晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

東京マラソン2012応援記<★追記>                 414

2012年02月26日 20時49分20秒 | マラソン
■本日(2012/02/26<日>)は、”東京マラソン2012”の応援に行きました。


■東京マラソン2012応援記
走る仲間の“Wさん”、念願の東京マラソンに当選、そしてフル・マラソンのラストラン
となるので応援に。
(事前に応援ポイントを連絡:10km、20km、41km地点、沿道側を走るように)

○Wさんから08:20携帯に連絡が入る 「スタートラインに整列」「「寒いので青い
ウィンドブレーカーを着ている」 とのこと。
(Wさんは、陸連登録しているので、エリート選手の次のエリアに整列、その後ろに
一般ランナーが完走タイム順に整列)

東京駅に08:39到着、歩いて、皇居の応援ポイントに移動。
天候は曇り、それほど寒くない。
09:00車イスの部スタート、09:10ランナーの部スタート(36,000人)。

●9km地点(約50m前 皇居)応援
09:20 車イスのトップグループが物凄いスピードで通過して行く。
上空のヘリコプターが近づいて来た。
トップグループ(7~8名)、アフリカ選手(エチオピアやケニア)、ハイレ・ゲブレシラシエ
選手や日本選手(テレビ放映で確認:藤原正和)があっという間に過ぎて行く。
生で見ると速い、本当に速い。
続いて、第2グループ アフリカからの実業団選手(ペースメーカー)と日本選手、その中に
市民ランナーの星(公務員ランナー)、“川内選手”がまだまだ元気。

Wさんの通過予定時間帯を予想し、ランナーに目を凝らす、大勢のランナーが通過して行く。
見つけました。まだまだ余裕あり、笑顔と手あげて挨拶して行きました。
後ろ姿が(ゼッケンNo 11849)も元気、元気。

仮装のランナー(ジョガー)や沿道の応援者、皆さんお祭り、東京マラソンを楽しんでいる。
次の応援ポイント(有楽町)へ電車で移動する。


●20km地点(銀座4丁目)応援
銀座4丁目、大勢の沿道応援者、メトロ地下鉄の通路が渋滞状態、移動も大変。
応援ポイントを探す、給水所が応援しやすいので待っていると、直ぐにWさんが通過、
止まって給水しているので、声を掛ける。マダマダ元気。
有明のゴール地点に電車で移動する。


●41km地点(有明 東京ビックサイド前)応援
仮装ランナーが通過して行く、目立つ服装。
ドラえもん、アンパンマン、ルフィー、バットマン、千葉県市原市の“チーム車座”の
悪代官やバニーガールもいました。

Wさんの予想通過時間帯が過ぎるも見つけられない、見過ごしたかな、と思っていると。
痙攣で立ち止まっているWさんを見つける、「ラスト頑張って!」と応援する。
体勢を立て直し、ゴールに向かう。

●東京ビックサイト(待合ロビー)
ゴール1時間後、選手出口でWさんを待つ。
出て来ました。やや疲れていますが、何時もの笑顔。
走る仲間のKさんは、奥様が出てくるのを待っていました。
ビックサイト前で完走の記念写真を撮る。
ついでに、応援の私も。


※楽しい応援でした。選手も沿道の応援者もお祭りを楽しんでいました。
来年、当選したら、目立つ服装で走ろう!
Wさんお疲れ様でした。

▲ナンバーカード  11849
05km タイム   25:22   ラップ 25:10   09:35:22通過
10km タイム   51:23   ラップ 26:10   10:01:23通過
15km タイム 1:18:13   ラップ 26:50   10:28:13通過
20km タイム 1:45:50   ラップ 27:37   10:55:50通過
25km タイム 2:17:31   ラップ 31:41   11:27:31通過
30km タイム 2:50:56   ラップ 33:25   12:00:56通過
35km タイム 3:26:08   ラップ 35:12   12:36:08通過
40km タイム 4:03:34   ラップ 37:26   13:13:34通過
フニッシュ   タイム 4:19:55   ラップ 16:21   13:29:55通過


★2012.03.02追記
オールスポーツ写真
パスワード  5682
Wさん楽しそうに走っています。~ v(^^)v 

※私が参加した 2009東京マラソン

2009年の東京マラソン








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東京マラソン(2012年)応援に行こう                    413

