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この窯址は先述の如く、1994年民家の敷地内で偶然に発見され、その敷地一帯をインターキン地区(村)役所が買収し、1996年タイ芸術局によって発掘調査され、ここを古窯遺跡資料館として、2006年12月25日に開館の運びとなったものである。
C-14炭素年代分析で1420-1445年を示したと云われているが、これはランナー王朝第8代・サームファンケーン王(即位1402-1441年)の時代である。「チェンマイ年代記」は後世の成立で、記録内容に全幅の信頼はおけないが、それによると、サームファンケーン王はパンナー・ファンケーン(現:チェンマイ県メーテン郡)で生まれたとされている。即位後1404年と1405年の二回にわたり雲南のホー族が、ランナー王国に侵攻したが、サームファンケーン王は3万の兵でホー族を攻撃し、景洪まで追い返し、中国の朝貢国から脱した。
この後、ランナー朝は繁栄を継続するが、サームファンケーン王に縁深いメーテン郡のインターキン地区に窯があったことになり、その築窯はサンカンペーン窯より下ることになる。この両窯の関係に大きな関心を寄せている。
説明版にはオリーブグリーンや緑がかった褐色釉とある。手元に『CERAMICS IN LAN NA』なる、サーヤン教授の著作がある。
これはタイ芸術局発刊の調査報告とは異なり、英語版である。それによると、全長:3.75m、全幅:2.20m、全高:2.05m、煙突径:57cmとなっている。出土した陶磁片には幾つかの特徴があり、壺片の内部は青緑の青磁釉で外は褐色釉である。この発色のコントラストは、タイ陶磁としては初見である。
盤には印花文が存在していた形跡があり、復元図はサンカンペーン盤の特徴を踏襲している。下に、その復元図を掲載しておく。
完全な完器は観ていないが、陶片を見る限りサンカンペーン陶磁に似ており区別は、はなはだ困難である。今日、サンカンペーンとして流通している盤に紛れ込んでいる可能性は否定できない。
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