世界の街角

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ดอกงิ้ว(ドーク・ギウ)の咲く処・雲南タイ族の世界(1)

2021-06-03 08:12:00 | 古代の東南アジア

【タイ族の故地は雲南】

過去に一度『雲南タイ族の世界・古島琴子著』について、”ดอกงิ้ว(ドーク・ギウ)の咲く処”と題して紹介した。今回から数回に渡り、その続編を紹介する。ここで雲南タイ族とあるが、そのタイ族とは文脈からタイヤイ( ไทใหญ่:シャン)族のことのようだ。現タイ王国を構成するシャム(ไทยสยาม)族とは兄弟の関係であろう。

壱話完結の形で今回は、『タイ族の故地は雲南』と題してお届けする。以下、朱字は古島琴子女史の著作からの引用、黒字は当該ブロガーが綴ったものである。

『雲南タイ族の世界』なる著書で、著者の古島琴子女史の語るところによれば、“雲南の先住民は越人と濮(ぼく)人であった。越人は長江流域以南の広大な地域に住んだ古代の農耕民族で、タイ族、チワン族などタイ語系民族の祖先にあたる古代の民族である。駱越(らくえつ)、干越(うえつ)など地域による多様な名称があり総称して百越というが、雲南の越人は滇越(てんえつ)といわれた(注釈:雲南の古代を滇という。志賀島から出土したのは『親魏倭王』の金印、滇池湖畔石寨山遺跡から出土したのが『滇王之印』金印である)。

雲南のタイ族は滇越を祖先とする民族であり、雲南の先住民である。越人とともに早くから雲南に住んでいた濮人は百濮とも云われ、ワ(佤)族、プーラン族、ドアン族などモン・クメール系民族の祖先にあたる古代の民族である。“

雲南省徳宏州瑞麗の寺に保存されていた『銀雲瑞霧勐果占壁簡史』(略称・簡史)(尚、勐果占壁はモーコーサンビーと呼ぶ)。その『簡史』は、古代から元代までの瑞麗江流域を中心としたタイ族の歴史物語で元末の著作と推定されている。従って古代に関する史記にどれだけの信憑性があるのか、多少なりとも疑問に感ずるが、そこには今から3000年前の話が記されている。“瑞麗一帯のタイ族の国で、妊娠中の王妃が巨大な怪鳥にさらわれ、はるか離れた密林の大木の上におろされた。王妃は樹上で男の子を生んだ後、山中の修行僧に助け出され、密林の中で暮らしていた。男の子が凛々しい若者に成長すると、天神から神琴を授けられた。若者がその琴を弾くと、密林の動物がみな付き従う。やがて若者は白象に乗り象群を従えて山野を越え、国に帰って王位を継いだ。この物語の王国は、モンマウ(勐卬)古国(インド風呼び名をコーサンビー(果占壁)王国とする)であるといわれ、瑞麗の丘陵地帯にはウーティン王の父の城といわれる雷允(れいいん)山城址がある。”・・・と記されている。ここで漢語文献を翻訳する際に『修行僧』とあるが、3000年前に仏教は伝来しておらず、その種の荒行を行っていた人であろうか。若者は白象に乗り、国に帰って王位を継いだという。現・ラタナコーシン朝も白象は王室が管理し、王が騎乗するものとされている。タイ族の長い歴史と伝統の賜物であろう。瑞麗江一帯はタイヤイ族の故地であろう。ミャンマー・シャン州北部に瑞麗は位置している。

現タイ王国のタイ人は、上掲の故事を知っているのかいないのか?ミャンマー・シャン州のタイヤイ族は旧知の故事であろうと考えられる。

<了>