2012年02月23日 23時05分04秒 | マラソン
■日曜日(2012.02.26)に開催される東京マラソン(2012年)へ応援に行こうと
思います。


■東京マラソン(2012年)応援に行こう
今朝(2012/02/23<木>)、職場のパートさんが「○○さん東京マラソンに出ないの?」
と聞かれ「10倍の申込み倍率で落選しました」と答えると。「息子が出るので応援に
行く」とのこと。

そう言えば、走る仲間の“Wさん”(6年目にして当選)が出場。そして、“徒然絵日記の
桜けんじさん“は今年も東京マラソンの審判員でコースに立ちます。

私が出場した時の応援者に、応援箇所と移動ルート(徒歩、最寄りの地下鉄駅)を教えて
もらい、その気になりました。

Wさんに応援の件をメールすると「ありがとうございます、携帯電話を持って走る」と。
桜けんじさんに審判箇所確認のメールすると「銀座~日本橋(COREDO日本橋)、でも
審判中なので・・・、でも祭りだよ」。とのこと。

何れにしても、東京マラソンの雰囲気を共有したいな。応援が楽しみだ。
それと、市民ランナーの川内選手を生で応援したい。


※私が出場した東京マラソン(2009年)、大会の雰囲気が感じられますよ。

2009年東京マラソン


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鉄博(てっぱく)                                 412

2012年02月21日 11時00分28秒 | ぶらり散歩・旅
■埼玉県の鉄道博物館に行ってきました。


■鉄博(てっぱく)
以前より、通勤電車内の広告で“鉄道博物館”が気になっていたので、“ぶらり途中
下車の旅“ 鉄道ファンではありませんが、鉄道博物館に行くことにしました。

○鉄道博物館
・埼玉県さいたま市大宮区
・JR大宮駅から埼玉新都市交通ニューシャトルで3分
・鉄道博物館駅

○鉄道博物館駅で下車、駅から鉄道博物館までプロムナードは、アーケードや床には
新幹線の時刻表が、直ぐに鉄道博物館の入口に到着。
入館はSuicaや現金でパスを買いますが、Suicaはタッチのみ入館できます。

入館すると床には、機関車のナンバーが展示されています。
シニア(国鉄・JRのOB)の方に見学順路を教わる。

○ヒストリーゾーン
1階
絵画展のように音声ガイドを借りる(500円)。
ここはメインの展示ゾーンで、実車両がズラリと並ぶ
明治初期から現在までの実車両が展示されています。
機関車、特急電車、新幹線など・・・。
特急の車内には、男性二人(30代)の「鉄道ファン」→「鉄道マニア」→「鉄道オタク」
が熱心に車内を見ていました。
国鉄コンテナが、戸口から戸口へ 懐かしいですね、君津駅(千葉県)にも国鉄時代
貨車輸送基地があり、当社もその仕事(通運係)をしていました。
客室は重厚な車内。
「国鉄時代の車両の型式記号と番号」の案内が、コードの桁数には意味や区分が
表示されています。

2階
ヒストリーゾーンを2階から眺める。展示案内図があります。
展示ゾーンには鉄道ファンの垂涎の的、お宝グッズが展示されています。
1987年に日本国有鉄道は国鉄分割民営化となりました。
東京駅丸の内駅舎、現在の東京駅は「保存・復原工事」「耐震・安全工事」の工事
を行っています。2012年6月10日(予定)
模型鉄道ジオラマがありました。


○コレクションゾーン
「運転士体験教室」 シュミレーターで電車を模擬運転しながら鉄道の運転と安全
の仕組みを学ぶ教室。

ミュージアムショップ(お土産コーナー)
それほど珍しい物はありませんでしたが・・・。

「旅のレストラン日本食堂」
かって食堂車のメニューを中心に、豊富なメニュー。
ソフトを食べました。

※鉄道ファンやお子様連れには楽しい場所ですね。




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残雪の高宕大滝・高宕山トレイルラン                 411

