世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

<ブログ掲載1000回記念・北タイ陶磁特集>チェンマイ県メーテン郡インターキン古窯址#1

2018-04-15 09:22:00 | 窯址・タイ

過去インターキン古窯址は2度訪れた。今回は初回訪問時の事柄を中心に紹介する。中部タイのスコータイ、シーサッチャナーライ両窯については、内外の先達による調査・研究は精緻なものになっているが、北タイについては未解明な点が多々ある。

先ず窯址現場にある青銅製の説明板の解説から紹介する。この窯址は1994年に発見され、その後1996年にタイ政府芸術局により発掘されたその場所は、メーテン郡のインターキン地区であった。過去、中世の窯場は”ムアン・ケーン”と呼ばれていた。その窯は丘の傾斜に設置されている。幾つかの煙突状の痕跡が地表に現れていた。そこを発掘すると、地表から2m下に窯が横たわっていた。その窯は厚板状の粘土で固めたもので構築されていた。全体的な窯形状はサンカンペーン窯と類似していた。焼成物は明るい緑、緑がかった褐色釉の陶磁で、双方ともに同じ形状の壷があった。そして壷のほかに盤、鉢、蓋付きの壷があった。このインターキンの窯はC-14炭素年代法で1420-1445年を示し、それはサムファンケーン王の時代を示している。・・・との説明である。

窯址は覆屋があり現地に立つと、5基確認できた。発掘は部分的であり、まだ埋設され未発見の窯もあろうかと想像できる。全貌が見える形で発掘されているのは1基で、それによると幅は約1.4m、長さは2.7m程度かと思われ、僅かに地表を掘り下げ、丘の斜面にそって構築され、地形の関係から焚口は南向きとなっている。その形状はサンカンペーン窯址と同じである。

窯址の前に建つ資料館は立派な建物であり、簡単なタイ語パンフレットがおいてある。発掘陶磁器の破片が展示してあるものと期待していたが、それは一辺が4~5cm程度の断片で、そこからは完器の形状を想定することはできなかった。

下の2葉の写真は、2度目に訪れたとき、資料館の壁に掲げられていた出土陶片の写真である。

外側が褐色釉で内部に青磁釉の壺片や、カベットに放射状の刻線が入る盤片も出土しているようである。

発掘はタイ芸術局が担当し、その説明板の内容を再掲すると、壷、盤、鉢、蓋付き壷が焼成され、オリーブグリーンや緑がかった褐色釉に覆われていたと説明されている。なるほど断片をみるとそのような痕跡が認められるものの、断片で釉薬は剥落したりかせており、タイ芸術局の記述内容を十分に確認できなかったのが残念である。その立派な資料館の中央の建物はがらんどうであった。本来発掘出土品を展示するためのものと考える。タイ芸術局が持ちだしているとすれば、返却展示してほしいものである。

(2010年の初回訪問時はがらんどう、2015年の2度目の訪問時は施錠されていた)

タイ芸術局からは、発掘調査報告書が発行されているが、タイ語版で1行読み翻訳するのに10分以上を要し、読み切れていない。

 

                          <続く>