時々出かけて、季節の野菜や果物を収穫させていただいている妻の友人の畑は、群馬県の高崎市郊外にある。上信越自動車道で行くと、吉井ICで下りることになるが、この吉井インターを出たところに「多胡碑」という案内があって、一度ここを訪れてみたいと思っていた。
先日、今年もまた、フキノトウが出ているから採りに来ませんか、とのお誘いがあったのを機に、「上野三碑」の一つであるこの「多胡碑」を見に行こうということになった。
「上野三碑」は「こうずけさんぴ」と読むが、2017年(平成29年)にユネスコ「世界の記憶」に登録されている。訪れることにした「多胡碑(たごひ)」は、今回登録された三基の石碑の一つで、このほかに「山上碑(やまのうえひ)」、「金井沢碑(かないざわひ)」がある。
この三碑はいずれも高崎市南部に近接して存在していて、そのため「上野三碑」と呼ばれている。高崎市教育委員会発行のパンフレットから引用すると、
「上野三碑とは、群馬県-古代上野国-高崎市南部地域に所在する、飛鳥・奈良時代に造立された三つの石碑の総称です。日本国内で現存する平安時代以前の古碑はわずかに十八例に過ぎず、高崎市内における三例の集中は、歴史的にきわめて特筆されます。
それぞれの碑文からは、千三百年前頃の地方行政制度の在り方、古代豪族の婚姻や士族のつながり、仏教思想の広がりなど実に多くのことが明らかになり、古代東国史の重要な史料と評価されています。このような重要性から、三碑はいずれも国の特別史跡に指定されています。・・・」とある。
上野三碑パンフレットの表紙
この三碑が存在している場所は次の地図に示されているとおりで、半径2km弱の円周上に存在している。
上野三碑周辺マップ(高崎市教育委員会 2018年10月26日発行のパンフレットから引用)
多胡碑は吉井インターから一番近く、また行ってみて判ったことであるが、碑のすぐ近くには、「多胡碑記念館」が建てられていて、ここには残る二基を含めた三石碑のレプリカはじめ、国内の他場所に存在している古い石碑に関する展示も行われていて、効率よく三碑に関する知識を得ることができた。
多胡碑周辺案内図(多胡記念館パンフレットから引用)
当日は、隣接地の駐車場に車を停めて、「吉井いしぶみの里公園」内にある多胡碑に向かった。多胡碑は、これを風雨から守るための小さなお堂のような建物「覆い屋」の中にあった。ガラス窓越しに見ることになるので、外光の反射で見づらくなるが、これを防ぐためのビュワーが左側に用意されていた。
多胡碑を守る「覆い屋」(2019.2.23 撮影)
多胡碑正面(2019.2.23 撮影)
多胡碑右側面(2019.2.23 撮影)
碑に刻まれている文字は肉眼でははっきりと読みとることは難しい状況であったが、建物前方脇にある説明板には、拓本を交えて詳しい説明が記されている。
多胡碑の前に設置されている解説板(2019.2.23 撮影)
多胡碑の拓本とその解説(2019.2.23 撮影)
その隣には、さらに詳しい現代語訳による説明が記されているが、内容は、「朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに群をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅に命令が伝えられた。佐中弁正五位下多治比真人(三宅麻呂)。太政官の二品穂積親王、左大臣正二位石上(麻呂)尊、右大臣正二位藤原(不比等)尊。(パンフレットから引用、次の写真の内容とは若干異なる)」となっている。
多胡碑の現代語訳を記した案内板(2019.2.23 撮影)
三郡から新たに多胡郡を作る様子を示す内容部分の拡大(2019.2.23 撮影)
多胡碑にはボランティアの説明員の姿が見られ、また上信電鉄の吉井駅を発着し、三碑を巡回する「めぐりバス」も、9:00~14:15まで日に8便運行されていて、力の入れ方が伝わってくるものであった。
吉井駅から発着している三碑巡回の「めぐりバス」
多胡碑の後方には、2階建ての立派な建物「多胡碑記念館」がある。1階ホールではビデオによる解説を見ることができるほか、石のへやなどがある。2階には上野三碑のレプリカのへや、古碑のへや、拓本のへやなどがあり、じっくりと見学することができる。
多胡碑記念館(2019.2.23 撮影)
多胡碑記念館の入り口に掲げられた「ごあいさつ」(2019.2.23 撮影)
館内での説明ビデオ(2019.2.23 撮影)
ここでは、上野三碑レプリカの展示とともに、日本の古代石碑の中から、最古の「宇治橋碑」、「那須国造碑」、「仏足石」、「仏足石跡歌碑」、「多賀城碑」などのレプリカ等の展示と、その解説も行われている。
現存する日本の古代碑とされるものは、全部で18基あるという。造立時期は646年~1064年にわたっている。
日本の古代碑18基の場所、造立時期などを示すパネル(2019.2.23 撮影)
多胡碑に記された銘文の内容ついては、すでに記したが、他の2基の石碑に刻まれている銘文は次のようなものである。多胡碑が当時の中央政府からの命令を記録したものであるのに対し、山上碑と金井沢碑に刻まれている銘文は、私的なもので、それぞれ、母親を供養するためのものと、一族の繁栄を祈念するものとなっている。
館内の多胡碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
館内の山上碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