2012年02月20日 10時44分55秒 | トレラン
■本日(2012/02/19<日>)は、雪が残る高宕大滝・高宕山トレイルランに出掛けました。


■残雪の高宕大滝・高宕山トレイルラン
11:10石射太郎登山口に到着、駐車場は満車状態(12台)。
皆さん残雪を目当てに入山しているのでしょう。

準備を行い11:15スタート。六地蔵さんの周りには雪が笠地蔵のように。
石射太郎山頂に続くトレイルには雪が残っています。
石射太郎山は残念ながら雪が残っていません、ハイカーに撮影して貰う。
高宕観音で給水、久しぶりに観音様にお参りする。
高宕山山頂(右側の岩)に続く、裏ルートにはまだ雪が残っている。
山頂には、右側に少し雪が残っている程度。横浜方面はガスっています。

今回も一旦、高宕大滝に向かう、ガマガエ岩の背に雪が。
下り基調のため直ぐに高宕大滝に到着。今回は高宕大滝を側面から撮影。
林道高宕線を走っていると、氷柱(つらら)が葉や根っ子とともに成長しているようです。

監視所コースから何時もの高宕山トレイルに入る。
直ぐに「やすべえの歩いたり走ったり」の“やすべえさん”に会いました。
“富士五湖ウルトラレース”出場のため練習しているとのこと。

八良塚山頂付近には雪が残っていて、小動物の足跡が(グローブの右側)。
”房総の山親爺さん”がニンマリとしそうです。
湿地帯のシダの谷にはやはり、雪が残っているがトレイルはグチャグチャ。
丸木階段を滑らないにように慎重に登って行く。

マウンテン・バイクのグループに会う。高宕山には色々はスポーツをする人達が入山
しますね。
岩壁には氷柱が、高宕山北斜面にはかなり雪が残っています。
石射太郎登山口に14:50ゴール。(所要時間3時間35分)

今回も、1.5周回しました。山の中は少し寒かったですが、雪をザックザックと踏みしめ
残雪の高宕山トレイルを満喫しました。

▼走る仲間の“Wさん”来週は東京マラソン、最終調整しているのでしょうね。

※マラソンシーズンの次は、トレイルランが楽しい季節ですよ。





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「アベベ・ビキラ」 を読んで② (動画追加)      410

2012年02月17日 22時21分08秒 | マラソン
■先週、図書館(君津市立中央図書館)の新刊返却コーナーで見つけた
“アベベ・ビキラ”の書籍を紹介します。続き

★2019.01.17:動画追加

■「アベベ・ビキラ」 を読んで
・書籍名: アベベ・ビキラ 「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯
・著者 :  ティム・ジューダ (ジャーナリスト・作家・英国BBC)
・訳者 :  秋山 勝
・発行所: 草思社
・発行 :  2011年8月31日
・定価 :  本体1,800円+税
・ページ: 237ページ

●王者たちの帰還
オリンピック代表団を乗せた飛行機はエチオピア到着、その日空港には出迎えのため
に数千もの人たちが早朝から押しかけていた。
宮殿の緑の間でアベベは皇帝に謁見した。ハイレ・セラシエがエチオピアの星勲章をアベベ
の胸に飾る。


●栄光の日々
1961年6月15日、アベベ、ワミ、ニスカネン一行は、毎日マラソン出場のため大阪に
向かった。そこで、鬼塚喜八郎(後のアシックス創業者)。
鬼塚「すばらしい足をしている。猫のように軽やか
な足です。しかし、シューズを履けば記録はもっと伸ばせるでしょう。」
一枚に写真が残っている「手製のオニツカタイガーをアベベ足に合わせている」
優勝したアベベのタイムは2時間29分27秒。

アベベが盲腸となった東京オリンピンクに出発12日前、レース当日の35日前に当たって
いた。


●東京の奇跡
1964年9月29日エチオピアの代表団を乗せた飛行機が東京に到着した。
マモ・ウォルデ選手は1万メートルでは試合中に押され転倒、片方のふくらはぎに裂傷を
負っていた。完走はしたが、その後、歩くのがやっとで、マラソンは棄権かもしれない。
(4位に入賞、後年になってクラーク選手(3位)にスパイクされなければ優勝か、悪くても
2位になっていたと語っていた)

優勝候補は、1964年イギリスのベイジル・ヒートリーが世界記録2時間13分56秒、19
63年ボストンマラソンでアベベを破っているイギリスのブライアン・キルビー。

