融金属スズの上に比重の差を利用して溶解ガラスの生地を広げ、スズ面の平滑さを写し取りながら連続的に生産するものである。

 かなり古い住宅などの窓のガラスは波打っていて、外の景色が歪んで反射しているのを見かけることもあるが、最近のガラスは驚くほど平坦で、高度の平滑性を求められる鏡用の板ガラスも、少し前までは板ガラスを製造した後、更に表面を研磨して平滑にしていたものが、最近では研磨無しで使えるようになっている。(このブログを読んでくれた友人のIさんから、沼津御用邸で撮影した次の写真を送っていただいたので、追加しておきます。)


古い窓ガラスを通してみる外の景色の様子(2017.12.19 沼津御用邸にてI氏撮影)

 このフロート技術は更に進化を遂げて、0.1mmという極薄の「シートガラス」まで量産できるようになってきていて、曲面形状のTVなどへの応用が検討されるところまで来ている。

 こんな風にたどって見ると、ただ古くて美しいガラス器だと思っていたローマン・グラスが古代と現代をつなぐ架け橋のように思えてくるのである。




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1 コメント

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!!! (シャアのママ)
2018-01-19 18:37:34
力作ですね!!。
ガラスに対する思い入れが伝わってきます。
この先も、ガラスに携わった人生!かな?。
私も及ばずながら、できる限りの協力を惜しみません。
よろしくお願いします。
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