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軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

中国地方のガラスと霧の旅(2/3)

2019-12-06 00:00:00 | 日記
 人形峠で降っていたこの日の雨はその後も止むことがなく、鳥取砂丘に着いた時も降り続いた。駐車場に車を停め、砂丘センター展望台まで歩いてみたが、雨の中、砂丘を歩く人は少なかった。


砂丘展望台への階段(2019.10.24 撮影)


雨で砂丘を歩く人影もまばら(2019.10.24 撮影)

 我々も仕方なく砂丘見学は断念し、近くの鳥取砂丘ビジターセンターに入った。ここには鳥取砂丘についての説明展示があり、また、砂の表面に現れる風紋など、種々の芸術的ともいえる不思議な形態が現れるメカニズムについての説明がされていた。別室では風洞を使ってこの風紋ができる様子を再現して見せてもらった。


日本の砂丘、日本には意外にも砂丘が多くみられる(2019.10.24 撮影)

 先日、NHKのTV放送「ブラタモリ」でも詳しい説明がされていたが、鳥取砂丘は明治以降周辺の開発・土地利用が進み、その面積は大幅に減少しているという。砂丘に生息していた生物もまた、面積の減少に伴い数と種類が減ってきていると思われるが、それでもここには環境省や鳥取県のレッドリストに記載され絶滅が心配されている植物や動物が数多く生育・生息していると書かれている。チョウの仲間では、環境省が準絶滅危惧種に指定しているキマダラルリツバメの名前が見られた。


明治時代からの砂丘面積の推移(2019.10.24 撮影)


現在の鳥取砂丘の案内図(2019.10.24 撮影)


鳥取砂丘の生物は、面積縮小に伴い減少している(2019.10.24 撮影)


準絶滅危惧種のチョウ、「キマダラルリツバメ」が生息している(2019.10.24 撮影)

 鳥取砂丘ビジターセンターを出て、ここから西へ約90km、この日の宿に選んだ皆生温泉に向かった。立地は美保湾の海岸に面した場所であるが、この皆生温泉周辺は米子駅にも近く、周囲にはビルが立ち並んでいる。ここでの夕食も宿の食事である。

 翌朝、部屋の窓からは刻々とそこにかかる雲の様子が変化する伯耆大山の姿が望めた。標高1709mの大山(弥山、1729mの剣ヶ峰を最高峰とすることもある)は、現在は活火山とはされていないが、過去幾多の噴火を繰り返し、鳥取砂丘にも火山灰を降らせた火山である。皆生温泉は大山の北西方向に位置していて、ここから見る大山の姿は、右半分の西側斜面はなだらかなものとなっているが、左半分の北東側斜面は今も年間7万立方メートルもの岩石の崩落が続いていて、ゴツゴツした荒々しい姿を見せている。

 伯耆富士とも呼ばれる大山の姿は見る方向により変化し、西側からは文字通りの左右対称の美しい姿を見せるが、北東側や南~南西側から見るとその山容は一変し、同じ山の姿とは思えないものとなっている。


皆生温泉側から見た大山(2019.10.25 撮影)


パンフレットに見る大山の南壁の写真

 今回、このさまざまな姿を見せる大山の写真を周囲をひとまわりして撮りたいと思っていたが、生憎の天候でそれは望めないと考え、予定を変更して大山寺に行くことにした。その前に、境港に行ってみようと思い宿を出た。

 境港駅の近くには「ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの「水木しげる記念館」があり近くには「水木しげるロード」もあるが、今回は割愛することにして、漁港に近い「夢みなと公園」の展望ビルに行った。ビルの展望台からは美保湾の向こう側に大山が見えるはずであったが、この時刻にはすでに上部がすっぽりと雲に隠れてしまっていた。


高さ43mの「夢みなとタワー」から見た大山(2019.10.25 撮影)

 境港からまっすぐ大山の中腹にある大山寺に移動した。大山ナショナルパークセンターの駐車場に車を停め、徒歩ですぐ近くにある大山自然歴史館に向かった。ここから今登ってきた道路の方を振り返ると、厚い雲の下に美保湾や皆生温泉、境港が望める一種異様な光景であった。


大山自然歴史館から見える皆生温泉(2019.10.25 撮影)


大山自然歴史館(2019.10.25 撮影)

 大山自然歴史館では、大山についての詳しい展示を見ることができた。それによると、「大山は年齢約100万年、60万年前から40万年前にかけて活動の最盛期を迎え、この時の活動の結果が、現在の船上山などの尾根として残っている」という。また、「最後の火山活動は2万年前で、この時に弥山周辺の三鈷峰や鳥ヶ山ができた。」とされる。