1964年10月21日スタートの号砲直後、アベベは最後尾を走っている。
10キロ地点ではクラークとホーガン、そしてアベベが並ぶ、15キロ地点で独走。
2メートル先の路上の一点に視線を凝らし、アベベは“見事なほど”呼吸を乱していない。
スタジアムに入ると歓声が沸き起こる。心もち両腕をあげてアベベはゴールに飛び込んで
いた。2度目の金メダルは2時間12分11秒の世界新記録、オリンピック史上はじめての
マラソンの二連覇だった。

今度は円谷がヒートリーを引き連れてスタジアムに入ってきていた。ゴールを目の前にした
そのとき、ヒートリーはスパートをかけ、円谷を抜いて銀メダルをもぎ取る。


●メキシコの失速
名声にすっかり毒されていた。ニスカネンもアベベとマモの二人に酒を控えるように注意
を与えていた。
アベベにも心配がなかったわけでない。実際、不安にかられてしかたがない問題があった。
マモ・ウォルデのことが頭に浮かぶと、アベベはとたんに落ち着きを失っていた。
自分のすぐうしろにマモが迫り、手にした王冠はいつ剥奪されてもおかしくはない。
アベベ自身、このころ1年に及ぶ脚や膝の故障を抱えていた。
東京オリンピックが終わると、アベベはニスカネンの言うことなど聞かなくなっていたはず
だ。それほどアベベは自身満々だった。ニスカネンもマモの指導をしているほうが楽しそう
で、マモなら素直に聞いてくれる。

1968年10月、マモの調子は上々だった。1万メートル決勝で銀メダルを取った。
(ケニヤのナフタリ・テムが優勝)
10月20日マラソンスタート、ニスカネンは15キロ地点でアベベのスピードが落ち始め、
脚が痛むのだとわかったので棄権するように忠告した。だが、アベベはレースから下りた
のはさらに何キロが走ってからのことだ。
マモ(36歳)は25キロ地点でケニヤのテムと先頭集団にいて、そして先頭に踊り出ると
ほかの選手を徐々に引き離し、金メダルを確実なものにしていった。


●それぞれの墓碑銘
1969年3月23日アベベを乗せたフォルクスワーゲンは転倒してアベベはそのまま車に
閉じ込められていた。事故から数日して、負傷は第7頸椎の脱臼と公表した。
アベベはもう二度と歩くことはできなかった。
イギリスに転院されたが、打てる手は打ち尽くされ、これ以上の治療は望みようなかった。
帰国した空港で暖かい歓迎が待っていた。

1970年7月、アベベ車いす競技大会に参加アーチェリーと卓球に出場した。
1972年8月24日ミュンヘンオリンピックに来賓として招かれた。
マラソンに出場したマモ(40歳)は銅メダル(自己ベスト)を獲得した。
オリンピックから1年後の1973年10月25日にアベベは亡くなった。

輝かしい栄光に満ちた前半生と、悲劇的な躓きの果てに車椅子に身を預けるほかない
後半生。あまりに劇的なその生涯。

マモも悲劇の運命が待ち構えている。

長距離王国エチオピアの誕生

写真
01:東京オリンピック フルスタート前(67名のランナー)

02:黙々と走るアベベ

03:プーマーのシューズを履いている

04:肩越しスタジアムの聖火が見える

05:栄光のゴール

06:円谷2位、イギリスのヒートリー4位

07:逃げる円谷、ヒートリー3位に追い上げる

08:競技場に入るヒートリーが直ぐ後に続く

09:トラックで追いつき、追い抜かれる

10:円谷3位でゴール

11:マラソン表彰式

12:アベベ、マモと練習・レース出場

13:メキシコオリンピック マモ 1万メートル 銀メダル

14:マラソン マモ 金メダル

15:マラソン表彰式

16,17:車椅子のアベベ

18:ミュンヘンオリンピック・マラソンスタート前
   左側フランク・ショーター

19:スタート前、車椅子のアベベ

20:マモ・3位ゴール
   左側1位のフランク・ショーター

 

 




★動画追加


★東京 オリンピック 1964 マラソン

 

 

 

 

 

 


 

 



 

 





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