晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

昭和TV 「黄金のプロレスラー列伝」 を観て

2011年02月21日 10時00分36秒 | 昭和のプロレス
■パソコン “Yahoo!” のメニュー画面に GyaO! 昭和TV 「黄金のプロレスラー列伝」があり、
その内容を紹介します(GyaO<ギャオ> は山の神が“韓流ドラマ”を観ています)。


■昭和TV 「黄金のプロレスラー列伝」 を観て
昭和TV 懐かしくも、新しい (もちろん、白黒放映です)

●プロレスの黄金時代復活!! 戦後間もなく復興に歩みだしたころ、傷ついた国民に勇気と
希望を与えた唯一無二のスポーツ! プロレスがよみがえる。

○チャンピオン ルー・テーズ vs 挑戦者 アントニオ・ロッカ
NWA世界ヘビー級タイトル・マッチ 1963年5月10日 ニューヨーク州・バッファローウォー・メモリアル・
オーデトリアム
テーズのストロングスタイルとロッカの素足による華麗なる空中殺法との戦い。
1本目はテーズの“フライング・ボディーシザース”で押さえ込み。
2本目はロッカの変形ヘッドロックの“ロッカホールド”で押さえ込み。
3本目は画像はありませんが、テーズのバックドロップで防衛。
ルー・テーズは第44代のチャンピオン、バックドロップやフライング・ボディーシザースはその後
ジャンボ鶴田選手に受け継がれました。

○黒い魔人 ボボ・ブラジル vs 鉄の爪 フリッツ・フォン・エリック
1960年3月29日 ニューヨーク州・バッファローウォー・メモリアル・オーデトリアム
ブラジルはプロ野球(黒人リーグ)を経て、プロレスラーとなる。一方、エリックは「ナチス親衛隊
の生き残り」。
エリックの“ストマッククロー”攻撃にブラジルが攻められる。ブラジルの反撃“ヘッドバット”で
終始攻めるが、ブラジルの反則負け。
アイアンクローやココバットは出ませんでしたが、迫力ある試合でした。
その後、エリックはテキサス州ダラスで団体を設立。ブラジルはWWA世界王座を獲得し、馬場
選手からインター王座を獲得(3本目は必殺技のココバット)。

○正統派の新星 フレッド・ブラッシー vs ザ・日本人 ミスターモト
ベビーフェイス(善玉)時代のフレッド・ブラッシーとヒール(悪玉)の日系田吾作スタイルのミス
ター・モト。
試合はブラッシーがモトの反則攻撃に攻められますが、最後は得意技のネックブリーカー・
ドロップでフォール勝ち。
その後、ブラッシーは赤毛の髪を銀色に染め、噛みつき攻撃を得意技とするヒールに転向。
初代WWA世界王座獲得。ミスターモトは力道山や日本プロレスと深くかかわる。

○マットの魔術師 エドワード・カーペンティア vs 悪党 マイク・ギャラガー
カーペンティアの空中殺法が炸裂 フィンガーロックの返し技やサマーソルトキック(相手への
ダメージはまったくなし)。結果はカーペンティアの逆転負け(フォール負け)。

○人間発電所 ブルーノ・サンマルチノ vs 地獄の調理人 ハンス・シュミット
サンマルチノのパワー全開のファイトもシュミットの反則ギリギリのチョーク攻撃に翻弄され、時
間切れ引き分け。
その後、サンマルチノはバディ・ロジャースを48秒で破り、第2代WWWF世界王者となる。
馬場選手とはライバルであり親友。

●昭和の時代、プロレスアワーで放映されたような・・・・。
それにしても、その時代、プロレスはショーや八百長と言われましたが、それなりに楽しめ
ました。
プロレスは盛んで米国のどの州(ハワイも)にもチャンピンが存在し、カナダ、南米、東南
アジア、豪州、欧州も、もちろん日本にも複数の団体がありました。
その時に活躍した選手は多くは鬼籍に入っています。
正に古き良き時代でした。


1970年代 昭和TV「黄金のプロレスラー列伝」「米国レスリング雑誌」の紹介




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