館内の金井沢碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
最後に、三碑について纏めると次のようである。
上野三碑一覧表
先日、今年もまた、フキノトウが出ているから採りに来ませんか、とのお誘いがあったのを機に、「上野三碑」の一つであるこの「多胡碑」を見に行こうということになった。
「上野三碑」は「こうずけさんぴ」と読むが、2017年(平成29年)にユネスコ「世界の記憶」に登録されている。訪れることにした「多胡碑(たごひ)」は、今回登録された三基の石碑の一つで、このほかに「山上碑(やまのうえひ)」、「金井沢碑(かないざわひ)」がある。
この三碑はいずれも高崎市南部に近接して存在していて、そのため「上野三碑」と呼ばれている。高崎市教育委員会発行のパンフレットから引用すると、
「上野三碑とは、群馬県-古代上野国-高崎市南部地域に所在する、飛鳥・奈良時代に造立された三つの石碑の総称です。日本国内で現存する平安時代以前の古碑はわずかに十八例に過ぎず、高崎市内における三例の集中は、歴史的にきわめて特筆されます。
それぞれの碑文からは、千三百年前頃の地方行政制度の在り方、古代豪族の婚姻や士族のつながり、仏教思想の広がりなど実に多くのことが明らかになり、古代東国史の重要な史料と評価されています。このような重要性から、三碑はいずれも国の特別史跡に指定されています。・・・」とある。
上野三碑パンフレットの表紙
この三碑が存在している場所は次の地図に示されているとおりで、半径2km弱の円周上に存在している。
上野三碑周辺マップ(高崎市教育委員会 2018年10月26日発行のパンフレットから引用)
多胡碑は吉井インターから一番近く、また行ってみて判ったことであるが、碑のすぐ近くには、「多胡碑記念館」が建てられていて、ここには残る二基を含めた三石碑のレプリカはじめ、国内の他場所に存在している古い石碑に関する展示も行われていて、効率よく三碑に関する知識を得ることができた。
多胡碑周辺案内図(多胡記念館パンフレットから引用)
当日は、隣接地の駐車場に車を停めて、「吉井いしぶみの里公園」内にある多胡碑に向かった。多胡碑は、これを風雨から守るための小さなお堂のような建物「覆い屋」の中にあった。ガラス窓越しに見ることになるので、外光の反射で見づらくなるが、これを防ぐためのビュワーが左側に用意されていた。
多胡碑を守る「覆い屋」(2019.2.23 撮影)
多胡碑正面(2019.2.23 撮影)
多胡碑右側面(2019.2.23 撮影)
碑に刻まれている文字は肉眼でははっきりと読みとることは難しい状況であったが、建物前方脇にある説明板には、拓本を交えて詳しい説明が記されている。
多胡碑の前に設置されている解説板(2019.2.23 撮影)
多胡碑の拓本とその解説(2019.2.23 撮影)
その隣には、さらに詳しい現代語訳による説明が記されているが、内容は、「朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに群をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅に命令が伝えられた。佐中弁正五位下多治比真人(三宅麻呂)。太政官の二品穂積親王、左大臣正二位石上(麻呂)尊、右大臣正二位藤原(不比等)尊。(パンフレットから引用、次の写真の内容とは若干異なる)」となっている。
多胡碑の現代語訳を記した案内板(2019.2.23 撮影)
三郡から新たに多胡郡を作る様子を示す内容部分の拡大(2019.2.23 撮影)
多胡碑にはボランティアの説明員の姿が見られ、また上信電鉄の吉井駅を発着し、三碑を巡回する「めぐりバス」も、9:00~14:15まで日に8便運行されていて、力の入れ方が伝わってくるものであった。
吉井駅から発着している三碑巡回の「めぐりバス」
多胡碑の後方には、2階建ての立派な建物「多胡碑記念館」がある。1階ホールではビデオによる解説を見ることができるほか、石のへやなどがある。2階には上野三碑のレプリカのへや、古碑のへや、拓本のへやなどがあり、じっくりと見学することができる。
多胡碑記念館(2019.2.23 撮影)
多胡碑記念館の入り口に掲げられた「ごあいさつ」(2019.2.23 撮影)
館内での説明ビデオ(2019.2.23 撮影)
ここでは、上野三碑レプリカの展示とともに、日本の古代石碑の中から、最古の「宇治橋碑」、「那須国造碑」、「仏足石」、「仏足石跡歌碑」、「多賀城碑」などのレプリカ等の展示と、その解説も行われている。
現存する日本の古代碑とされるものは、全部で18基あるという。造立時期は646年~1064年にわたっている。
日本の古代碑18基の場所、造立時期などを示すパネル(2019.2.23 撮影)
多胡碑に記された銘文の内容ついては、すでに記したが、他の2基の石碑に刻まれている銘文は次のようなものである。多胡碑が当時の中央政府からの命令を記録したものであるのに対し、山上碑と金井沢碑に刻まれている銘文は、私的なもので、それぞれ、母親を供養するためのものと、一族の繁栄を祈念するものとなっている。
館内の多胡碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
館内の山上碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
館内の金井沢碑のレプリカと解説(2019.2.23 撮影)
最後に、三碑について纏めると次のようである。
上野三碑一覧表