私が日野原重明先生のことを知ったのは、今から10年くらい前のことだったでしょうか。「90歳を越えた医師からあなたへの贈りもの」という帯が巻かれた「生きかた上手」を買って読んだとき、その本の対象年齢がちょっと私より上だったのですが、色んなことを心に刻むことができました。その後乙武洋匡さんとの対談の本を読み、息子が小学3年生くらいだった頃「十歳のきみへ」という本が出て、息子にも読ませようと買ったのですが、私が読んで号泣してしまいました。
10歳の子にもわかるよう、優しい言葉で語りかけた本なのですが、子供の頃、腎臓を悪くして運動ができなかった時、お母さんがピアノを習わせてくれたそうです。「男の子なのにピアノを習っている」と級友に冷やかされたりしながらも、貧しい中、工面して習わせてもらっていることに気付き、がんばって続けられたそうです。
また、京都大学の医学部に入学するも、結核で1年間寝たきりになってしまわれたとのこと。あせる気持ちや不安な気持ちをなぐさめてくれたのは、蓄音器から流れるレコードだったそうです。そのことがきっかけで、お医者さんになってからは「音楽には病気を治す力がある」と信じ、医療に積極的に取りいれられたそうです。
辛い気持ちを音楽がなぐさめてくれた・・・。2人目育児に疲れた私もそれを実感することとなり、日野原先生の言葉を強く信じるようになりました。私が音楽活動を始めたきっかけの一つが、日野原先生の本との出会いでした。
生きることの大切さとともに、死ぬことを怖がる必要がないことも、先生の本は教えてくれました。また、人のために尽くすことの大切さも。人が死ぬことになった時、「自分のために使った時間」と「人のために使った時間」をてんびんのはかりにかけて、「人のために使った時間」の方が重くなれば天国に行ける。では逆だった場合・・・。そんなたとえ話を出して、人のために時間を使うことの大切さを語っておられます。
牧師の家に生まれ、貧しい大家族だったけれど、日曜日には少しのひき肉を買って来て、それをみんなで分けて食べる、それが何とも美味しかったそうです。子供が自分のことばかり考えて、分けることの喜びを知らないと感じた時、私はこの日野原先生の子供時代のエピソードを話すことがあります。今は物質的な豊かさはあるけれど、人と何かを分け合うことに幸せを感じる感性が、にぶっているように思えます。
100歳を迎えてもなお、新しいことに挑戦する意欲を失われることはないのでしょう。今週の土曜日にNHKスペシャルで、日野原先生のドキュメンタリー番組が放送されるそうです。今からとても楽しみです。
日野原重明先生、100歳のお誕生日おめでとうございます。これからもどうぞますますお元気で、私たちに生きることの素晴らしさを教えて下さい