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奈良県立橿原考古学研究所付属博物館収蔵品を中心に展観している『しきしまの大和展』は、東京・横浜・福岡・出雲の巡回展のようだが、何故か出雲だけは他の3箇所以外の特別追加展示があるという。その理由の詮索は置いておき、今回はその特別追加展示の「藤ノ木古墳」出土遺物等を紹介するが、残念ながら馬具・装飾品の一部が展示されているにすぎない。尚、藤ノ木古墳は6世紀後半に築墳されたとするのが定説である。
杏葉の中央には向かい合う鳳凰が刻まれているが、お分かりであろうか。
中央には右向きに龍が刻まれ、眼にはガラス玉がはめ込まれている。
馬具としては2種5点の展示で、きらびやかな鞍の展示はなく残念であったが、金色に輝く馬具類の一端を見ることができた。この馬具類の装飾を見ていると仏教的要素が目に付く。仏教の公伝は6世紀半ばの欽明天皇の時に百済伝来した。藤ノ木古墳の築墳は6世紀後半である。時、既に仏教文様は普及していたと考えられる。今回展示にはなかった鞍金具には象や獅子、パルメット文様をみる。パルメットは上掲の杏葉の上端に対で刻まれている。
象や獅子は、百済や新羅、日本の他の出土遺物では見られないもので、中国の仏教遺跡に多いという。つまり、馬具類は朝鮮半島南部の影響を受けたであろうが、文様は中国の影響も受けており、日本でモディファイしたものであろう。
以上が国宝の展示で以下、復元品である。
背に背負っていた装身具とのこと。気が遠くなるような仕業である。権力者の力を示すに十分であろう。
よくも6世紀に、このような精巧なものを作ったものだと感心する。工人集団の技以外に考えられない。既にこの時代に双魚の魚佩が存在していたことに注目したい。当件に関しては別途記事にしたいと考えている。
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