 大山は標高1,729mの山で、山体は東西約35km、南北約30km、総体積約120km3。日本列島におけるデイサイト質火山の中でも最大級の規模である。ちなみに、富士山の総体積は約1400km3である。
 前述のように成層火山であるが、現在活火山としては扱われていない鳥取県および中国地方の最高峰でもある。日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされている。

 複雑な山容を持ち、見る方角により形が大きく変化する大山であるが、その様子は館内の模型をみるとよくわかる。


館内にある大山の模型(2019.10.25 撮影)


大山の概要説明パネル(2019.10.25 撮影)

 この大山の標高800mから1,300mは西日本最大のブナ林に覆われ、その上部には亜高山針葉樹林帯がなく低木林や草原の高山帯になっていて、動植物の宝庫とされる。そうしたこともあって、ここには日本に生息している25種類のゼフィルス(チョウのミドリシジミの仲間)のうち22種類が生息しているという。


山麓のブナ林には多種のゼフィルスが生息しているという(2019.10.25 撮影)

 この大山自然歴史館にも、現上皇陛下御夫妻訪問時の写真が飾られていた。


現上皇陛下御夫妻訪問時の記録(2019.10.25 撮影)

 この大山自然歴史館の見学の後、今回の旅のもう一つの目的地、広島県の三次市に向かった。三次市内には、かつて勤務した工場があったが、現地に行ってみると、今その場所は更地になっていた。多くの仲間と共に働いた場所のこのような変化には戸惑いもあったが、技術の変化と競争の激しさをかみしめた。

 夕刻には、この工場で一緒に働き、定年後の今は市会議員として活躍をしているS さんと久々の三次の郷土料理を楽しみ、その後、思いがけず「辻村ジュサブロー」氏の人形芝居に案内していただいた。私は知らなかったのであるが、辻村ジュサブロ-氏は三次市とは縁が深い方であった。1933年(昭和8年)満州に生まれ、1945年(昭和20年)、12歳の時に母の故郷である三次市に移動している。氏の人形が一躍脚光を浴びることになったのは、NHK-TVで放送された「新八犬伝」での人形美術を担当した時であった。

 この日の夜、市内の会場で二人のお弟子さんによる人形芝居が上演された。その時使用された2体の人形は、辻村氏の近影と共に、翌日訪れた「辻村寿三郎記念館」で再び見ることができた。辻村氏本人は高齢(83歳)のため、今は施設に入っていると説明があった。尚、氏は2000年に名前を我々にも馴染みの深い「辻村ジュサブロー」から「辻村寿三郎」に変えている。

 歌と芝居が終了して、会場出口に向かった時、そこで辻村氏が制作した小さなウサギの人形が、この日の記念として1体だけ販売されていた。人形好きの妻の希望もあり、運よくこの人形を購入することができ、今回の旅のいいお土産になった。


辻村寿三郎氏作のウサギの人形 1/2(2019.12.4 撮影)


辻村寿三郎氏作のウサギの人形 2/2(2019.12.4 撮影)

 三次では旅行前からぜひ見てみたいと思っていたものがあった。三次の名物でもある川霧である。翌朝、ホテルの窓から外を眺めてみたが、景色には大きな変化がなく、霧が発生している様子は見られなかったので、霧の発生にはまだ時期が早いのかと思い諦めかけていたが、しばらくすると山の上の方にうっすらと雲がかかったようになってきたので、もしかしたらとの思いで、朝食を後回しにして、車で高谷山に向かった。

 高谷山は三次市内では2番目に高い山で、標高約500m、霧の海を見るスポットとして有名である。頂上には展望台があり、付近まで車で行くことができる。私たちが着いた時には展望台には数名の姿が見られ、近くにはテントを張っている家族の姿も見られた。


高谷山山頂の霧の海展望台(2019.10.26 撮影)


展望台からの眺め(2019.10.26 撮影)


高谷山からの霧の海と朝焼け(2019.10.26 撮影)


高谷山からの霧の海 1/2(2019.10.26 撮影)


高谷山からの霧の海 2/2(2019.10.26 撮影)

 展望台に上ってみると、思っていた以上の霧の海が三次盆地に広がっていた。以前、4年間も住んでいたことのある三次であったが、話に聞いていたこの場所に来たことはなく、今回初めて見る景色にしばし見とれた。




















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