20年前の今頃の季節でした。就職先も決まりホッとしていた頃。同じバンドでサークル内のオーディションに勝ち抜いたり、合宿で寝食を共にした同士のような存在の彼を、GONTITIのコンサートに誘ってみました。それがバンドとしてではなく、2人で音楽を共有した最初でした。
就職で横浜と大阪に離れ離れになったのは切なかったけれど、会えた時はお気に入りのCDをカセットテープに録音したものを交換したり、コンサートに行ったり。その頃はケータイはなかったし、パソコンも今のような便利なものではなかった。電話は寮の呼び出し電話でした。
数え切れないほど出た友人の結婚式はほとんどが快晴。私の誕生日に式を挙げたギターの友人の時は雪が降りました。そんな中、自分の式の当日はというと・・・雨。笑っちゃいました。大阪駅の構内にあるホテルにしておいて本当によかった。彼の親戚が遠くから電車で来てくれたので、雨の中を歩いてもらわずにすみました。
披露宴ではエレクトーン奏者の方にBGMをお願いしました。曲は指定できなくて、その方のレパートリーの中から。今の時代だとそれでは通らないかも。当時は「そんなもんなんだ~」と、ちょっと残念ながらすぐあきらめましたけど。
それでも何とかキャンドルサービスの時はお気に入りの曲をと思い、ボズ・スキャッグスの「We are all alone」を弾いてもらいました。
会社の同期の友人に今井美樹の「瞳がほほえむから」を歌ってもらったら、感動して涙が出ちゃって、歌ってる友人までもらい泣きさせてしまったということも。彼女も大学のサークルで歌っていた人だったので、歌はうまかったです。
2次会ではバンドで演奏したり、なぜか私は「世界中の誰よりきっと」をダンナさまとではなく、サークルの友人とデュエットするハメに。人前でマイクを通して歌ったのは(カラオケを除く)後にも先にもあの1回だったと思います。バンドの練習はあるし歌の練習もあるしで、何か大変でした。
それでも2人のためにたくさんの人が集まってお祝いしてくれて、うれしくてうれしくて、披露宴の間からずっと笑っていた、そんな記憶があります。
1人目の子供が生まれる前後に熱狂していた沼澤尚さんは、ダンナさまを通じて知りました。13CATSを私は全然知らなくて、でも聴いてみたらすごくカッコイイ音楽で。ダンナさま以上にファンになって、角松敏生のライブやシアター・ブルックのライブは単独参加。アガルタだけはどうしても一緒に行きたくて、ダンナさまの実家を頼らせてもらったり。
2人目の子供が生まれて1年くらいして、TRIXの「INDEX」を買って来たのも、その半年くらい後に窪田宏さんの「Kool Jamming」を買って来たのもダンナさまでした。カシオペアやスクェアのコピーバンドを一緒にやっていたので、夫婦でTRIXのファンになるのには全く時間がかかりませんでした。ただ私が窪田さんに溺れる?きっかけを作ったのも結局はダンナさま。
ARTが出た後に「やっぱり音楽をやりたい」と思って相談した時も、子育てや家事に支障が出ないんならいいんじゃない?と言ってくれた。お休みの日にライブをやるので下の子の面倒をお願いすれば引き受けてくれるし、先日はSLAP×SLAPのライブのあった横浜のライブハウス「Hey-Joe」で、ジャズ・フュージョン系の有名ミュージシャンがレコーディングに参加してくれるという
スゴイCD制作の情報を仕入れて来てくれました!
ライブを観に行くといえばお留守番&子守をしてくれて、私が今これほど音楽に接する機会を得られるのは、このダンナさまあってこそなんです。この出会いには本当に感謝しています。
面と向かって言えないけれど・・・いつもありがとう。おじいちゃん、おばあちゃんになってもよろしくです