関西人のつぶやき

ジャズピアノプレイヤーmatsucofの音楽と日常

♬初心者ジャズピアノ教室♬

場所はさいたま市見沼区の自宅。コードや簡単な耳コピの仕方など、それぞれの方のレベルに合わせて、丁寧に教えます。珍しいヤマハの木目グランドピアノで、好きな曲を弾いてみませんか?左の「メッセージを送る」からお問い合わせ下さい。

30年の時をつなぐ音楽

2011年01月05日 08時46分05秒 | 音楽
今年はバタバタと元旦から電車移動で、きのうの早朝まだ真っ暗な京都を出て、9時半頃にはさいたまの家に戻りました。息子はそこから部活、塾と、何ともハードな1日。私はたまった洗濯を片付けて、食料品の買い出しに。

年末は大掃除に明け暮れ、帰省の準備なども忙しかったので、三が日はおいしいものを食べながら一人暮らしの母の話を聞いては、大阪のお笑い番組をただただ見続けるという、関西人にとって由緒正しいお正月の過ごし方をしていました(笑)あ、でもピアノの練習は1日もかかしませんでしたよ!ほんの少しの時間でも鍵盤にさわる。とにかく寛平の「わしは止まると死ぬんじゃ~」みたいに、休むと指が止まってしまうので。群馬の実家には鍵盤がないので、そのためだけにハンドロールピアノを買ってしまいました(笑)(色んな音が出るのですっかり娘のおもちゃになってます)

姉夫婦や甥っ子にも会えて、それなりに充実した3日間だったのですが、その中でも一番充実した時間が3日の午後でした。実家の近所に私が子供の頃ピアノを教わっていた先生が、今も1人で暮らしていらっしゃるのですが、その先生から「お茶を飲みにいらっしゃい」とお電話いただきました。母が年末に私の「童謡カレンダー」を先生のところに持って行って、ボランティアなどの活動をしていることを話したところ、とても喜んで下さり、30年ぶりにお目にかかれることになりました。
幼稚園の年長くらいから小学3年くらいまで習っていましたが、とにかくバイエルなどの基礎練習が嫌いで、適当に和音を弾いたり、友達の発表会の曲をマネして弾いてるほうが好きな子でした。3年生の頃母に「やめたい」と言ったら、全く引き留める様子もなくすんなりやめさせてくれて、こっちの方が気抜けしました(笑)ただ、先生にはちょっと悪かったな、という気持ちがあって、あまり会いたくなかった。先生怖かったし・・・。

30年以上伺っていなかったお宅のピンポンを押して出て来られた先生は、やはり年相応の見た目にはなってらっしゃいましたが、それでも話し方や話の内容が、自分の母親とは全く違っていました。京都芸大のご出身で、元々はバイオリンが専門、今はピアノの指導はやめて合唱の指導をされているとか。47歳からは声学を習い直したんだそうです。

「お金にはならなくても、好きなことをやって生きていられるのが一番。私はいつ死んでもいいと思ってるのよ」
「人生は学校だと言った人がいるけれど、本当にその通りね、一生勉強なのよ」

そういった先生の一言一言に大きくうなずく私。30年の間に先生がより芸術家として学ばれたということもあると思いますが、子供の頃はただ怖いだけで、こんなにすごい先生だとは思っていませんでした。何より驚いたのが、ジャズピアニストの前田憲男さんと先生が、中学・高校時代の同級生だったということ!以前ラジオで「放送部に入って運動会のBGMを全部ジャズにしていた」と聞いたことがあったのですが、何とお昼の放送の時に、毎日生バンドでジャズを演奏されていたんだそうです。勉強も何でも一番で、あの人は天才だ、とも。私が高校生の時にまず知った日本のジャズピアニストが前田憲男さんで、テレビ東京の歌番組で演奏されているのをよく見ていました。もし先生の同級生が辛島文雄さんだったり佐藤允彦さんだったりしたら、そこまでは驚かなかったと思います。ダンディでひょうひょうとしてらっしゃって、でもピアノに向かうとワ~ッとアドリブが飛び出す。やっぱり一度はライブに行かないと!よし、今年は「前田憲男を観る年」にしよう!!(笑)

私が音楽を始めたきっかけの一つとして、日野原重明先生のお話をしたところ「日野原先生のお父さまが牧師をされていて、日野原先生自身も通っておられた神戸の教会で、毎年クリスマスに演奏しています」と・・・。
子供の頃Y先生に習っていたことが、こんな風に後でつながるなんて!!何ということでしょう!!(byビフォーアフター)

1時間ほど色んなお話をして「1曲弾いてみて」と言われたので30数年ぶりに先生にピアノを聞いていただき、その後先生の歌に伴奏をつけるという大役をいただき、知っている曲をちょこっとセッションして、たくさんお土産をいただいて帰りました。

先生自身の当時の私の印象が「練習をして来ないお子さん」(笑)そして私の先生への印象が「怖い先生」。長い時を経て、お互いほとんど忘れた存在だったにも関わらず、音楽というツールで実はず~っとつながっていたんですね。当時はピアノの楽しさがあまりわからなかったけれど、私に一生の宝を授けて下さったのは、まぎれもなくY先生でした。本当に感謝します。そしてこれからも実家に帰った時は、先生にお目にかかりたいと思います。