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世界の街角

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特別展「はにわ」挂甲の武人・2<続編>

2025-04-10 09:44:07 | 埴輪 はにわ

前回途中で終了していた。中途半端なので最初から掲載する。

先に挂甲武人埴輪5兄弟について、正面像を紹介していたが、今回は背面と脚部に注目して紹介する。尚、後段において着色された復元像について述べる。

① 重文 挂甲の武人 群馬県太田市成塚町出土 相川考古館蔵

胡禄/胡籙 (ころく)は背中に背負うタイプで脚部は袴(はかま)を膝(ひざ)下で結んだ。このひもを脚結(あゆい)と呼んでいる。そして袴は鋸歯文が表現されており、これは魔除け僻邪の意味をもっている。

② 挂甲の武人 群馬県伊勢崎市安堀町出土 国立歴史民俗博物館蔵

胡禄右脇にさげるタイプである。脚部は袴である。

③ 国宝 挂甲の武人 太田市飯塚町出土 東博蔵

胡禄は背中に背負うタイプで、脚部も小札を用いた膝甲、脛当をつけている。

④ 挂甲の武人 群馬県太田市出土 シアトル博物館蔵

 

袴に鋸歯文、胡禄は右脇にさげるタイプである。

⑤ 挂甲の武人 群馬県太田市世良田町出土 天理参考館

これも胡禄は右脇にさげるタイプである。

挂甲武人埴輪5兄弟の長男格である東博所蔵の国宝埴輪には、3色の着色がなされていた。それによると挂甲の部品である小札は白く塗られている。それには理由があった。

各地の博物館に展示されている復元挂甲には黒漆が塗られているが、出土した挂甲の小札に黒漆を塗った事例は発見されず、それらの小札は赤錆か黒ずんで見えるだけであった。唯一例外として土保山古墳(高槻市・5世紀後半)出土の短甲に付属する小札式草摺(くさずり)や小札式肩甲に黒漆が塗られていたとの発掘調査報告が存在するだけだという。

(上より倉敷市天狗山古墳出土の挂甲と籠手・いずれも黒漆は認められない)

では挂甲は国宝復元埴輪のように白色であったのか。今城塚古代歴史館の復元挂甲の小札は、黒漆塗りではなく、白磨(しろみがき)と云う技法で小札が磨かれ、白っぽい銀色に見える。国宝の復元埴輪に見る白色は根拠があったのである。

復元挂甲(特に冑をご覧願いたい白銀色である)

古墳時代の桂甲は、西洋の甲冑のように磨かれた鉄の白銀色を呈していたのである。古代において目に鮮やかな人工色が存在していたことになる。

挂甲の武人埴輪について述べたが、最後に西の方・九州八女市・立山山8号墳出土の桂甲武人埴輪を紹介して終える。

その埴輪がまとっているのは革甲か、それとも小札甲であろうか。写真のような小札甲が存在したかどうか不詳なるも、国宝・桂甲武人埴輪や今城塚古墳出土の桂甲武人埴輪以外の挂甲のタイプも存在したであろうと考えられる。

<了>



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