世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

1994年元旦・旧ウエスティンより西方のパノラマ

2021-06-23 07:41:11 | チェンマイ

最近物欲が衰え、断捨離で写真アルバムを大量廃棄。その中で1993年の年末からチェンマイへ家族で観光したときの写真が眼にはいった。それは旧ウエスティン(現ホリデーイン)の最上階から写した西方(ドイ・ステープ山麓)のパノラマ写真である。

時は約30年前となる。改めてみると高層の建物はほとんどなく、隔世の感である。

懐かしさのあまり記事にしてみた。個人的には翌年の1995年にランプーンの現地法人に出向することになったが、当時は知る由もなし。

<了>


安来市立歴史資料館(4)

2021-06-22 08:04:16 | 博物館・島根県

<続き>

今回は古墳時代の武具を紹介する。

キャップションにあるように月坂放レ山5号墳出土の短甲である。キャップションにも記されているが、武人としてこの地域のリーダーであったろうとのこと。

この手の短甲は全国の古墳から出土する。古墳時代と云えば平和な世の中であったと想定しがちだが、各地から出土すると云うことは、村落・地域を守るのは武人であり、それなりの小競り合いは二一条茶飯事であったとも想定される。

<続き>

 


再掲・中島誠之助氏の誤鑑定

2021-06-20 07:42:41 | 東南アジア陶磁

少し古い話しで恐縮である。本年2月26日に『中島誠之助氏久々の誤鑑定』と題して記事をupdateしていた。それについてはココを参照願いたい。

もとより当該ブロガーは、この手のラオス帰りの謎の大壺については、現認した数も少なく、中島氏の鑑定を云々する知識も場数も踏んでいないが、見た目は本歌いわゆる本物と思い記事にしたのである。

その大壺とは、下の写真と同じではないが、よく似た壺である。

過日、調べもののためSNS上の情報を検索していたら、『な~んでもタイランド2』氏のブログがヒットした。氏は長らくブログ掲載を休止されていたが、この6月から再開されたようである。その6月17日の記事を勝手ながらリンクしておく。その記事【青磁褐釉印花唐草文壺(1)】(ココ)に、件のラオス帰りの大壺は本物と断定すると掲載されている。『な~んでもタイランド2』氏のみならずBKKの骨董商にも意見をもとめたところ本物判定であった由。

当該ブロガーは、この種の大壺については素人であるが、『な~んでもタイランド2』氏は造詣が深く、2月26日記事をupdateした時に、氏はどのような判断をされるか気になっていたが、本物判定とのことで安堵した次第である。

それにしても、中島誠之助氏は罪作りなものである。

<了>

 


カムデーン王伝説とグーチャン&グーマー遺跡

2021-06-18 09:19:49 | 北タイの風土・慣習

やや古い話しで恐縮且つ根拠に乏しく恐縮である。グーチャン&グーマー遺跡については、過去に記事(ココ参照にしている。現地の伝承によれば、『グーチャーンは象の墓塔、グーマーは馬の墓塔である。グーチャーンにはチャーマティーウィ女王の象の遺灰が納められ、グーマーには女王の双子の王子の、馬の遺灰が納められている。』・・・と云う。

話は飛ぶ。北タイの日本語情報誌『CHAO』は、COVID-19の影響で休刊を余儀なくされているが、昨年の3月10日付けの406号に、チェンマイ大学人文学部助教授・西田昌之氏の写真の記事が掲載されていた。カムデーン王伝説に関する記事である。

記事の要約である。『スワナカムデーン(チェンマイの守護霊・カムデーン王)は、北タイの精霊たちを統べチェンマイの都を霊的に支える精霊王である。カムデーン王はインラオと云う美しい娘を妃とすると、妃と一緒にチェンダオ洞窟で生活を始めることとなった。そのカムデーン王である守護霊を招霊する時、霊は騎獣に乗って飛んでくるとされる。そのため守護精霊を祀る古い祠には、サオマー(馬柱)、サオチャーン(象柱)と呼ばれる守護精霊の乗る馬や象をつなぎとめる柱が立っている。ランプーン県メーター郡の祠の前には、サオマーがたっていると云うが、当該ブロガーは未見である。

一方、パヤオ王国ではガムムアン王の息子がカムデーン王と云われている。この伝承も記載されているが、ここでは省略する。

このチェンマイの精霊王であるカムデーン王とパヤオのカムデーン王伝承は、双方共に金の鹿が登場し、それを追ってチェンダオ洞窟に至ると云う筋書きであるが、チェンマイの場合は、メンライ王が現世の王国を統べるのに対し、カムデーン王は精霊界を統べる存在である。一方、パヤオのカムデーン王は現世と精霊界の双方を統べる存在として描かれている。・・・小生には何が何だか良く分からない。』・・・と云うようなことが記されている。

冒頭記載したように、ランプーンのグーチャン&グーマー遺跡は、ハリプンチャイ王国のチャーマティーウィ女王に関する遺跡のようだが、西田昌之氏の上述内容をみていると、何やらサオチャーンとサオマーは、グーチャン&グーマーの仏塔との関係が思い浮かぶ。さらに考えられるのは、カムデーン王の出自は何だ。ルワ(ラワ)族との想いも頭を巡る。

ランプーンのグーチャン&グーマー遺跡は、表向きのチャーマティーウィ女王に関するモノのみではなく、裏に精霊に関する何かありそうだと思えてくる・・・想像だけで根拠は何もないが。現地に行ける機会ができれば、調べてみたい事柄である。

<了>